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フィリピン残留2世、4人が来日―同国政府が迅速な罰金免除措置 (2016/12/6 日本財団)

比政府が迅速な罰金免除措置
1人は父親の身元求め、3人は関係者と対面

終戦前後の混乱で離れ離れになった日本人の父親の身元捜しを続けるフィリピン残留日系人2世4人が11月末から12月上旬にかけ相次いで来日します。4人のうち永田オリガリオ・マサオさん(71)は、父親の出身地とみられる熊本県の家庭裁判所に新たな戸籍を作る就籍の申し立てをしており、11月29日に家裁の調査官面接に臨む予定です。残る冨里3きょうだいは10月初旬、父親の戸籍が判明、沖縄県の那覇家裁で就籍が認められ、12月1日に来日、親族との対面や糸満市にある父親の墓参りを予定しています。

永田オリガリオさん

永田オリガリオさん

残留2世の国籍取得を支援しているフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)が作成した永田さんの陳述書によると、永田さんは第2次大戦末期に、当時、日本人が多く住んだミンダナオ島の港町ダバオ市で生まれ、地元民から日本人の子を意味する「ハポン」と呼ばれて育ちました。

小学校2年のとき、フィリピン人の母親から「父はクマモト出身のナガタという日本人。兄弟とともにダバオでアカバ栽培をしていた」、「生後3カ月の頃、父がオリガリオさんを連れて行こうとしたが母親が拒否し、米軍に投降した」などの断片的な説明を受けたが、父親の正確な名前や出身地、その後の消息は不明ということです。2013年に東京家裁に就籍の申し立てを行い却下されましたが、今年9月、父親の出身地の可能性が高い熊本家裁に改めて申し立てを行い、今回の来日となりました。

就籍が認められた3きょうだい、左からサロメフミコさん、ハイメさん、カリダッドカズコさん

就籍が認められた3きょうだい、左からサロメフミコさん、ハイメさん、カリダッドカズコさん

一方、冨里きょうだいの父親は沖縄出身の冨里樽二さん(1990年死去)。2世が保管していた樽二さんの写真や当時の外国旅券下付表の記録などから身元が判明し、9月、那覇家裁で就籍許可の審判を受けました。樽二さんは1925年にフィリピン人の女性と結婚、8人の子をもうけ既に4人が故人となっていますが、今回は就籍を申し立てていた5番目の子であるサロメフミコさん(78)、6番目のハイメさん(76)、末っ子のカリダッドカズコさん(71)が来日することになりました。

3人が保管していた父親冨里樽二さんの写真

3人が保管していた父親冨里樽二さんの写真

樽二さんは帰国後、再婚しており、沖縄では、その関係者と晴れて対面するほか、糸満市にある樽二さんの墓参もする予定です。

残留2世は戦後71年間、無国籍状態にあり、日本訪問に当たっては罰金の支払いが問題となり、これまでは免除措置の結論が出るのに2カ月近く掛かっていました。しかし今回は、2日間で免除措置が決定され、フィリピン政府が残留2世の置かれた特殊な事情を重視した結果と見られています。

外国を訪問する場合の出入国手続きは通常、当事国が自国民に発行するパスポートと訪問国の査証が使われますが、残留2世に対してはフィリピン政府がトラベル・ドキュメント(渡航文書)を発行して対応しています。罰金問題は残留2世が戦後の長い間、無国籍という“違法な状態”で暮らしてきたのに伴い発生する問題で、日本、フィリピン両政府間での“政治解決”などを求める声も出ていました。

●フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC) ウェブサイト

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