ベトナム残留日本兵の子ども13人、60年以上経て「悲願の来日」 (2017/10/24 日本財団)
ベトナム残留日本兵の子ども13人
父親の氏名、墓の所在が不明のケースも
第2次世界大戦後もベトナムに残り、その後、東西対立が深まる中、日本に送還された残留日本兵の子(2世)13人が来日、10月19日、東京・赤坂の日本財団ビルで報告会が行われた。今年3月、天皇皇后両陛下がベトナムを訪問された際、2世の家族と面会されたことで、その存在が改めて注目されるようになった。幼い時に父と別れてから60年以上経過、2世は全員、老境にある。父親の氏名や墓が分らない人も多く、手掛かりを求めている。
大戦終結時、ベトナムにいたとされる旧日本軍関係者は約8万人。うち600~800人が「ベトナム独立同盟(ベトミン)に協力してフランスとの独立戦争に加わるなど戦後も現地に残りベトナム女性と結婚、家庭を築いた。しかし国際社会の冷戦構造が深まる中、帰国を余儀なくされ、特に第1回目の1954年の送還では妻子の帯同が認められず、妻子と離れ離れになった。
来日した13人の父親は全員、その時の帰還者で、一行は18日、「元残留日本兵の御家族の日本訪問を支援する会」の小松みゆき代表らとともに来日、グエン・ヴァン・フィさん(63)にはベトナム人の奥さんも同行した。10人は初めての来日。報告会では「父の生まれた国に来るのが夢だった」と感激を語る一方、「孫の世代が日本で暮らせるよう支援してほしい」といった声も出た。
両陛下のベトナム訪問の際には全員が面会の場に参加しており、団長のホン・ニャット・クァンさん(67)は「優しいお姿に感動した。それがきっかけで訪日が決まり感謝しています」と述べた。ホンさんの場合は、日本ベトナム友好協会創立メンバーの一人でもある父親・杉原剛さん(96)が大阪市内に健在で、これまでも何度か来日、今回も杉原さんと久し振りの対面をする。
このほかファン・ホン・チャウさん(67)は来日数週間前に5年前92歳で死去した父・加茂徳治さんの墓が見つかり、今回、お墓参りをする。一方で5人は父親の氏名、あるいは名が不明。名前が分っていても、墓の所在が不明といったケースも多い。
一行メンバーの最年長で、東日本大震災の際は仲間を誘って日本大使館に追悼と記帳に訪れたというゴー・ザ・カインさん(72)の場合は、1981年ごろにハノイの自宅を訪れた父・湯川克夫さんと再会したが、1990年に湯川さんが死去した後、墓の所在が分からないという。
一行は報告会の後、皇居見学や外務省主催の歓迎会に出席、21日には関西に移動し、父親が帰国の際に上陸した舞鶴港を訪れ「引揚記念館」を見学するほか、日本ベトナム友好協会などと交流、父親に関する一つでも多くの情報提供を呼び掛け、24日に帰国する。
日本財団ではブラジル、ペルーなど中南米を中心に、フィリピン残留日本人2世の国籍取得など海外に住む日系人の支援に幅広く取り組んでおり、笹川陽平会長が7月、ベトナムを訪問した際、この一環として今回のベトナム残留日本兵の子の日本訪問を支援することになった。
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