日本財団パラアスリート奨学生の平昌(1)「ほろ苦い経験を未来に…」 (2018/3/13 日本財団)
「ほろ苦い経験を未来に…」
第10回冬季パラリンピック平昌大会は3月9日、平昌オリンピックスタジアムで開会式を行い、10日間にわたる会期の幕をあけた。パラリンピック、パラアスリート支援に力をいれる日本財団では、平昌大会に「視察団」を派遣し、パラリンピックの実情を調べるとともに、来るべき2020年パラリンピック東京大会への指針を示したい。
大きな盛り上がりをみせた冬季オリンピックの余韻をそのままに、パラスポーツ冬の祭典に参加した49の国と地域の選手たちが入場すると、零下4度のスタジアムは大きな歓声でわきかえった。日本は38選手が出場、車いすカーリングをのぞく5競技で世界に挑んだ。その晴れやかな顔が並ぶ選手団のなかに、日本財団が日本体育大学関連校に在籍するパラアスリートを対象とした男女2人の「日本財団パラアスリート奨学生」もいた。
2人奨学生の平昌大会を追うと、少しほろ苦い大舞台ではあったが、それはその後に続く得難い経験でもあった。
パラアイスホッケーの堀江航(ほりえ・わたる)は大学院博士課程在学中の38歳、最年長奨学生である。61歳のGK福島忍を筆頭に平均年齢約42歳のチームにあって、期待の“若手FW”、その動きが注目された。
10日の初戦の相手は、世界ランク3位の韓国。世界7位の日本にとっては格上の存在であり、大会前「2018 ジャパン パラアイスホッケーチャンピオンシップ」では惨敗していた。それでも、日本チームは第1ピリオド、接触を恐れずに体をぶつけ、福島の攻守も手伝ってほぼ互角の戦いをみせた。堀江も長く氷の上に乗り、激しい闘志をみせて、何度もゴールに襲いかかった。しかし、第2ピリオド早々、日本が反則を犯し、1人少なくなった状況で先制点を許すと、次第にスピードで勝る韓国の攻撃に押されていった。“若い”堀江もまた、振り切られる場面が目立ち、思ったように動けなかった。そして第3ピリオド、攻め急いで守りが手薄になったところを韓国に突かれて、点差を広げられた。1点は返したものの、1対4の完敗だった。
「韓国の出鼻をくじきたい」と話していた堀江だったが、明らかにスピード、瞬発力、持久力すべてに相手が勝り、なすすべもなかった。
続く11日、優勝候補の米国に0-10と完敗。準決勝進出を逃し、2010年バンクーバー大会銀メダル以来となる悲願のメダル獲得はならなかった。
いうまでもなく、日本は世代交代が遅れ、強化体制も思うようになっていない。だからこそ、平均42歳なのである。そんななかで、2012年、32歳からアイスホッケーを始めた堀江はある意味、期待の星といってもいい。大学3年終了直前に交通事故で左足を失うまではサッカー選手としてフィールドを駆け、その後は車いすバスケットボールに挑戦してスペイン、ドイツのプロリーグで活躍。数々の栄冠も手にしたことがある。
その堀江は、アイスホッケーについて、こんなことを話していた。
「日本は競技人口が少なく、層も薄い。氷に乗る時間も限られているなかで、どうしたらいいか、できることを模索したい」
平昌での苦い経験が、コーチ学などを学ぶ彼を、いかに変化させていくだろうか。そこに注目したい。
堀江も大舞台に気負っていた。しかし、アルペンスキーの本堂杏実はそれ以上に気持ちが勝っていたのかもしれない。
11日、大舞台初のレースとなったアルペンスキー・女子スーパー大回転は好天の旌善アルペンセンターで行われた。各国選手が好記録をだすなか、初出場の本堂杏実の思いはどうだったろう。ゴール付近に設置された大型画面で、スタート直前、何度も胸をたたき、大きく息を吸う姿が大写しになった。合図とともに思い切りよく飛びだした。スタートは悪くない。ところが、その瞬間、ゴール前であがった歓声が「ああっ」という衝撃に変わったのは、わずかの時間だった。
斜面の入り口でバランスを崩し、3つめの旗門を通過できなかった。コースを外れ、うずくまり、しゃくり上げる姿が映された。長い時間が過ぎて、戻ってきた本堂に声をかけた。
――いいスタートだと思ったんだけど…
「気負ってしまいました」
――コースアウトになった要因は?
「次の旗門が気になって、それで(バランスを崩した)。いい経験をさせてもらいました」
ゴーグルをとった目蓋が腫れていた。次から次とあふれる涙をこらえ切れない。日本体育大学3年在学中の21歳。152センチ、小柄な身体が背負った期待の重さというよりも、自分自身への歯がゆさが流させた涙ではなかったか。
本気で競技スキーに取り組み始めて、まだ2年に満たない。5歳ごろからうちこんだラグビーでは、先天的に左手指先のないハンディキャップをものともせず、正確なパスと猛烈なタックルで男子をも地面になぎ伏せた。日本体育大学に入学すると、迷わずラグビー部の門を叩き、すぐにレギュラーの座を獲得、1年夏の「第1回ピンクリボンカップ」ではチームの優勝に貢献、MVP選ばれた。本来なら、ラグビー日本代表候補として「希望の星」となるはずだった。それが、冬季パラアスリート養成に力をいれる野村一路日体大生涯スポーツ研究室教授の勧めで競技スキーに転向。この平昌をめざすようになった。大学1年冬の話である。
人を恐れずタックルにいく心の強さは高速系のスーパー大回転には欠かせない。素早く重心を移し、ステップを踏む動きは回転など技術系にも適正がある。その天性の身体能力が開花、日本代表の座を勝ち取った。
負けず嫌い。「上手になりたい」が口癖である。初のパラリンピックは途中棄権に終わったけれど、逆に、2022年北京パラリンピックへ期待がおおきく膨らんだ。
【パラ奨学生】2020年東京パラリンピックを控え、日本財団では世界レベルでの活躍が期待できる選手を対象に創設した「日本財団パラアスリート奨学金」制度に基づき、今春からパラアスリートへの奨学金給付を始めました。障害者スポーツ教育に実績のある日本体育大学の学生、大学院生ら19人が給付を受け、実力向上に励んでいます。このコーナーではそうした奨学生たちの活動などを随時紹介し、パラ競技とパラアスリートへの理解を深め、支援の輪を広げるとともに、2020年東京パラリンピックへの機運を高めていきます。
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