災害時要配慮者の命と暮らしを守る(上)現場経験から学ぶ―別府市 (2017/1/20 日本財団)
別府市危機管理課の村野淳子さんに聞く
現場経験から学ぶ個別支援づくり
東日本大震災の記憶がまだ鮮明な中で昨年4月には熊本地震が発生、またも大きな被害をもたらしました。地震や津波だけでなく、台風や高潮、豪雨による土砂災害、火山の噴火など、この10年ほどでも多くの大災害が国内で起きています。「天災は忘れたころ来る」との警句もあります。
被災地支援を活動の柱の一つに据えている日本財団は昨年12月、大分県別府市で大規模広域災害の発生を想定した「被災者支援拠点」の運営訓練を実施しました。この訓練の指導に当たっていたのが別府市企画部危機管理課の村野淳子さんです。災害時要配慮者といわれるような人たちの命と暮らしを守るために奔走する村野さんから防災の現状や課題、今後の目標について聞きました。上下2回に分けて紹介します。
――地域防災に関わるようになった経緯は。
2000年に大分県の社会福祉協議会(社協)に入りました。大分県には災害ボランティアネットワークがあり、その登録ボランティアに研修など行う担当の仕事でした。自分自身、被災経験はないし災害のことも分からない。それでも講師を呼んで研修を組み立てることが仕事なので、いろいろな人にお願いをして講師として来ていただきながら、私も後ろで一生懸命に勉強をしている、という状況からスタートしました。
――最初に訪れた被災地は。
03年の宮城県北部の連続地震でした。被災地に行ってほしいと要請があり、約2週間現地で活動をしました。南郷町というところで、今はもう合併して名前は変わっています。自宅はほとんど全壊状態なのに、地域の人たちに献身的に寄り添い、各地からの支援者に毎日繰り返し感謝の言葉を述べる同町社協の会長さんらの姿を見て、この状況をきちんと大分で伝え仕組みにしないと、自分たちのところで同じようなことが起きた時に同じように困る、その教訓をきちんと伝えないといけない、と痛感したことから、少しずつエンジンがかかってきました。
――次は。
04年の新潟県中越地震の時もやはり大分県の委託を受けて、県内の社協職員3人を連れて現地に行きました。被災地では被災者に寄り添う支援を徹底しました。私たちにとっては学びの場でもありました。被災地に行くと、その時の雰囲気とかにおいとか、言葉で表すことができないような、感覚で受け止めるものって、いろいろあるじゃないですか。そういうものをやっぱり大分の皆さんに伝えたいと思いました。連れて行った2人がその後、全国で起きた災害現場に行き、自分たちが見たことを、それぞれの市町村で少しずつつなぎ始めてくれている。このころから人材育成を、ちょっとずつ広めていったかな、と思っています。
新潟県中越地震が発生した時、村野さんは先に研修の講師として押さえていた大学の先生に「大変申し訳ないのですが被災地に地元の職員を連れていきたい、そこで人材育成をしたいと、だけど予算がないので先生に準備していた講師料と交通費を少し分けてあげたいが、それでどうだろうか」と聞いたそうです。講師は快諾してくれ、上司も「やれるところまでやってみろ」と後押しをしてくれました。「机上で研修をする予定を、現地に行く人材育成に変えてほしい」と粘り強く県と交渉し、最終的に了解を取り付けたそうです。村野さんが話してくれた県との交渉の裏話の中に、人材育成に向けた村野さんのあつい思いを垣間見ました。
――その後は。
大分の場合は、やっぱり一番気になるのは別府市です。別府湾には活断層が走っています。南海トラフ地震が起きた場合には津波の来る確立も高い。もちろん火山もある。障害のある人も多い。地震を全く知らない国から来ている外国人も多くいらっしゃる。だとすると別府市を強化しないと大変なことになる。ということで07年から「地域でともに生きる」というテーマで活動をしている団体と一緒にまず「障害者の防災を考える」という勉強会から始めました。その年にはマンション火災で車椅子利用者の24歳の女性が亡くなり、皆さんショックを受けました。群発地震も起きました。いろいろなことがあり、障害のある方が在宅で暮らすということは、どんなリスクを背負っているのか、どうしたらいいのか、ということをもう少しちゃんと勉強しよう、ということになりました。
日本の訓練はどちらかというと、防火訓練みたいなのが多いじゃないですか。そうではなくて、自宅に住んでいる障害のある人一人ひとりの課題は何か、ということをきちんと明らかにする。マンションのエレベーターが止まる。その時、下に降ろすには、どれだけの人数が必要か、指定された避難所までどれぐらいかかるか、ということをまず調べたいと、自治会長さんにお話に行くと、自治会長さんらが一番悔しい思いをしたのが24歳の女性を助けることができなかった、もし自分たちがもうちょっと日常的に踏み込んで関わっていれば助かったかもしれない、ということでした。だから地域の中に障害のある人が住んでいて、いざというときにどんな手伝いができるか、ということを知る目的で、少しずつ地域の人たちと一緒になって訓練を始めました。
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