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“未来を開く”日本財団パラアスリート奨学生の挑戦02―パラアイスホッケー (2017/8/29 日本財団)

「スポーツをあきらめるな」
パラアイスホッケー・堀江航

この秋、パラアイスホッケー(アイススレッジホッケーから改称)の平昌パラリンピック最終予選は残り3つの椅子に火花が散る。37歳の日本代表DF堀江航にとって、2014年ソチで取り残した「パラリンピック出場権」を奪い取りにいく戦いである。

「あのソチの前、簡単に(出場権を)取れるくらいの思いでした。でも、現実は…」

パラアイスホッケーの堀江航選手

パラアイスホッケーの堀江航選手

堀江がアイススレッジホッケーを始めたのは2012年、32歳になっていた。すでに車いすバスケットボールではスペイン、ドイツのプロリーグで活躍。数々の栄冠も手にしていた。帰国後、「おまえならソチに行けるよ」。友人の言葉に軽く反応した。遅い転向はしかし、予想以上の壁に跳ね返された。

「日本は競技人口が少なく、層も薄い。氷に乗る時間も限られているなかで、どうしたらいいか、ソチを反省しながら、できることを模索してきました」

2018年平昌パラリンピックを目指して奮闘中

2018年平昌パラリンピックを目指して奮闘中

子どもの頃からサッカーを通し、スポーツに親しんだ。三菱養和サッカースクールでは全日本ユース選手権で全国優勝、都立駒場高時代には創部以来初の全国サッカー選手権出場も果たし、フィールドを駆けまわった。その楽しさが、自分の意思とは関係なく、止められた。「スポーツする楽しさを教える体育の教師になりたくて」進んだ日本体育大学の3年終了間際。部活帰りの交通事故だった。手術の末、大事な左足がもぎ取られた。

もう、サッカーはできない。「もちろん、涙も流しましたし、暗い気持ちにはなりました。でも、俗に言う悲観した感じではなかった。ただ、思い描いていた未来とは違う方向に行くんだなという思いはありましたね」

インタビューに答える堀江選手

インタビューに答える堀江選手

支えになったのは家族であり、友人たちの存在だった。根っからのスポーツ好き、少し状況がよくなると動きたくなった。「やるならバスケ」と思った。ちょうど、井上雄彦さんの漫画『リアル』が話題になっていた。骨肉腫や交通事故で足を失った若者たちが車いすバスケットボールに打ち込み、挫折や困難、さまざまな現実に向き合いながら成長する姿が描かれた作品に、どこか自分を投影していたのかもしれない。大学の授業で障害者スポーツを学び、パラリンピックに興味をもったことも幸いした。

卒業後は会社勤めをしながら、東京愛好者クラブで車いすバスケに打ち込んだ。タイトな時間をぬっての練習は厳しくもあったが、「スポーツができる喜びが勝った」と話す。

そんなある日、「アメリカ遠征に同行しないか」と声がかかった。行き先はイリノイ。声がけした及川晋平日本代表ヘッドコーチ兼選手が学んだ地である。漠然と「バスケをやるならアメリカ」と思っていた矢先、即座に乗った。それが堀江の人生を変えた。

「想像以上にすばらしかった。指導者や選手たち、素晴らしい練習プログラムに環境。そして、ごく普通に扱ってくれる人たち…」

日体大の車いすバスケチームの創設も考えている

日体大の車いすバスケチームの創設も考えている

プロ野球の試合で始球式(2016年、埼玉・西武プリンスドーム)

プロ野球の試合で始球式(2016年、埼玉・西武プリンスドーム)

帰国後、会社を辞め、イリノイ州立大学大学院の門をたたいた。語学に苦労しながら5年、最後は学業優秀選手賞を授与された。

いま、日本体育大学大学院博士課程で「車いすバスケットボールのプログラムの国際比較」研究に打ち込む。同時に、子どもたちをイリノイ大のスポーツ・キャンプに送り込む事業を続け、車いすソフトボールやブラジリアン柔術の普及にも取り組んでいる。

若者たちには「スポーツを楽しめ」「スポーツを諦めるな」と声を掛け、障害のある人たちに「積極的に外に出よう」と呼びかける。自らは「海外との架け橋になる」と笑った。

ブラジリアン柔術の普及にも取り組んでいる

ブラジリアン柔術の普及にも取り組んでいる

堀江航(ほりえ・わたる)■ほりえ・わたる
ほりえ・わたる1979年5月25日、東京生まれ。現在、日本体育大学大学院博士課程在学中。日本体育大学3年時に交通事故で負傷し左足切断。その後、車いすバスケットボールを始め、スペインやドイツのプロリーグで活躍、ドイツ「RSV Lahn-Dill」時代にはドイツリーグ、カップの2冠に輝き、ヨーロッパチャンピオンズカップも制した。2012年からアイススレッジホッケー(現パラアイスホッケー)に転向。179センチ、70キロ。

 

【パラ奨学生】
2020年東京パラリンピックを控え、日本財団では世界レベルでの活躍が期待できる選手を対象に創設した「日本財団パラアスリート奨学金」制度に基づき、今春からパラアスリートへの奨学金給付を始めました。障害者スポーツ教育に実績のある日本体育大学の学生、大学院生ら19人が給付を受け、実力向上に励んでいます。このコーナーではそうした奨学生たちの活動などを随時紹介し、パラ競技とパラアスリートへの理解を深め、支援の輪を広げるとともに、2020年東京パラリンピックへの機運を高めていきます。

●パラリンピック競技特集(6)アイススレッジホッケー(パラアイスホッケー)

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