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【緊急企画】「小沢氏離党!」まとめ (2/5ページ)

「“壊し屋”小沢一郎」の歴史

もし小沢氏が今後、新党を旗揚げすると4回目ということになります。「豪腕」「壊し屋」と言われる小沢氏の“これまで”を振り返ってみましょう。

  • 最初の新党は、1993年6月の「新生党」だ。前年秋の竹下派分裂で少数派閥に転落した「羽田・小沢派」が母体で、野党提出の宮沢内閣不信任決議案に賛成票を投じ、羽田孜氏(元首相)らとともに自民党を離党して新生党を結党、93年7月の衆院選後、非自民の7党1会派による細川政権を誕生させて自民党から政権を奪取した。

    2番目の新党は、94年12月、新生党はじめ日本新党、公明党、民社党などが合流して作った「新進党」だ。自民党に次ぐ勢力を誇ったが、97年12月の党首選で再選された直後に解党。

    小沢氏は新進党解党後、3番目の新党「自由党」を結成。結党翌年の99年には、対立してきた自民党との連立を決断した。

    小沢氏は2000年4月に自民党との連立を解消、03年9月、民主党との合併に踏み切った。

    ■小沢氏、やはり「壊し屋」?新党3つ作ったが…■YOMIURI ONLINE(読売新聞)(2012年6月22日)

【自民党 → 新生党】

  • 十月二十一日――この日は、金丸の議員辞職が正式に決定する日であり、経世会の後継会長が選出されるタイムリミットの日でもあった。小沢グループは、羽田孜を会長の座に推した。いっぽうの反小沢グループは、小渕恵三を推していた。

    十月二十九日、反小沢グループの推す小渕が、経世会の第三代会長に就任した。

    小沢グループも新政策集団「改革フォーラム21」の旗揚げを発表した。経世会は事実上、分裂した。「改革フォーラム21」は、のちに自民党を離党し、新生党を結成することになるが、若手議員のほとんどは、このとき、そこまで発展していくことになるとは思ってもいなかった……。

    平成五年六月十七日午前、社会、公明、民社三党の党首が、この国会での選挙制度改革法案の成立を断念した宮沢総理に対し、内閣不信任決議案を提出し、衆議院の解散を求めた。翌六月十八日午後八時過ぎ、宮沢内閣不信任決議案の採決が行なわれた。「改革フォーラム21」のメンバーの衆議院議員三十四人が賛成にまわり、内閣不信任決議案は可決した。宮沢首相は、衆議院を解散。七月四日公示、七月十八日投票の総選挙に突入した。

    自民党を離党した「改革フォーラム21」のメンバー衆・参合わせて四四人は、六月二十三日に新生党を結成。党首には羽田孜、代表幹事には小沢一郎が就任した。

    ■新生党を結成、104,600票を獲得しトップ当選■二階事務所ホームページ

【新進党 → 自由党】

  • 小沢氏が停滞した政治を「壊す」ことが期待されているのは誤解で、彼は自分から党を壊したことはないという。1997年末に新進党を解党したのは、公明党の内部事情だった。

    解党は一時的な手続きで、新会派ができたら新進党は再結成する予定だった。ところが、その手続きの最中に旧民社党系などが分裂し、再結成の話し合いができなくなった。12月27日に開かれた両院議員総会で、小沢党首が「すべて私の責任だ」といって解党の経緯を説明しなかったため、党内が混乱して新党が乱立し、小沢氏も自由党をつくらざるをえなくなった。

    ■小沢一郎氏は「壊し屋」か■池田信夫 blog - ライブドアブログ(2010年9月18日)

【自由党 → 民主党】

  • 94年新進党を結成するも議席が伸びず、97年暮れには解党。翌98年に結成した自由党では古巣自民党の小渕恵三内閣と連立を組み、再び剛腕を発揮。ところがわずか1年余でけんか別れしたことで、政党をつくっては壊し、手勢を率いて立ち回る強引な手法で「壊し屋」の異名を取った。

    03年、民主党と合併することで影響力を回復。06年には党代表に就任した。07年の参院選では、長年培った独自の選挙戦略により圧勝。健在をアピールした。

    ■「剛腕」「壊し屋」陰り?…小沢一郎という男■スポニチ Sponichi Annex(2012年6月27日)

政治家「小沢一郎」とは?

  • 1969年初当選。田中角栄、金丸信という実力者に庇護されるが、権力闘争に敗れて離党。立ち上げた非自民連立政権は11カ月で消滅。その後、新進党、自由党は分裂し、民主党に吸収されてしまう。それでも代表となって、さあ政権交代というときに、資金管理団体の土地取引を巡って秘書が逮捕され、代表辞任を余儀なくされた。

    「1票でも勝った多数が正義」という考えは、「数は力」と豪語した師・田中から継承した。決断と実行のためには欠かせない理念だが、師は「情とカネ」による根回しを怠らなかった。小沢氏にはその根回しがない。根回しなき決断は、「独断専行」と映る。議論、説得も好まない。恫喝し、雲隠れする。多くの仲間を失った。周辺には威を借る狐の類と盲従するチルドレンしかいない。

    ■民主党元代表 小沢一郎-「剛腕」「壊し屋」。その人生は敗北続き■PRESIDENT Online - プレジデント(PRESIDENT 2012年4月30日号)
  • 議会政治の頂点に立つのは首相である。その首相は議会の多数派によって選ばれる。多数派を形成するのは政党の役割だ。極論すると、政党は自らのリーダーを首相に押し上げるために存在している。

    ところが、元代表や鳩山氏は同じ党の中にいながら、党首の政治生命を奪い取る行動に出た。しかも、脅しの材料として破綻が明らかな09年マニフェスト(政権公約)を活用しているのだから、政党政治の底が抜けてしまっている。

    民自公3党の合意に代表される政治の大きな流れは、民主党の質的変化を伴いながら、「小沢抜き」の権力形成へと向かっている。元代表に同調した造反議員たちは、この権力再編劇から振り落とされた勢力だ。

    追い詰められるとかえって攻撃的になるのが、元代表の行動パターンだ。法案採決を前に手勢を集め、ばたばたと「離党届」を書かせたのは焦りの裏返しであろう。「新党」構想が綿密に準備されてきた形跡はない。それを裏付けるように、元代表は「俺が新党の代表だとまずいだろうから、民間人を立てるか」と冗談交じりに語っているという。

    ■東奔政走:政治の転機となった「消費税採決」 小沢新党の結成は無理がある■毎日jp(毎日新聞)(2012年7月2日)

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