葉っぱビジネスの徳島上勝町に若者が集まっているって、ホント? (2016/10/21 nezas)
高齢者を中心とした「葉っぱビジネス」で話題を呼んだ徳島県上勝町に今、若者たちが続々と集まっています。彼らは葉っぱビジネスを継承するだけでなく、そこで学び、定住し、新たに起業し、街の活性化に大きな貢献を果たしているといいます。上勝町に若者たちが集まる理由は何なのか、若者たちにより上勝町はどう変化していこうとしているのか、その背景と経緯を紹介します。
過疎の町「上勝町」を大災害が見舞う
上勝町は、徳島県の県庁所在地である徳島市の中心部から車で約1時間のところにある、人口1,648人、826世帯(2016年8月1日現在)の町です。上勝町は高齢化と過疎化が進んでいる町で、かつての主要産業は温州みかんと林業でした。しかし1980年代、厳しい寒波によりほとんどのみかんが枯死し、上勝町の経済は壊滅的な危機に陥ります。
この事態を乗り越えたのが、当時農協職員だった横石知二氏(現・株式会社いろどり代表取締役社長)が始めた“つまもの”ビジネスでした。
おばあちゃんたちの「葉っぱビジネス」が大成功
“つまもの”とは、日本料理を美しく彩る季節の葉や花、山菜などのことです。その商品価値にいち早く気づいた横石氏は、自ら全国を回って販路を開拓し、1986年に栽培・出荷・販売を一気通貫する農業ビジネスを立ち上げました。
このビジネスの特徴は、商品が軽くて綺麗なうえ、地元の山菜を知り尽くした女性や高齢者なら容易に取り組める点にあります。さらに横石氏はパソコンやタブレット端末を駆使して、全国の市場情報を分析しながら最高値で全国に出荷できる情報ネットワークも構築しました。現在では年商2億6,000万円の規模に成長し、年収1,000万円を稼ぐおばあちゃんも登場するほどとなっています。
若者たちが続々と集まった
上勝町の「葉っぱビジネス」は、全国でも有数の地域活性型農商工連携モデルとして各マスコミに取り上げられ、TVドラマや映画にもなり多くの人に知られるようになりました。
その影響で上勝町に関心を寄せ、同地を訪れる若者たちが増えてきました。きっかけとなったのは、インターンシップの期間限定農業体験プログラムです。2009年は募集50人のところ、応募総数が1,500人と予想外の注目を集めました。このインターンシップの後も、株式会社いろどりが主催し、毎年インターンシップ事業を実施しています。定員8人で現場の訪問から講演会、勉強会などをじっくり体験できる7日間のコースは、毎回あっという間に満員となっています。
このインターンシップ事業を通じて、2010年8月から2016年4月までに600人以上を受け入れ、すでに約20人の若者が町内に移住しています。おばあちゃんたちも若者と接することで元気になり、町全体の活性化にも大いに貢献しているようです。
上勝町に学ぶ地域創世のヒントとは
上勝町に定住した若者たちは、「葉っぱビジネス」を継承するだけでなく、今では若者らしいアイデアや行動力を生かした新ビジネスを次々と起業しています。宅配サービスや移動販売、町内産の製品を量り売りで販売している「上勝百貨店」、小水力発電事業、ワンコイン(500円)の乗合タクシー、古民家を活用したシェアカフェなどです。
そこには、豊かな自然に囲まれながら自分なりの個性を発揮しようという若者像があるようです。
地方創生の観点から見ても、上勝町の成功には大きなヒントが潜んでいそうです。「葉っぱビジネス」に起因する若者たちの結集は、単なる上からの誘導ではありません。その地に根づくことで自然発生的に生まれる知恵と工夫によって、新たな人生を実現しようとしています。若者たちの希望や夢を誘う場や仕組みが、地方に豊かさをもたらしたのです。上勝町の活況はそのことを証明しようとしているのではないでしょうか。
おばあちゃんの町としてすっかり有名になった上勝町ですが、これからは新しい若者たちの手によって、更に変化していくかもしれません。
提供:nezas
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