「エコ」の矛盾に気づいた日 “最初から使わない”生き方を (2018/8/3 70seeds)
たった20円で100kmも走る原付バイク「Eサイクル」をご存知だろうか。それは日本最西端の鉄道駅がある街「平戸」で生まれた、夢のようなマシン。自作した太陽光発電で充電すれば、理論上0円で無限に移動をし続けることができる。
そんなEサイクル、たまたま同じ島にルーツを持つことから興味をもった筆者(北)は、その開発者に会いに行くことにした。
そこで待ち受けていたのは、マシン以上にユニークな開発者、ISOLA株式会社代表の有安勝也さんとその一家だった。
全国どこでも家族みんなで納車に行きます
――「Eサイクル」について話を聞きに来たんですが…失礼かもしれませんが、これって実用化されているものなんですか?
はい、九州から遠くは北海道まで、全国で使っていただいていますよ!ご希望のお客様には一家総出で直接届けに行ってます。
――え!? 納車を一家で?とても大変そうですが、ご家族は反対しないんですか?
奥さんからの反対は特にありませんでした。元々、奥さんが経理をやっていて、Eサイクルの配送費のコストのことをよくわかっていたからじゃないですかねぇ。配送料はかかるし、しかも配送中に傷つくことも多かったんです。
そこで、「自分たちで直接お届けしてもいいんじゃないか」という話になりました。奥さんは元々旅好きだったし、納車&メンテナンスツアーは家族旅行を兼ねて…。結構楽しんでくれているみたいです。
基本的に車に寝具を詰めて、車中泊をして全国を回っています。ただ、車にEサイクルが積んでいる間はどうしても車内が狭くなってしまうので、納車がある程度終わるまではゲストハウスに泊まっていますが(笑)
――納車旅が全国旅行!ずっと車移動だと、子どもたちは退屈したりしませんか?
旅行感覚でやっているので、子どもたちも結構楽しんでいるようです。例えば、車の中で3歳になる長女の誕生日パーティーとかやってました。通りそうなケーキ屋さんに電話をかけてケーキを予約、お店でケーキを受け取って、車の中でみんなで食べて…みたいな感じで。
子どもたちの方は、家族で一緒に全国をいろいろ回ることで、何か研ぎ澄まされていったみたいで、それがだんだん現れてきているなと感じます。納車全国ツアー、良いことづくめですよ!
――アメリカ映画を観ている気分ですね。ちなみに、そんな理解の深い奥様とはどちらで出会ったんですか?
奥さんと結婚したのは2010年、8年前ですね。東京で挫折して(詳しくは後述)、平戸に戻ってきた後、帰ってきたことを言うのがなんとなく怖くて…。1年くらい誰にも見つからないようにしていましたんですが、交流のあった佐世保の知り合いの紹介で奥さんと出会ったんです。
昔働いていた、佐世保のイタリアンでご飯を食べて、「あぁ…この人、めっちゃいいなー」と思いました。「一緒に旅行しよっか?」と次の日には二人で温泉旅行に出かけてましたね。
――すごいスピード感!
で、結婚して、子供が生まれて…たしか子供が生まれたのが2011年かな?ちょうど、Eサイクルが完成した年で、長女が生まれた日にはEサイクルで隣町の病院に行きましたね。
ガソリン代高騰。20円で100km走るEサイクルから0円ライフの実現へ。
――有安さんが平戸に帰ってきたのが2008年。その年からコンバーションEV(ガソリン駆動の自動車を改造して作られた電気自動車)の研究を始めて、その着地点としてEサイクルを作ったと聞いています。平戸に帰ってきてからEサイクル開発までの話を聞かせてください。
2008年に東京から平戸に帰ってきて、一カ月くらいはボーッとしてました。東京での飲食の仕事のパワハラがひどかったので、かなり弱っていたんですよね。
――東京で何があったんですか?
とにかく暴力がひどかったんです。蹴られるのが当たり前って感じだったので。佐世保で働いていたときにはそんなことがなかったんですけど。セメントの打ちっ放しの壁に頭をガンガンガンとぶつけられたときに過呼吸になって「俺はここにいたら死ぬわ」と思って。
そこのお店は二カ月くらいでやめることになって…今思えば、別のお店で働けばよかったんだけれども、そんな気力もなく、心も折れていました。
そんなときに、母ちゃんから電話がかかってきて、平戸に帰ることにしたんです。
――それは大変でしたね…。
で、平戸に帰ってきて1ヶ月間ぐらいぼーっと…する中で、やっぱり俺はここで仕事をしていこうと。ここに根を下ろす、これは曲げてはいけないと思って。まずは自動車整備工の資格をとって、それから親父の工場で働くようになりました。
――立ち直りが早いですね。
このままではいられない!と思ったからね(笑)
ちょうど、この時期ってガソリン代が高くなったので、ガソリン車が売れなくなってきてたんです。だから、このままボーっとしていたら、この工場は潰れちゃうんじゃないかと思いました。
特に、大手自動車メーカーの囲い込みなんかも始まっていたので、親父の会社のような街の自動車工場はどんどん排除されてしまう。だから、他の工場と違うことをやらないといけないと思って、自動車整備の仕事とも相性が良かったコンバーションEVを始めることになったんです。
電気自動車をつくることについては、親父も「面白そうじゃない」と言ってくれました。
――そういえば2008年って、リーマンショックの時期でしたよね。お父さんと一緒に開発をしていたんですか?
基本的には一人でやっていたけど、わからないことは父に聞いてました。電気系統のことは自分で勉強していたので、父よりも詳しかったです。一方で、コンバーションEVは電気をたくさん使うのに、長い距離を走れないから実用的じゃないということもわかって。
そこで、原付だったらいけるんじゃないかと。自動車は作るたびに車検を通さなければいけないので大変だったんですが、Eサイクルのような原付自転車は敷居が低かったというのも決め手でしたね。
――そうして、20円で100km走れるEサイクルが誕生したわけですね。
はい。ただ、電気って自分で作れるじゃないですか。太陽光発電とかを使えば。そこで、Eサイクルをソーラーで充電してうごかしてみようと思いました。そうしたら、家電もソーラー発電で動かせるじゃないか!と、いろいろなものをソーラーで動かしてみることにしました。
「自分で電気を作れるんだったら、電気にお金を払わなくてよくない?」みたいな感じで(笑)
――ソーラー発電から0円生活がスタートしたのですね!
今思えば、「ガソリン代を安くしたい!」っていうところから始まったから、たしかにここが0円生活のスタートだったのかもしれませんね。
お金を払って環境を汚し、お金を使って環境を良くする今に疑問。
――ソーラーの次には何を0円にしていきましたか?
畑に、食べた種を吐いて適当に植えれば、勝手に食物が生えてくるんじゃないか、と思って野菜作りを始めました。肥料は自分で作っているし、農薬も使わないから、農業であんまりお金を使いませんでしたね。
その次は、米のとぎ汁で作る乳酸菌を作ってお風呂に入れて体をゴシゴシしてみたら、思いの外いい感じでした。おかげで、2、3年くらいシャンプーや石鹸を使っていません。
奥さんにやらせてみたら、髪がパサパサしたらしく、不評だったので、奥さんはシャンプーを使ってますけどね(笑)
――0円生活って、太陽光で発電したり、シャンプーを使わなかったりとかなりエコですよね。
たしかに、環境問題に関心を持つようになったのもその辺からですね。作れるものをなんでわざわざ買うの?っていうのもそうだけど、それ以上に何でわざわざ体を洗うために捨てられるものを作って、体の汚れを取るためにそういうものを使い捨てして、そして流して自然を汚して、その自然を綺麗にするためにお金をまた使う…って、意味がわからないでしょ!
――確かに!捨てるためのモノを作って捨てる。あまりない考え方でした。
わざわざお金を払って環境を汚して、またお金を使って環境を良くしようって本当に無駄だよね。だったら最初から使わなかったらいいじゃん!年末によく思うんだけれども、お正月セールで人を太らせておいて、正月太りを解消しよう!みたいな感じで、ダイエット食品のセールをやるのってどうなの?って。
――なんだか、ものすごく不毛ですね。
そうそう。お金を払ってわざわざ太って、お金を払ってまた痩せるって本当に意味がわからないよね。
みんながやりたいことをやって、幸せになる地域をつくっていきたい。
――ISOLAを今後どのようにしていきたいかについて聞いてみたいです。
正直、あまり働きたくないから、できるだけ早くリタイアをしたいですね。今はEサイクルの製造をやっているけど、水土日は休むようにしています。4日間でやれる範囲だけで仕事をやって、あとは家族と過ごしたり、自分の好きなことをやったりしています。お金を使わないような生活をしていたら、お金を稼ぐ必要もなくなるしね。
――たしかに、生活のために仕事をするのって、どこかしんどいですもんね。有安さんは自分で家を作ってしまえるくらいだし、何にお金を使うのか不思議ですね。
たしかに、家も建ってしまったら他に何にお金を使うんだろう…? Eサイクルについても、今クラウドファンディングでDIY製作キットを売り出しているんですけど、その目的は自分以外にEサイクルを作れる人をどんどん増やしたいからなんですよね。
※別途、現在DIYキットのHP作成中。プロジェクトページはこちら
https://camp-fire.jp/projects/view/72521
自分が作らなくても、「作りたい」と喜んで作ってくれる人に作ってもらうのが一番良いし、だんだん脱仕事にシフトして、それから平戸の地域を作る方にやっていきたいです。
――ついに地域作りに!そういえば、平戸に帰ってきてからしばらくは誰にも会わないようにしていたと話していましたが、いつから地域とのつながりを再び持つようになったんですか?
平戸に帰ってきて1年後くらい経ったときかな。父の工場に、郵便局員で働いている同級生が配達で来るようになったんですよ。たまたま、「よ!」ってなって、そこから徐々に平戸の人たちとの交流が戻ってきました。結婚式にも、ぼちぼちみんな来てくれたし。
ただそのときには、力武さん(以前70Seedsでも取材した、カフェ経営者)みたいな平戸で何か色々やっている人たちとのつながりはありませんでした。
――てっきり、そういった人たちとずっと一緒にやっていたのだと思っていました。そうい方々との関わりはいつからできたんでしょう。
Eサイクルができたぐらいからじゃない? 当時、Eサイクルを作ってすぐにローカルの新聞に載って、それでいろんなところから声をかけられるようになりました。そこから、「ああ、あの変な自転車を作ってる人?」ということでぼちぼち有名になっていたみたいですね。
そんな感じで地域とのかかわりが生まれてから、地域を面白くしたいなと思うようになり始めました。Eサイクルのおかげなのかもしれないね。
――有安さんの作りたいと思う理想の地域ってどんなものなんですか?
これです。
今やっている仕事を「やりたい!」という人にやってもらうことによって、みんなが嫌な顔をして仕事をやらずに済むようになってほしいんですよ。
嫌な仕事を徐々にみんなが辞めていくと、他のことができるようになってきますよね。これからリヤカーを作ろう!とか家を作ろう!とか農業やってみよう!…みたいな感じで。
――なんか、やりたいことをどんどんやっていくって感じですね!仕事かどうかは微妙ですが…笑
みんながやりたいようなことをやっていけるだけで、幸せに生きていけるような土壌を作っていけるようにしていきたいし、そういう地域を作っていければいいなと思います。
そんな仕事っぽくない仕事を増やしていって、それで生活できるようにしていきたいし、それを目標にしていきたいんですよ。たぶん、これから人口減っていくからできるんじゃないのかな?
――こんなに人口減少をポジティブに捉えられる人は初めて見ました…!なんだか、無理をしないで、身の丈にあったコンパクトな暮らしって感じがしてとっても素敵です!
人口が少なくなっていっているからこそ、こういう無理のない生活ができるのだから、みんなももっと人口減少をポジティブに受け止めてやっていけばいいんじゃないのかな。減少するといっても、何もなくなるわけじゃないんだし。
【編集後記】
「環境問題のために僕たちに何かできることはあるか?」
学校の授業では「エアコンを28℃にする」や「車を使わないで電車に乗る」などと教えられました。
しかし、それらは僕らに我慢を強いることばかりで、なんだかエコって面倒臭いなと思っていました。
一方で、有安さんのエコは我慢を強いるものではありません。
わざわざ捨てるものを買わないで、自然の中で生まれたものを使って暮らしていくこと。
広告に流されないで、自分に必要なものを生活を通して選んでいくこと。
そして、無理をせずに、必要な分だけ仕事をして休みを増やしていくこと。
エコに勤めることで、自分の生活も豊かになっていくような希望を感じられました。
北 祐介
和洋折衷を愛するハットとハッピがトレードマークの男。気になったことにはまっしぐら。全国ウロウロしつつ、和光の自室を解放して同じく全国ウロウロしている民と暮らす。1995年、福岡出身。パインアメが通貨です。
- 関連記事
- 元格闘家のTVディレクター、故郷で移住者のハブになる―「3rdBASEcafe」力武秀樹さんインタビュー
- 環境にも働く人にもやさしい職場、サンフランシスコのDPRオフィス
- 1杯のバケツが、まちの未来を変える
- 2050年 オランダはサーキュラーエコノミーになる
- 地球温暖化対策、企業の役割について