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「竹島問題」まとめ(2/4ページ)


李大統領の行動と言動、その影響と反響

これまでもたびたび問題となってきた竹島の領有権争いですが、今回のきっかけは韓国の国家元首である大統領による竹島上陸です。ここでは、この李大統領の行動がもたらした影響を集めるとともに、韓国の歴代大統領と竹島の関係をまとめました。

  • 韓国大統領府高官は16日午後、韓国の報道陣に対し、李明博(イ・ミョンバク)大統領が天皇の謝罪を求めたともとれる発言をしたことについて「訪韓計画が議論されたことはない。大統領は原則的な話をしたまでで、趣旨が誤解されている。誤解を解きたい」と説明した。

    大統領の竹島訪問に加え、天皇関連発言に日本の反発が強まっているため、韓国政府は竹島問題と他の外交問題を切り離して進めることを確認している。高官の発言も事態の沈静化を図る狙いとみられる。

    日本が対抗措置として、外貨を融通しあう日韓通貨スワップ協定を再検討するのではないかとの質問に高官は「臆測に過ぎないが、あらゆる可能性には備えている」と述べた。

    ■韓国高官「誤解解きたい」 天皇訪韓発言、沈静化図る■朝日新聞デジタル(2012年8月17日)
  • 民主党は16日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島(韓国名・独島(トクト))上陸や香港の活動家らの尖閣諸島上陸を非難する国会決議を衆参両院で行う方針を固めた。

    衆院事務局によると、竹島や尖閣関連の決議は初めて。自民党の谷垣禎一総裁も16日の党外交部会で「(尖閣諸島について)領土問題は存在しないという我が国の主張をきちっとする必要がある」と強調した。

    ■国会、週明けにも非難決議 竹島・尖閣への上陸めぐり■朝日新聞デジタル(2012年8月17日)

韓国歴代大統領の行動と言動

◇李承晩(在任期間:1948~1960)

  • 1952(昭和27)年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を一方的に主張するとともに、そのライン内に竹島を取り込みました。

    1953(昭和28)年3月、日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。

    同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。

    「李承晩ライン」の設定は、公海上における違法な線引きであるとともに、韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠です。韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

    ■「李承晩ライン」の設定と韓国による竹島の不法占拠■外務省

◇ 朴正煕 (在任期間:1963~1979)

  • 日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)をめぐり、国交が正常化した1965年、当時の朴正煕大統領が領有権争い決着のため竹島を「爆破したかった」と発言していたと韓国大統領選の野党有力候補が指摘、朴大統領の長女で与党セヌリ党有力候補の朴槿恵氏側がこれを否定し、舌戦になっている。

    朴大統領が米国務長官に「問題解決のため島を爆破し、なくしたかった」と発言していたと述べた。朴槿恵氏側は李大統領の竹島上陸翌日の11日「この発言は(交渉で)日本側がしたもの」と否定。これに文氏陣営は、米国の文書を示し「日本の爆破発言は事実だが、朴大統領も日韓条約(締結)直前の65年6月に米国を訪問し発言をしている」と追い打ちをかけた。

    ■竹島「爆破」発言で舌戦、韓国大統領選の2候補■MSN産経ニュース(2012年8月13日)

◇ 金泳三 (在任期間:1993~1998)

◇ 盧武鉉 (在任期間:2003~2008)

◇ 李明博 (在任期間:2008~)

  • 「反日大統領」として名高いのがおそらく李承晩、金泳三、そして前任者の盧武鉉大統領の三人だろう。

    金泳三大統領は村山政権下の1995年、江藤隆美総務庁長官が「植民地時代に日本もよい事をした」と発言したことに激怒し、村山富市総理との首脳会談を拒否し、「今度こそ、日本の悪い癖をなおさせる」と対日強硬策を取ったことで知られる。

    盧武鉉大統領も2005年2月22日に島根県が「竹島の日」を制定したことに「もうこれ以上、見過ごすことはできない。外交的に断固対処する」として、これまた首脳会談を含め日韓シャトル外交を中止してしまった。

    まさに3人とも反日色の強かった大統領であったが、それでも、禁断の地に足を踏み入れることはなかった。事の重大さを承知しているが故の自制であったのだろう。ところが、驚いたことに親日大統領としての評価の高かった李大統領があっさりと「暗黙の掟」を破ったのだから日本政府が受けた衝撃は計り知れないだろう。

    ■ぴょんの秘話-コリア・レポート辺真一のここだけの話■(2012年8月12日)

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