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政治山ニュースまとめ

「静岡・浜岡原発、住民投票条例否決」まとめ (3/4ページ)


社説

浜岡原発の再稼働の是非を問う住民投票条例が否決された問題は、静岡以外の機関でも報道されました。とくに、地方新聞での扱いの大きさが目立っています。ここでは、静岡新聞をはじめ、新聞各紙がこの問題をどのように考えているかを社説から見ていきます。

◆県民投票条例否決 本質論を避けた判断だ◆静岡新聞

  • 県民が意思表明する機会を封じられたことは残念だ。福島原発事故のような過酷事故が起これば、生活に重大な影響を及ぼす。原発稼働の判断に県民の声を反映させたい―という署名者の思いを置き去りにした判断だ。

    2日間の総務委員会での集中審査では、条例案の形式的な不備や県民投票に掛かる約13億円の経費などに議論が集中したが、議会制民主主義を補完する住民投票のテーマとして原発問題がなじむのか、地域振興に原発が果たした役割の評価は―などの本質的な議論を深めるべきだった。

    非自民系の有志が提出した修正案は、投票率が県民投票としての有効性を裏付けられる50%以上を超えない場合は開票しないことや開票事務に協力しない市町がある場合は投票を実施しない―などを新たに盛り込んだ。
     原案で問題視された「投票資格18歳以上」は「20歳以上」とした。投票期日は「施行から6カ月以内」を「浜岡原発の安全対策が完了し、国が再稼働の審議を始めた段階で知事が決定」とするなど、県民が浜岡原発の再稼働に関する判断材料がほぼ整う時期となり、実現が十分に可能な修正案に仕上がった。

    ただ議会の過半数を占める自民改革会議は、本会議の討論で「国策の原子力行政が地方の住民投票で左右されてよいのか」と両案への反対理由を述べた。しかし、原発推進はもはや国策になりえないことを指摘しておく。

    自民改革会議はもともと県民投票に否定的だった。当初は、市民団体が県議会各会派を訪ねて協力を訴える“行脚”をした時も役員とは面会ができなかった。自前の修正案を提出せずに、非自民系有志の修正案も「署名した市民の意思から離れた」と退けた。
     これでは結論ありきとの疑念を抱かせても仕方がない。原発政策に県民の意思を反映させるのに反対なら堂々と理由を明らかにすべきだった。

    一方、川勝知事は、条例の否決要因の全てを原案の不備にあるとして、請求代表者を批判したが、筋違いだろう。川勝知事は「再稼働の是非について意見を表明し、結果を県政に直接反映させたい多くの県民の思いを重く受け止めている」と直接請求の条例案に賛意を示した。
     これは知事自らの意思で提出した議案と同じ重みを持つと受け取るのが自然だ。条例案可決に向けた議会対策もないまま、賛意を示したとしたら政治的なパフォーマンスと言わざるを得ない。

    ■【社説】県民投票条例否決 本質論を避けた判断だ■静岡新聞(2012年10月12日)

◆原発住民投票 再稼働の判断にはなじまない◆読売新聞

  • 原子力政策は経済成長や雇用、安全保障などにかかわる問題だ。
     住民投票によって是非を決めるべきではない。

    住民投票をしても、その結果に法的拘束力はないが、政府や自治体、電力会社の判断に影響を与えよう。県議会が条例案を退け無用の混乱を防いだのは、良識ある判断だと評価したい。

    問題は、静岡県の川勝平太知事が、条例案の提出を求める署名が多数だったことを理由に挙げ、住民投票の実施に賛成の意向を示したことである。

    原発立地自治体の首長は、安全性や電力需給、地元経済への影響などを多角的に考慮し、再稼働への賛否を判断する責務がある。
     川勝知事が、こうした重い決断を住民投票に“丸投げ”しようとしたことは、民意の尊重というより、責任逃れだと言われても仕方あるまい。

    東京電力柏崎刈羽原発のある新潟県でも、住民投票条例案の提出に向けた手続きが進んでいる。静岡のような動きが多くの立地自治体に広がる懸念は拭えない。
     政府は当面、原発を重要な電源と位置づけ、活用する方針を決めている。着実に再稼働を実現することが何より重要だ。政府は電力会社とともに、真摯しんしに地元の説得にあたる必要がある。

    ■原発住民投票 再稼働の判断にはなじまない:社説■YOMIURI ONLINE(読売新聞)(2012年10月17日)

◆「浜岡」住民投票 民意の出番つぶされた◆東京新聞

  • 静岡県議会は、中部電力浜岡原発再稼働の是非を問う県民投票条例案を否決した。県民は原子力やエネルギーへの理解を深めるチャンス、国民は立地地域の本音に触れる貴重な機会をつぶされた。

    自民系最大会派の議員は「国策の原子力行政が地方の住民投票で左右されてよいのか」と訴えた。明らかに間違いだ。

    「二〇三〇年代原発ゼロ」を明言しておきながら、その工程や具体策を決められない国に、立地地域の自治体が、原発の危険や利害に直面する住民が、ものをいうのは必然だ。ましてや、東海地震や南海トラフ地震の脅威と長年隣り合わせに生きてきた静岡県民の民意はなお重い。それを、政争絡みで門前払いとは。県議会は怠慢のそしりを免れない。

    民意を代表すべき議会が十分に役割を果たしていないのなら、住民投票を有効に使おうとするのは、地方自治の本旨にかなう。

    投票の必要性よりも、投票資格や時期など形式的な面で条例案が退けられたとすれば、デモクラシーの本義に背く。

    ■「浜岡」住民投票 民意の出番つぶされた:社説・コラム■東京新聞(TOKYO Web)(2012年10月12日)

◆原発県民投票否決 民意に背く責任放棄だ◆琉球新報

  • 原発立地県で集められた16万5127人分の「民意」をないがしろにし住民自治の否定にもつながる判断と言え、極めて残念だ。

    議会制民主主義を補完する住民投票の対象として原発問題をどう捉えるのか。原発が立地する県議会の当然の役割として、本質的な議論を尽くしてしかるべきだった。

    原発再稼働は、住民の命と安心にかかわる重大な事案であり、直接意思を表明する住民投票の意義は極めて大きい。原発問題は住民投票になじまないと、通り一遍の説明をするだけでは住民は納得しまい。

    市民団体メンバーは、川勝知事に12月定例議会で修正案を提出するよう求める方針だが、その際には県議会は正面から受け止め、本質的な議論を尽くしてもらいたい。

    ■原発県民投票否決 民意に背く責任放棄だ■琉球新報(2012年10月14日)

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