次世代の党……党名に悩みつづける悪戦苦“党”の歴史 (2015/11/6 フリーライター 上村吉弘)
次世代の党が月内にも臨時党大会を開いて党名変更を検討するようです。党名を巡っては、結党前から侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が繰り広げられてきました。
たちあがれ日本は「立ち枯れ」と揶揄され……
次世代の党は、旧「日本維新の会」の石原慎太郎共同代表とその支持派が2014年8月1日に同会と別れて結成した政党です。源流をたどれば2010年4月に結党された「たちあがれ日本」です。政界の重鎮が集うことから「立ち枯れ日本」などと揶揄(やゆ)する声もあったこの党名は、発起人の1人である石原慎太郎・東京都知事(当時)が命名したもの。平沼代表は「日本保守党」という党名を推しましたが、作家でもある石原氏が「ださい」と一蹴。全員で検討し、「がんばれ日本」「すすめ日本」「新党ちから」「よあけ」「れいめい(黎明)」などの候補が出た結果、「立ち上がれ」を親しみやすい平仮名表記にした党名に決まりました。
太陽の党はわずか4日で日の入りし……
2012年11月、東京都知事を辞任した石原慎太郎氏が合流し「たちあがれ日本」は「太陽の党」という党名に変更されました。園田博之議員の発案で、石原氏の芥川賞受賞作「太陽の季節」から引用したものでしたが、この党名にも異論が……。大阪万博での岡本太郎氏制作のオブジェ「太陽の塔」と同名であることから、パクリ説が流れました。しかし、実は「太陽の塔」こそが、小説「太陽の季節」の内容を聞きつけた岡本氏自ら命名したと言われています。
その太陽の党も結成からわずか4日後に日本維新の会と合流。“日没”したかに見えましたが、政治資金規正法に基づく政党としては存続し続け、今年5月1日に次世代の党と合併するまで政党交付金の交付団体となっており、その恩恵を次世代の党が引き継いでいます。
「次世代の党」は当初から反対意見も多く……
話は戻りますが、日本維新の会と別れた石原グループは、太陽の党とは別に心機一転、新党で船出しようと再び党名を巡り丁々発止の議論が展開されました。一般からも募集し約600案の中から絞り込んだ結果、「次世代の党」「自由立憲党」「新党富士」「日本改新党」「黎明日本」の5案が最終候補となりました。石原最高顧問は独自に「大和」や「黎明」を推しましたが、映画や他団体での使用もあり、最終的に7議員による党名選定委員会が検討を重ねた結果、「少子高齢社会が進む中でも未来を担う子供たちに希望の持てる日本を引き継いでいこう」との思いを込めて「次世代の党」に決定しました。ところが、石原氏は党名について「しっくりこない」と後々まで不満を漏らしています。文学の香り漂うのか、大和と黎明への名残惜しさを折に触れて語っています。
窮状を強烈に訴えるなら「悪戦苦党」がぴったりでは……
今回の党名案では「日本の心を大切にする党」「自由保守党」などの案が浮上しているそうです。すでに「たちあがれ日本」結成当時のメンバーだった平沼・園田両議員、藤井孝男氏とも自民党に復党し、石原氏は引退。うるさ型はいません。中山恭子代表は「みんなの心が共鳴するような党名をつけたい」と満場一致での変更に意欲的ですが、党内では「ころころ変えるべきではない」といった異論も出ており、党名を巡る迷走はなかなか収束しません。
現在、党所属議員は政治資金規正法上の政党要件ぎりぎりの5人。昨年末の総選挙と今年4月の統一地方選で惨敗し、党の顔であった重鎮は山田宏・元幹事長を含め雪崩を打って古巣の自民党へ。メンバーこそ“次世代”に衣替えし、中山新代表も独自色を出そうと悪戦苦闘していますが、与党でも野党でもない「ゆ党」と呼ばれ存在感も見いだせず、来夏参院選では2人が改選を迎える崖っぷちの状態。
党の存在感を出そうという趣旨であれば、「悪名は無名に勝る」の至言にならい、当タイトルの「悪戦苦党」とすればインパクトだけは絶大ですが……あの、よろしければどうぞ。
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- <著者>
上村 吉弘(うえむら よしひろ) フリーライター
1972年生まれ。読売新聞記者、国会議員公設秘書の経験を活かし、永田町の実態を伝えるとともに、政治への関心を高める活動を行っている。
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