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アトピーやアレルギーのある子らも、食べ物の心配をせず自然に親しもう! (2016/8/23 日本財団)

環境教育キャンプに小中学生ら119人参加
「アトピッ子地球の子ネットワーク」主催

アトピー性皮膚炎や食物アレルギーがある子どもたちと保護者に、緑豊かな環境の中で自然に親しんでもらおうと、「夏休み環境教育キャンプ2016」が8月9日から11日まで神奈川県相模原市の県立藤野芸術の家で行われました。NPO法人「アトピッ子地球の子ネットワーク」が主催して1994年から実施している催しで、今回は熊本地震の被災者の親子ら119人が参加しました。

藤野芸術の家キャンプ場で遊ぶ子どもたちと保護者ら

藤野芸術の家キャンプ場で遊ぶ子どもたちと保護者ら

このキャンプは、「ネットワーク」が団体を設立した1993年の翌年から実施していて、今回が22回目です。これまでは自力で実施していましたが今回、社会貢献自動販売機「夢の貯金箱」を通じて集まった寄付金の中から日本財団が約500万円を拠出してキャンプに必要なテントなどの備品購入や食材料の調達などの運営経費に充てました。参加者119人の内訳は、小中学生30人、幼児4人、子どもの保護者23人、それにNPO事務局員、高校・大学生らのボランティアと日本財団、協賛企業の担当者らとなっています。

キャンプ初日には昼食後、テント20張りが並ぶキャンプ場に全員が集合しました。吉澤淳代表理事の司会で、調理や子どもプログラムを担当するボランティア、食材などを提供した協賛企業の担当者らが紹介されました。その後、参加者の緊張をほぐす「アイスブレーキング」として全員でゲームをしました。最初に動物の名前をあげ、その字数に合わせてグループをつくって紹介し合う「猛獣狩り」が行われました。30度を超す猛暑の中、大人も子どもも芝生の上を走り回ってゲームに興じていました。

保護者らとゲームをして遊ぶ子どもたち

保護者らとゲームをして遊ぶ子どもたち

この後、大人と子どもに分かれ、大人は芸術の家の会議室でオリエンテーションとワークショップ、子どもたちは採集網を持ってキャンプ場などで昆虫採集をしました。大人のワークショップではまず自己紹介をし合い、熊本地震の被災者3家族がキャンプに招待されていることが分かりました。その中の一人は、3歳の子が重度の食物アレルギーで、地震が起きてから落ち込んでいたので、参加したと話していました。また、参加6回目という神奈川県厚木市の母親は「中学生の娘は毎年新しい友達ができると喜んでいて、今年も娘の強い希望で参加しました」と、うれしそうに話していました。

ワークショップで自己紹介をし合う保護者たち

ワークショップで自己紹介をし合う保護者たち

一方、キャンプ場の隅にある炊事場では、料理人の指導でボランティアが午前中から夕食の準備をしていました。らでぃっしゅぼーや株式会社や、株式会社大地を守る会などから提供してもらった季節の野菜や肉を使い、味噌汁やスープのダシは昆布などを使って時間をかけて作っていました。事前に参加者全員から聞き取った卵や小麦などのアレルゲンを使用しない「食事メニュー」をつくるためです。この日の夕食はカレーで、スープ、煮物、ピクルスが付いていました。午後5時半ごろ、参加者全員が持参の食器を持って炊事場前に行列を作り、ボランティアに盛り付けてもらい、カーペットの上に座って食事をしていました。

ボランティアからカレーを盛り付けてもらう子どもたち

ボランティアからカレーを盛り付けてもらう子どもたち

2日目は曇り空の天候。テントで寝た大人たちは早朝の冷え込みで5時ごろ目を覚ました人が多かったようです。一方、調理担当者は5時半には朝食の準備を開始しました。この日の朝食メニューは、菜めしに味噌汁、それに煮物2種類とキャベツなどの浅漬けが付きました。

朝食後、子どもたちは帽子とサンダル姿になり、近くの沢に行き、水辺の生き物採集をしました。水に触れたり、魚を捕まえたりする滅多にないチャンスで、子どもたちは元気に沢の中で動き回っていました。滝のあるところでは、高校生や大学生のボランティアが滝つぼに飛び込み、拍手を浴びていました。昼食後も子どもたちは沢に降り、石を並べて作った「にわかプール」に魚を追い込んで捕まえていました。中には、体長10cmほどのアブラハヤを捕まえた子どももいて、歓声を上げていました。

沢で生き物採集をする子どもたち

沢で生き物採集をする子どもたち

宮城県大崎市から小学4年生の女の子(10)を連れて参加した会社員、佐藤記一(のりかず)さん(52)、幸代さん夫妻に、参加のきっかけなどについて聞きました。佐藤さん一家は東日本大震災で被災し、一時避難所にいました。だが、毎日出される食べ物はおにぎりや漬け物が多く、食物アレルギーの女の子は2週間くらい経つと具合が悪くなったそうです。市民病院に行きましたが、食べ物も薬もなく、夫妻は「このままでは娘はどうなるのか」と不安にかられました。

思い余ってかかりつけの主治医に相談すると、「アトピッ子地球の子ネットワーク」から電話がかかってきました。主治医が「ネットワーク」を知っていて、連絡してくれたのです。幸代さんは「助けてください」と頼み込み、その夜、女の子が食べられる食物が送られてきました。その後も、女の子が落ち着くまで4カ月ほど食べ物を送ってもらい、幸代さんは「本当に神様はいると思った」そうです。

キャンプの思い出を語り合う佐藤さん夫妻

キャンプの思い出を語り合う佐藤さん夫妻

その年の夏、一家は「ネットワーク」から大震災の被災10家族の一員としてキャンプに招待されました。その後も毎年、キャンプに参加していましたが、昨年はどうしても来られませんでした。そのため、娘から「今年はぜひ連れてって」と頼まれ、今回参加したそうです。幸代さんは「これまでは娘の食事のことだけ心配していたが、最近クラスの子どもたちから特別の目で見られていることを気にしているようです。娘の精神面まで気をつけてやらないといけないと実感しています」と語りました。

一方、記一さんは「妻はアレルゲンを除去した食事つくりで外食もできない日々が続いています。そうした日常から解放されるだけでなく、共通の悩みをもつ親同士で情報交換ができるので本当に助かります」と、「ネットワーク」に感謝していました。

参加者の食事からワークショップまで切り盛りする「ネットワーク」の赤城智美事務局長は、自身もぜんそくなどを患い、子どもも食物アレルギーに苦しんだことから、吉澤代表理事と2人3脚で「ネットワーク」を支えてきました。「日本財団の支援のお陰で、今後もキャンプを続けられるメドが立ちました。これからはもっと食物アレルギーに社会の目が向いてもらえるよう努力していきたい」と話していました。

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