【20代当選議員の挑戦】
第9回 「自分にしかできない仕事が、夕張にはあった」司法書士の20代夕張市議会議員から見た破綻後の街とは (2016/10/14 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 代表理事 仁木崇嗣)
【元県庁職員が行く!】「夕張レポート」(前編・後編)では、夕張市が破綻した原因やその責任の所在、財政破綻した自治体はどうなるのか、という点を俯瞰的に述べました。本インタビューでは、夕張市議会議員に道内最年少(26歳)で当選した今川和哉さんの視点から夕張市で働くということはどういうことなのかを伺ってみたいと思います。
――今川さんは札幌市のご出身ですが、なぜ夕張市の議員になろうと思ったのですか?
僕の場合は、議員になる前に司法書士として夕張に来たんです。夕張に司法書士事務所を開いてから2年ほど経って、不動産会社を始めました。議員になったのはその翌年なので、僕の軸足は不動産の仕事や司法書士業にあると思っています。
――ということは、なぜ夕張市で仕事をしたいと思ったのかを先にお尋ねした方が良いですね。
はい、札幌で1年ほど借金問題や法人相手の司法書士業務をやっていたのですが、誤解を恐れずに言うと、都会の士業の仕事って誰がやっても同じというか、(司法書士なら)誰でもできる仕事を営業力でたくさんとってきて稼ぐというのが一般的だったんです。何か自分がやりたい仕事と違うなと。誰にでもできるような仕事ではない難しい仕事をしたい、と思ったのがきっかけでした。
――それが夕張市にはあった、ということですか?
夕張市には司法書士も行政書士もおらず、いろんな仕事があるのですが、頼める人がいなくて困っているという話を聞いたんです。
――不動産の仕事はどうして始めたんですか?
司法書士をやっていると、不動産に関する相談も受けるようになったんです。それに私も夕張に来る時に困ったのですが、賃貸物件を探すのも一苦労で…。相談できるところもなく、夕張に働きに来る人も隣町から通わないといけなくなるような状況でした。じゃあ、自分でやってみようということで、不動産の売買と仲介を始めました。
――それは、儲かりそうだと思いましたか?
いや、絶対儲からないと思いました(笑)。
――儲からないと思いながらも、やろうと思ったのはなぜですか?
自分しかやれる人がいない、という思いが強かったです。売買と仲介で儲からなくても、登記が入ってくるので、プラマイゼロにはなるだろうと。そう考えると、地球上で夕張で不動産屋をできる下地があるのは僕しかいない。そう思いました。
――不動産関係の仕事は、街の活性化に不可欠な部分だと思います。今までにどれくらいの人たちのお世話をされたのでしょうか?
そうですね、今住んでいる人たちで25世帯程度、延べ50契約あたりでしょうか。数字としては大きくありませんが、今までゼロだったことを考えると、役には立っていると思います。
――それに加え、議員の仕事もしようと思われたのは何かきっかけがあったのですか?
僕が一人でお金の無い中で物件の売買をしている状態なので、常に手持ちの物件があるわけではないんです。資金調達にも限界があります。そんな中、ある事業者で勤めている家族が転勤で夕張で働くことになり、来月賃貸住宅を契約したいという相談が来たんです。契約しないと1世帯4人家族が外に出ちゃう。外から通うと住民税も入らない。これは何とかしなきゃならない、と思って、個人で銀行からお金を借りて、何とか探してきた中古物件を買って、10日くらいで直して貸し出すということをやったんです。
こういう地道なことを個人が一人でやっても焼け石に水だなと感じて、行政の住宅政策でまだできることはあるんじゃないかと調べてみると、職員住宅や市営住宅などは全6世帯の集合住宅があるのに1人しか入ってないというような状態だったんです。公有財産をもっと活用するべきじゃないかと市役所に提案したら、転用するのは前例が無いからできないと消極的な対応で、そういう行政の非効率な部分を少しでも改善できればという思いで議員になりました。
――議員になってから特に取り組んでいる行政課題などありますか?
やりたかった分野であっても、直接の住宅政策は自分の事業と関係してしまい、利益誘導との誤解を招きかねないため、触れることは避けています。ですので、住宅関係の中でも特に空き家対策に取り組むよう働きかけています。まずは空き家のデータベース化をすることになったので、それを活用して民間サイドでもできる事は出てくると思います。
――財政再建団体になってから、市からの補助金は全て無くなったと聞いていますが、街はどうなりましたか?
補助金に頼らずにやる団体が残っています。例えば、町内会ごとに様々な取り組みをしていて、稼げる町内会は自主財源で街灯をLEDにしたりと、税金に頼らない「自治」が行われるようになったと言えるかもしれません。そうせざるを得ないとも言えますが、本当に必要なものは必要だと思う人たちが懸命に試行錯誤し維持されるので、便利だったであろう過去を知らない僕にとっては、特に不便であるとは感じないです。補助金がある状態というのは、不必要なものも維持されてしまう甘やかされた状態なのかもしれません。
ただ、町内会によっては会費の9割以上が街灯の維持に充てられ、他の事業に全く取り組めない所があったり、財源の捻出ができず通学路ですら真っ暗闇だったりする場所もあったりするなど、自助努力による自治は格差と限界が出てきていることも事実です。
――今川さんは、札幌市に住んでいた頃と今とはどちらが住みやすいと感じますか?
100対0で夕張市に住んでいる方が良いです。生活に何も困らない。札幌よりも断然いい。車があれば通勤電車に乗らなくても良いですし。ネットがあれば、買い物にも困りません。ただ、それは僕の生活スタイルに限ってのことで、教育や医療分野はかなり削減されているので、それらが必要な住民には住みづらい環境であることは間違いないです。
――ということは、財政破綻した夕張市は、実は働き盛りの若者にとっては住みやすい場所といえるのでしょうか。
そうですね、しかも、都会だといくら能力があっても埋もれてしまいますが、それなりに能力のある人なら田舎だと変えられることが大きいということがあります。先ほど、焼け石に水と言いましたが、石のサイズが都会とは違うので、焼け石だとしても、小石であれば影響力は大きい。一人ひとりの存在感が相対的に大きくなるのです。
――今川さんも、そう感じていますか?
はい。僕は、札幌だと300人の司法書士のうちの1人でしたが、夕張では僕しかいません。夕張で人生が変わったと言えますね。自分を必要としてくれる人がいて、自分にしかできない仕事がある。とても幸せなことだと思います。様々な分野でそういうことは言えるので、いろんな分野の方が集うようなシェアハウスを作りたいと思っています。
――最後に、先日「夕張レポート」でも書かせていただきましたが、「総合計画」の上位に「財政再生計画」が位置づけられたことで、議会の権能が実質的に制限されていると見受けられますが、それについて今川さんの視点でのお考えを聞かせてください。
はい。まず、ご指摘の通り、自分たちから一般財源を伴う新たな提案をすることは、ほとんど許されていない状況ですし、総務省に承認された政策を覆すことは現実的に不可能です。そのため、議会の位置づけは監査役みたいなもので、財政再生計画中の平成41年度まで自治が制限された状態にあるといえます。
では、住民が完全に「自治」と切り離された状態であるかといえば、そうではなく、先程述べたように町内会ごとの「自治」もありますし、総合計画を作るときや、複合施設の検討委員会などに市民が入るのですが、正直、議会よりも議論が活発なんです。総合計画の検証委員会でも鋭い質問が出るので、議会よりも機能しているといえるかもしれません。
つまるところ、制度上の「自治」は制限されていますが、破綻後に残った人は、自分たちでどうにかするしか無いという気持ちなので、「自治意識」は破綻前より高まっているといえるかもしれません。市政への住民の関心や知識は、他の自治体より格段に高いと感じます。
「行政が破綻しても、私たちが破産したわけじゃない」と住民の方がおっしゃっていましたが、残った人は、それぞれの仕事を必死に生き残りを賭けて頑張っています。
僕自身も、起業してから一回も助成金を使わず、創意工夫で事業を維持しています。人口が急激に減少し確実に今の仕事が減っていく中、空いた物件を外国人やスキー客へ移住体験棟のような形で運用できないかテストマーケ中ですし、厳しい環境だからこそ自分たちの本当の力を試せる場といえるのではないでしょうか。
――「財政破綻した街」と聞くと、暗いイメージを抱いてしまいがちですが、その中でも前向きに輝いている人たちがいる、ということを感じることができました!引き続き「自分にしかできない仕事」を追求して頑張ってください!ありがとうございました。
はい!頑張ります!オンリーワンの夕張を目指しますので見ていてください!
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