子ども中心のまちづくりで人口増と税収増―泉房穂 明石市長に聞く(前編) (2017/8/4 政治山)
一部の都市を除いて、少子高齢化と人口減少は全国共通の課題と言えます。そんな中、子どもをまちづくりの中心に据えて、中核市へとスケールアップし、さらなる成長と発展を目指す自治体があります。兵庫県明石市では、どのような理念のもとでまちづくりが行われているのでしょうか。
養子縁組や里親制度の改善、子どもの貧困対策などに取り組む、日本財団福祉特別チームのチームリーダー 高橋恵里子氏による、泉房穂 明石市長へのインタビューの様子を全3回にわたってご紹介します。
――今日はよろしくお願い致します。最初に明石市では、子どもについてどのように考えてまちづくりに取り組んでいるのか、お話しいただければと思います。
はい。明石市は、こどもを核としたまちづくりと子どもを含めたセーフティーネット、この二つを軸にまちづくりをしています。その結果、明石市は関西で唯一人口がV字回復しています。私が市長となってから人口の減少が下げ止まって、4年続けて人口増。さらに今年に入っては、当市だけが唯一兵庫県で人口増、半年で千人以上人口が増えてますし、引っ越してきているのは30前後と5歳までの子どもばかり。子育て層が近隣の神戸市や姫路市などから、明石市にどんどん転入してきている状況です。
加えて、赤ちゃんの数も3年前から減少が止まり、増え始めています。その結果何が起こったかというと、人口とともに納税者が増え、個人市民税
が5年前に比べて5億円増収。加えて人気が高まって地価が上がり、固定資産税などで12億円の増収。そして人口がいよいよ30万人を超えてきますので、事業所税で3億円ぐらいプラスになります。全部で20億円ぐらいは税収増になっています。
関西で唯一人口がV字回復している明石市
明石駅前の一等地の再開発ビルに、子どもの遊び場を作りました。その結果、来る人も4割増えています。一部には、そんなに子どもにたくさんバラまいたら、財政が破たんするという誤解がありますが間違いです。子どもにお金を使うと、人が集まり財政は好転します。子どもにお金を使うことが、財政面からいってもプラスなんですね。
簡単に言うと、明石を訪れる人も住む人も生まれてくる赤ちゃんも、そしてまたお金も4つともV字回復ということになっております。こうしたことを明石市としては、社会実験のようなイメージとして、成功事例を作れればいいなと思っていたのですが、実際には思っていた以上のスピードで、人が集まり住み始め、財政も好転してきているという状況です。
子どもを本気で応援する明石市
そこでのポイントは、子どもを本気で応援するということです。「子どもはすべてまちの子」みたいな感じです。ここは考え方が分かれまして、子どもというのは基本的には、親が第一次的な責任を負うのが望ましいという考え方があります。もちろんそれを否定するわけではありません。ただ、すべての子どもが親任せで足りれば苦労はないのであって、また親がいたとしても親子対立もありますので、かえってそれで悩まされる場合もある。そういう意味では子どもに対して、社会、まちのみんなが関心を持ち、まちのみんなで子どもとその家族を支えることが大事だと思います。
そこで、明石市の施策はすべての子どもを対象にしますから、一人残らず見捨てません。これは大事なポイントです。99%の子どもではありません、100%です。たった1%といいますが、たった1%ではありません。そこには子どもの命があります。子どもの笑顔や悲しみがあります。一人の子どもも見捨てないという覚悟、思いが重要です。
そして支え手側はまちのみんなです。それは、極端に無理をしろというわけではありません。それぞれ地域とか、かかわりのテーマにおいて、可能なことをみんなでやりましょうということなので、無理強いをしたり、過度な負担を課してるわけではないのです。
明石市の「こどもを核としたまちづくり」のポイントは、すべての子どもが対象だということです。貧困家庭の子どものみ対象とかそういうことではなく、あくまでもすべての子どもなのです。明石市は一人の子どもも見捨てないというのが、一つ目のポイントです。
一人の子どもも見捨てない明石市
二つ目のポイントは、子どもの支え手は、親のみならずまちのみんなということです。当然のことながら行政が、その中心にあってしかるべきです。そして、ここでのポイントは、「子どもに近いのはどこか?」ということです。子どもに近い行政は市町村です。子どもに近い基礎自治体、市が子どもに本気で向き合った方が、家庭訪問もでき、幅広い福祉サービスを持っていますから、総合的な支援も可能なのです。
国や都道府県も役割を果たすべきですが、それ以上に市町村こそが、子どもというテーマにしっかりと向き合った方がいいという考え方に立っています。
支援を必要とするすべての人を大切にする
もう一点のセーフティーネットについては、対象は子どもだけではありません。支援を必要としているすべての人を大切にしています。子どもや、障がいを持っている方や、お年を召してご苦労をなさっている方や、犯罪の被害にあった御遺族や、すべてを含めてみんなを大切にして、できることをしているんですね。
そういった時に、支援を必要とする方々というと、例えばご高齢の方の場合、65才以上のすべての方が支援を必要とするわけではないと思います。その中で認知症の方や、そのご家族は負担が大変ですから、しっかりと支援するのは当然です。ただ子どもの場合は、ほぼ全員の子どもが何らかの支援を必要とする。つまり、子どもというのは誰かの支援、親であるとか地域であるとか行政であるとかの支援無くしては、成長していくことは難しいのです。子どもというのは、元々支援をしてしかるべきものだということですね。
まちのみんなですべての子どもを応援する
子どもというのは、二つの理念の重なる所なのです。一つ目は、こどもを核としたまちづくりの観点から、まちのみんなですべての子どもを応援する形で、人気が上がって選ばれるまちになり、人が集まり財政が好転し、そのお金で改めて子どもを応援するという、まちづくり的な理念における子どもです。
もう一つは、社会というものがあるのは、みんなで助け合うためにあるわけです。もし弱肉強食で、助け合わなくて良ければ、それぞれが勝手にやればいい。しかしそういった社会を、ホモ・サピエンスは作っていません。我々人間というものは、社会無くして生きてはいけない生き物です。そのために税金を集め、保険料を徴収しているわけですから、そのお金から出る人件費によって働いている公務員を含めた我々行政は、支援のための仕事をしっかりとやっていくという理念に立ちます。
この二つの理念が重なっているのが、まさに子どもなのです。まちづくりをしていく上でのキーワードとしての子どもと、もう一つは支援を必要とするすべての人の中に当然子どもは入りますから、この二つの理念の重なりとしての子どもという形で、明石市では子ども施策がドンと前に出ている状況だと思います。
離婚も無戸籍も子どもの視点に立って考える
そして、明石市の子ども施策は、単に負担軽減だけではない。いわゆる医療費の無料化とか、保育料の第二子以降の無料化とか、公共施設の無料化とか、ご家庭の負担が軽減される施策は当然やっています。しかし、そこに留まるものではありません。戸籍の無い子どもであるとか、離婚前後の子どもに寄り添うとか、離婚した後のお父ちゃんお母ちゃんと子どもが会う機会を行政がアレンジしてコーディネートもしている。戸籍の無い子どもは年に1人か2人かもしれませんが、たった一人の子どもも見捨てないという発想に立つからこそ、そういった子どもも早い段階で把握する必要がある。
そして、離婚はもっと数が多いわけですが、離婚した後に、大好きだったお父ちゃんに会えなくなった子どもがお父ちゃんに会いたいと。保育所や幼稚園で家族の顔を書こうとなって、みんながお父さんの顔を書いているのに、自分はお父さんの顔が思い浮かばない。そういった時に、お父さんに会いたいという気持ちを叶える。そうしたことを市役所の職員がやっているわけですね。
これらのことはどこでもまだやっていませんけど、私はそもそもやるべきだと思っていましたし、明石市としてはできることから始めましょうと実施しています。ですから、明石市の子ども施策は単なる負担軽減的な、俗にいうバラマキ的な施策だけではありません。子どもを本気で、まちのみんなで応援し、たった一人の子どもも見捨てないという観点に立っているということです。
――明石市では、来年平成30年に中核市になって、翌31年に児童相談所を設立する予定ですよね。中核市で児童相談所を設置するのは日本で3番目ということですが、なぜそこにあえて踏み切ることにしたのか。そして、どのような児童相談所を目指しているのかお聞かせください。
はい。児童福祉法が改正になって、中核市や東京都の23区のような一定規模の自治体は、自前で児童相談所を持ち、しっかりと対応するのが望ましいというのが法律改正の主旨で、全く同感です。それで法改正以降全国で初めてとなる児童相談所を、明石市は平成31年に作ります。その翌年に東京都の三つの区が児童相談所を設置する方向と聞いていますし、その後少しずつ広まっていくとも聞いています。
どうして児童相談所を作るのかではなく、どうして作らないのか
ただ私からすると、そもそも質問が間違っていると思います。「どうして児童相談所を作るのか」ではありません。「どうして作らないのか」です。現に高齢者部門だと、高齢者虐待防止の責務は市が負っています。市が、高齢者に対する虐待が無いようにする責任を負っているわけです。
障がい者についても、障害者虐待防止法に基づいて、市が障がい者に虐待がないようにする責任を負っています。どうして高齢者や障がい者に市が責任を負っているのに、子どもについては都道府県任せ、政令市任せでいいのでしょうか。高齢者や障がい者と簡単に比べることはできませんが、子どもこそむしろ、より支援の必要性が高く、より支援も難しいわけです。
子どもの場合には親がいますから、場合によっては親というものとの緊張関係もありますから、より支援が難しい。かつ子どもは地域の中で育ちますから、地域の関わりがもっと必要なのです。にもかかわらず、なぜ子どものテーマを都道府県、政令市任せで、我が社会は済ましているのでしょうか。
子どもに寄り添う施策を実現していく
これは私自身が弁護士になった直後くらいから憤り続けていることです。何故日本社会はこれほど子どもを放置し続けるのかと思っていました。そして実際に平成15年に国会議員になった時に愕然としたのは、子どものことをしたいと思って国会に行って、担当者を呼んでも誰もいないということです。子どもの担当者が誰もいないのです。
担当者がいるのは、基本計画を作る内閣府。しかしながら、これは単なる理念です、絵に描いた餅です。そして厚労省にいるのは、ひとり親家庭に給付金を配る部分だけ。親にお金を配る担当者はいますけど、子どもに寄り添った施策を作る部署など、無かったのです。
それぐらい日本社会は、子どもに寄り添う施策をやってきていません。ところが高齢者であれば、厚生労働省老健局という部署もちゃんとある。障がい者であれば、社会援護局内の障害保健福祉部がある。高齢者や障がい者にはしっかりと体制も組んでいて、その体制に基づいて市町村まで一緒に頑張りましょうという体制になっている。
でも子どもについては、やっと最近の組織再編で、「雇用均等・児童家庭局」から「子ども家庭局」へと名前だけ変わりました。そういう意味では、子どもをこれほど疎かにし、これほど軽んじている社会が、生き残れるわけがないというのが私の基本的スタンスです。
児童相談所を作って子どもたちへの責任を果たす
話を戻しますと、児童相談所は単なる箱ではありません。児童相談所というのは、権限であり責任です。基本的に物事というのは権限と責任がセットです。責任を負う者にちゃんと権限がある。権限がある以上責任も伴います。この権限と責任をどういった形で役割分担するかというのが、行政組織の在り方です。その時に、児童相談所を持つということは、いわゆる子どもについての権限を持って責任を果たすということです。児童相談所を持たないということは、責任を十分に果たせないということです。
だから、一定規模の基礎自治体は、当然のごとく児童相談所という箱ではなくて、児童相談所という仕組みを持ちながら、子どもを早期に支援し、場合によっては保護し、その後にはしっかりと地域に戻って家庭的な環境の中で育ってもらうという責任を果たすべきだと、私は思っています。
ただ、すべての自治体ができるわけではありません。人口3千人ぐらいの小さな自治体では財政的にも自立できません。職員も限られています。そこは確かに都道府県が関与して、一緒になってやらざるを得ません。ただ人口が20万人とかその程度あれば、十分に子どもに対する責任は果たし得ますし、それを果たさずして何のために行政をやってるんだというくらいに思います。
ですから、「どうしてわざわざ明石市は児童相談所を作るんですか」という質問でしたが、私が言いたいのは「どうして他は作らないんですか」と。本当にまちのことを考えて、子どものことを考えるなら、せめて中核市程度の財政規模があれば、児童相談所を運営できないはずがありません。ですから私としては、すべからく一定規模の自治体は、当然のごとく児童相談所を設置し、子どもに対する責任をしっかりと果していくべきだと思っています。
――塩崎恭久厚生労働大臣も、「子ども」という名前のついた部局が無いということで、今回「子ども家庭局」を作ったとおっしゃっていましたね。
塩崎さんとは国会議員の時も一緒に行動していましたけど、非常に考え方が近いと思います。あの方は、親目線、役所目線ではなくて、子どもの立場から物事を見ていこうという子ども目線に立った、政治家としては非常に珍しい方だと思います。私としては、この間の日本社会の児童虐待防止や子どもの施策を推し進めてきた点で、塩崎大臣には非常に大きな役割を果たしていただいていると思っています。
――先ほど児童福祉法の改正の話が出ました。日本では今、養護が必要な子どもの8割以上が養護施設などに住んでいますが、今回の児童福祉法の改正で、子どもは原則として家庭で育つということになったわけですよね。明石市としてそういった家庭養護の分野で、どのように取り組んでいくのかという点について、お話をしていただけたらと思います。
この点についても相当昔から言い続けているのですが、すべての子どもは栄養と愛情を受け取る権利があるというのが、私の考えの基本的なスタートです。生まれて命を授かった子どもは、自力では生きてはいけません。当然栄養が要ります。食べ物が要ります。その栄養も偏ったものではなくて、ちゃんとバランスの取れた栄養が必要です。
そしてもう一つ、愛情が要ります。やはり子どもというのは人間関係を作っていく上でも、「自分が愛されている」「自分が必要とされている」と感じられる愛情を受けながら、育つべきだと私は思っています。
すべての子どもは栄養と愛情を受け取る権利がある
そういった観点で言うと、栄養と愛情を誰が子どもに与えるのかとなった時に、親が果たす方が多数だと思います。しかし、親がすべてを果たせるとも限りません。そうなると、いわゆる血のつながった親に限ることなく、誰かが子どもにしっかりとした愛情を注ぐべきと思います。大事なのは家庭的なフリをすることではありません。単に建物としての家に行くことではなくて、ちゃんと子どもが本当に、この世に生まれてきて良かったと、頑張ろうという気持ちが起きるような意味での愛情。それをしっかりと受けとめられる環境整備をすることこそが重要なのです。
それをする上では、大多数の子どもたちが山奥に集団生活するような施設型ではなくて、せめてユニット型。しかも山奥じゃなくて街中。できればもう少し小規模で、できればもう少し我が子の様に愛情を注いでいただける方の下で生活していく。そういう愛情の注がれ方が、より安定的となるような方向を探るべきだというのが、基本的な考え方です。
親ではなく、お腹の中の赤ちゃん全部と面談する
明石市ではこの1月から、命を授かったお腹の中の赤ちゃん全員と面談しています。母子健康手帳を市役所に取りに来た妊婦の方に、面談するのは当たり前です。これは他の自治体もやっています。ただしこれは、市役所に来た人に100%やっているだけで十分ではありません。
市役所になかなか足が向かない、場合によっては家庭訪問をしてもドアを締め切っている。こういった家庭の子どもこそが心配なのです。もしかしたら、望まない妊娠による子どもかもしれません。そういった時に市役所なんかに出かけていく気は起こりません。訪問して来られても、簡単にドアを開けようとは思いません。そういった状況の子どもこそが、戸籍が無い状況になる恐れがありますし、場合によっては、命を無くすような事態になるかもしれません。そういった所こそ、ちゃんと市役所など公的機関が早い段階でつながる必要がある。
その観点で、明石市では何らかの情報で命を授かったと聞けば家庭訪問をします。一人の胎児も見捨てないという覚悟を持って、この1月からスタートしています。来なかったら行くしかありません。保健師などが、市の窓口で面談できない場合には、土日や夜間も含め家庭訪問します。もしそれでドアを開けなかったら、ガラスをカチ割ってでも入る覚悟で訪問する。面談するのは親ではありません。お腹の中の子どもに面談するのです。
そのつもりで対応していかないと、親が「私は結構です、間に合ってます」と言ったら引き下がってしまう可能性がある。そうじゃない。親を支援するのではないのです。子どもを支援するのです。ここが大きな理念の違いです。親を支援するというから、親が結構ですと言ったらそこで止めて、行政としては責任果たしましたとなってしまう。これでは、子どもに対しての責任を果たしていないと思います。
児童虐待においても、子どもは助けてほしいのに、親の判断によって子どもを助けられなくなってしまう。子どもは親の持ち物ではありません。子どもの人生を、親が決めるわけではないのです。子どもにとって本当に必要な支援を、場合によっては迅速に毅然と、行政が対応していくという観点が必要だと思います。こういった観点で明石市は早期支援しています。
- 子ども中心のまちづくりで人口増と税収増―泉房穂 明石市長に聞く(前編)
- 行政の責任として、すべての子どもに家庭的環境を―泉房穂 明石市長に聞く(中編)
- 大切なことは障がいをもつ弟が教えてくれた―泉房穂 明石市長に聞く(後編)
- 関連記事
- 「家でも学校でもない第三の居場所」5カ所新設へ
- 特別養子縁組の上限「18歳未満」に引き上げを
- 「すべての子どもに家庭を」バーナードス前CEOロジャー・シングルトン卿に聞く
- 養護施設よりも「家庭」を優先すべき―児童福祉法の改正で何が変わるのか
- 養子縁組家庭の子ども、70%が「自分自身に満足」