“未来を開く”日本財団パラアスリート奨学生の挑戦05―競泳・池愛里選手 (2017/10/10 日本財団)
「泳ぐたびに速くなる」
競泳・池愛里
水からあがったマーメードは、すらりとしたモデル体型である。
「えっ、そんな大きくないですよ」
顔の前で手を振って、178センチの身体を縮めて否定した。池愛里は、タイムも身体も、まだ伸び盛りの19歳。8頭身の長身と長い手足、その恵まれた身体を胸張って誇れるようになったとき、この選手は世界を代表するスイマーになるに違いない。
高校3年生だった2016年、リオデジャネイロ・パラリンピック出場を果たしたものの、すべての種目で決勝に残れなかった。
「すごく、悔しかった。だから、もっと練習して速くなりたいと思いました」
速くなりたい一心で選んだのが、日本体育大学水泳部。ここは一般部員もパラアスリートも区別しない。徹底したスパルタで絞り抜き、トップ・アスリートに育てていく。練習は厳しい。池の所属するクラスでは、1日1万5000メートル泳ぐことが科せられる。月曜日は一斉休暇でメリハリをつけるが、プールに入る日以外は、ウエイトトレーニングで身体を絞る。
「逃げ出したいと思うこともあった」。池は屈託無く笑う。
課題は上半身強化。左足首にマヒがある。軽度ではあるが、足首を回すことや上下、左右に動かすことはできない。だから上半身を鍛え抜いて、上半身で力強く身体を引っ張って泳ぐことを目標にしている。
小学3年生のとき、左足に悪性腫瘍が見つかった。いわゆる、がんである。医者は脚の切断を進めたが、抗がん剤治療で患部を小さくして病巣を摘出する手術を選んだ。その後遺症で残ったマヒである。
水泳は、そのリハビリのために始めた。小学5年生。「つらかったけど、スポーツが好きだったから続いたと思う」と笑う。
続けていくうちに記録が出はじめ、選手コースに移る。パラリンピックの存在を知っていよいよ、真剣に取り組み始めた。
実家は茨城県水戸市。パラ水泳日本代表の峰村史世ヘッドコーチのもとで学ぶため、東京の高校に進んだ。峰村さんに言われたことが、「上半身の強化」だった。
その覚悟の成果であろう。2014年10月、韓国・仁川で開かれたアジア・パラ競技大会に出場、S10クラスの50メートル自由形で優勝し、一躍、2020年東京パラリンピックのホープとして、期待が集まるようになっていた。
日体大水泳部の練習はきつい。覚悟して入学したはずが、環境の変化もあったろう。しばらくは落ち込む日々が続いたという。逃げ出したいという思いを打ち消してくれたのが「東京パラリンピック」である。
目標がある。今月末の世界パラ水泳でファイナリストとなり、来年のアジア・パラで金メダル。2年後の世界パラでの表彰台を足がかりに、3年後、2020年東京パラリンピックで「金メダルを」と誓う。
だからこそ、きつい練習にも耐えられる。そして、先日のジャパン・パラ水泳では、上半身強化の効果を実感した。得意の200メートル個人メドレーと100メートルバタフライで日本新記録を樹立、タイムも入部した頃と比べて、それぞれ4秒、2秒縮めた。
「半年間でこれほどタイムを縮める選手はそうはいませんよ」。日体大水泳部マネジャーの言葉である。笑顔がかわいいホープさんは、泳ぐたびに速くなっていく。
■いけ・あいり
1998年9月12日生まれ。茨城県出身。小学5年生から、がん手術の後遺症のためのリハビリで水泳を始め、水戸市の中学校で水泳部入部。東京成徳大学高校在学中にリオデジャネイロ・パラリンピック出場。今春から日本体育大学に学ぶ。178センチ、61キロ。好きな食べ物は、肉とサクランボ、イチゴ
【パラ奨学生】
2020年東京パラリンピックを控え、日本財団では世界レベルでの活躍が期待できる選手を対象に創設した「日本財団パラアスリート奨学金」制度に基づき、今春からパラアスリートへの奨学金給付を始めました。障害者スポーツ教育に実績のある日本体育大学の学生、大学院生ら19人が給付を受け、実力向上に励んでいます。このコーナーではそうした奨学生たちの活動などを随時紹介し、パラ競技とパラアスリートへの理解を深め、支援の輪を広げるとともに、2020年東京パラリンピックへの機運を高めていきます。
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