「父が日本人だから私も日本人」比残留2世の永田さん熊本に (2016/12/6 日本財団)
外務省同席の陳述書基に初の再申し立て
「父が日本人だから私も日本人」
日本国籍の取得を目指すフィリピン残留日本人2世の永田オリガリオ・マサオさん(71)が11月28日午後、フィリピン航空機で福岡空港に到着、熊本県庁に移動して記者会見し、「父親が日本人だから私も日本人。(新たに戸籍を作る)就籍が認められたら是非、日本に住んでみたい」などと語りました。
永田さんは2013年に東京家庭裁判所に就籍の申し立てをしたものの却下され、今回は父親の出身地である可能性が高い熊本家裁に改めて就籍の申し立てをしています。新たな申し立てには、今年5月にダバオ市で、在フィリピン日本大使館の参事官が同席して行われた聞き取り調査結果(陳述書)が新たな証拠として提出されており、代理人を務める佐藤和樹弁護士によると、外務省同席で作成された陳述書を基に再申し立てを行うのは永田さんが初のケース。
佐藤弁護士は、これまでの就籍申し立てで公的証拠が少なかった点を指摘した上で、「民間だけで行っていた聞き取り調査に外務省が同席したことで信ぴょう性が高く評価されれば、陳述書の有効性はさらに高まることになり、永田さんのケースは“テスト申し立て”の意味も持つ」と家裁の判断に期待を示しました。
永田さんはこの日、白っぽいジャンパー姿で通訳とともに会見に臨み、母から聞いた話として「父は昭和11年(1936年)にフィリピンに渡航し、アカバ栽培をしていた。コダマという仲間がいたらしい」、「いつも銃を持っており日本軍の関係の仕事をしていたかもしれない」、「戦前には父の写真があったが、なくなったようだ」、「日本人を強制送還する船が爆破されたことがある。これに父が乗っていたかどうかは分からないが、その後、父からの連絡は一切ない」などと語りました。
また自身については「7歳のころから自分は日本人だと言い聞かされていた。子どものころから日本人を意味する“ハポン”と呼ばれ今も続いている」とするとともに、「父親の親族と思われる人は見つかっているか」との問いには、「目星はついているが確定ではないので申し上げられない」などと答え、「あくまで就籍にこだわるのは、自分が日本人だからだ。(家裁では)就籍を認めてもらえると期待している」と熊本家裁での調査官面接(29日)を前にした心境を語りました。
初めての日本に対する感想としては「新幹線に乗れて感動した。車窓の風景に愛着がわいた。就籍がかなえば住んでみたい」、「5人の子どもたちにも是非、日本を見せたい」などと述べ、29日は熊本市役所に植松浩二副市長を表敬訪問、熊本地震で大きな被害を受けた熊本城も見学しました。
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