「ダンスさえあれば生きていける」カナダで夢を叶えた鈴木まど佳さん―【海外で暮らすフリーランスのリアル】第4回 (2018/4/26 nomad journal)
「遠い存在だ」「自分とはちがう」。そう思われがちな、海外フリーランスという働き方。でも本当に、海外フリーランスは特別なのでしょうか?
海外フリーランサーが実際どんなふうに仕事をしてどんなふうに生活しているのか、月一度のインタビューを通してお伝えしていきます。
第4回目のインタビューに応じてくださったのは、カナダの村でダンススタジオを運営しているダンサー、鈴木まど佳さんです。
お話をうかがった方:鈴木まど佳さん
なぜダンスが生まれたのか?なぜ人は踊るのか?を探求しに世界一周の旅に出る。《レゲエの神様》ボブマーリーの孫娘ドニーシャに「革命的なダンサー」と言われる。日系スタータレントサーチ2015にて「最も記憶に残るベストパフォーマンス賞」を受賞。2017年カナダのビクトリア、マチョーズン村でダンススタジオをオープン。国際同性婚。カナダを拠点に世界各地で活動。
3歳から身を置いていた厳しいクラシックバレエの世界
ダンスの世界に足を踏み入れたのは、3歳のとき、友だちのバレエの発表会を見て「自分もやりたい!」と言ったのがきっかけです。覚えてないんですけど(笑)
通い始めたバレエ教室は本当に厳しくて、足は血だらけで爪は割れて……。いまでも、爪が割れたまま生えてくるんですよ!
それでも自分がやりたいって言ったことだし、お金がかかってるのもわかってたので、やめることはありませんでした。
自由に踊るストリートダンスの魅力に触れる
中学生のとき、『少年チャンプル』っていうダンス番組にハマっていました。知ってますか? DA PAMPがMCの深夜番組。
そこではじめて、ストリートダンスを知りました。ブレイクダンスとか、ヒップホップとか。
楽しそうに、自由に踊る人たちを見て、「これだ!」って思いましたね。それで、ヒップホップスタジオに通うことにしたんです。
高校受験のためにバレエを休んでいたうえ、バレエに挫折したタイミングだったのも大きかったのかもしれません。
ヒップホップはバレエとはちがってできない過程も楽しくて、どんどん夢中になりました。
「学べるものはない」。高校を辞めてダンスにのめり込む
高2になって、学校で職業表を配られました。「このなかからなりたいものを選びなさい」って。
そのときはもうダンサーになりたいと思っていたんですが、その表にはダンサーや歌手、漫画家、画家みたいな、クリエイティブな仕事がありませんでした。
このなかからは、わたしの将来を選べない。学校からはもうなにも学べるものがない。そう思って、高校を辞めました。
もともとわたしは、小学生のときから学校教育に疑問を感じていたんです。同じ服を着て、同じものを食べて、同じ髪形をして、同じことをして……。そういうのが、合わなかった。
高卒の資格を取るために土曜コースの高校に編入して、平日はバイトとダンス、土曜日は学校という生活が始まりました。
人はなぜ踊るんだろう?人生のテーマを掲げる
高校を卒業後、東京で一人暮らしをはじめました。
でもプロと言えるかどうかわからない立場のわたしでは、ダンスイベントに出演してもお金がもらえません。むしろチケットノルマがあったので、バイトで生計を立てていました。
当時はまだ「ダンサー」という職業が一般的じゃなくて、確立されてる最中だったんです。
ダンサーになりたいのに、ダンサーになる方法がわからない。好きなことをやっているはずなのに、自分の未来が見えない。
そんな不安を抱えているうちに、「自分はなんで踊るんだろう?」っていう根本的な部分に向き合うことになりました。
そしてそこから、「人はなぜ踊るんだろう?」「なぜダンスが生まれたんだろう?」って考えるようになって。
それがわたしの、人生のテーマになりました。
世界一周で経験した、心が震えるいくつもの出会い
そういうテーマを掲げてから、もっとダンスのことを知りたくなりました。それで、ダンスが生まれた土地である南米やアフリカを訪れる、世界一周のピースボートに参加したんです。えっと……22歳のときかな?
そこでは、奇跡のような出会いを何度も経験しました。感動っていう言葉以外、思いつきません。いい思い出……って言うとありきたりかもしれないけど、本当に、何度も心が震えました。
ホストファザーが偶然タップダンサーで朝まで踊り明かしたり、道端で踊る現地の人の輪のなかに入って一緒に踊ったり。
あと、モーリシャスという島国で、奴隷として連れて来られた人たちから生まれたセガダンスを体験したこともあります。ダンスの奥深さを感じられて、いまでもとても印象に残っていますね。
自分のダンスをなんのために使うのか?見つけた答え
旅の途中、南アフリカには、犯罪に手を染めてしまう子どもが多いことを知りました。子どもたちに夢を聞いても、ギャングや麻薬密売人という答えで……。
そこで、音楽とダンスで子どもたちに希望を与えるために、とある団体が立ち上がったんです。その団体のおかげで、子どもたちはダンサーやミュージシャンという夢を見ることができるようになったし、実際にプロが生まれています。
その話を聞いたとき、ダンスが子どもに与える影響の大きさを感じたし、「音楽やダンスは人を救えるんだ!」って感動しました。
いままでわたしは、自分のために踊っていたんです。自分が踊りたいから、踊る。
でもはじめて、ダンスの使い方を考えるようになりました。「自分はダンスを通してなにができるのかな?」って。
わたしは自分のダンスを、競争で勝つためじゃなくて、彼らのように使いたい。そう思いました。
日本に帰国、ダンス講師としての人生を歩み始める
ダンサーといっても、お金を稼ぐ手段は人によってちがいます。バックダンサーや振付師、ダンス講師はもちろん、イベントDVDやグッズを売ってお金を稼ぐ人もいます。
やっぱり王道は、チームを組んでコンテストで入賞することですね。知名度が上がれば、バックダンサーや講師として声がかかることが増えるので。
でも、高いモチベーションを保ちつつ、同じものを表現したいメンバーを見つけてずっと一緒にやっていくのって、とてもむずかしいんです。わたしは、チームでは芽が出ませんでした。
日本に帰国後、旅の出会いがきっかけでダンスレッスンをするお仕事をいただいたこともあって、ダンス講師としての活動をはじめました。
ダンスがあればどこでも生きていける。カナダへ移住
当時、旅で出会ったカナダ人の女性と付き合っていました。国際遠距離ですね。
わたしは「ダンスさえあればどこでも生きていける」という確信があったので、2015年、恋人が住むカナダのビクトリアに移住しました。
パートナーは、さまざまな人種や国籍の人がともに学ぶ全寮制の学校、ピアソンカレッジの英語教師をやっています。
わたしもパートナーと一緒にカレッジに住んで、寮生をサポートするハウスペアレンツとして活動しています。
ピアソンカレッジのダンスアクティビティも担当しているので、世界中から集まった生徒たちと一緒に踊っています。今でも旅をしているような感覚ですね。
あとはバンクーバーでダンスを教えたり、ワークショップをしたり、美術館で踊らせてもらうっていう貴重な経験をしたり……。
そうだ、インスタから連絡をいただいて、「うちの高校のダンスの授業の特別ゲストとして参加してくれないか?」と言われたこともありました。
カナダの小さな村で、自分のスタジオをイチから作り上げる
住んでいる村にあるカフェの隣に、空きスペースがあったんです。ちょっと見てみたら、もうそこに一目ぼれしちゃって。「ダンスを教えるならこの場所しかない!」って思いました。壁に穴が空いてましたけど(笑)
「ここでダンススタジオをはじめる」と決めたはいいものの、保険に入ったりビジネスライセンスを取得したり、わからないことだらけで大変でした。使ったことがない単語ばかりでてくるし、書類は多いしで……。
それでも、自分のスタジオを、絶対にここでオープンさせたかった。
リスクを覚悟で挑戦した夢
実はわたし、東京で一度「スタジオをもたないか」って声をかけてもらったことがあるんです。「これもしたい」「あれもしたい」ってアイディアをノートに書いて、打ち合わせをして、準備を進めていました。
でもいろいろあって、結局は叶えられませんでした。すごく悔しかったですね。
だから、ここでスタジオをやるかやらないかって考えたとき、「あのとき一度夢を逃してしまっているから今回やらなきゃ一生実現しない」って思ったんです。
賃貸契約に不安はあったけど、「リスクなしで叶う夢なんてない」と思って、挑戦することに決めました。
だれかと一緒に踊れる幸せ。気がついたら夢が叶っていた
2017年1月、カナダのマチョーズン村で、『ダンススタジオMovementDance Studio』をオープンしました。
多くの人の支えがあって実現したわたしの夢です。もう、感謝しかありません。だれかと一緒に踊れるって、幸せです。
スタジオを始めてから、子どもの誕生日会で踊ってほしいとか、ワークショップをしてほしいとか、そういうふうに声をかけていただくことも増えました。学校に出張レッスンをしに行くこともあります。
そういえばこの前、家で、昔のアイディアノートを見つけたんですよ。東京でスタジオをもったらやりたいことを書いていたノート。
見てみたら、当時やりたいと思っていたことが叶ってたんです。このビクトリアの小さな村で。「やっぱりやってよかったー!」って思いました。
これからも、自分のスタジオで子どもの創造性を伸ばすダンスレッスンをしていきたいですね。
チャンスがあれば、ちがう分野で活動しているアーティストともコラボしてみたいです。ビートボクサーや音楽家、画家とか。
「旅するダンサー」の物語は、まだまだ続く。
いまのところ、日本に戻ったり、ダンスチームを組んで活動する予定はありませんね。自分のスタジオもあるし。
夢を叶える方法を探し続けた結果、「自分」というオリジナリティをどうやって上乗せしていくかが大事なんだと気づきました。
自分は、なにを表現したいんだろう。なんで踊りたいんだろう。なんで人は踊るんだろう。なんでダンスがあるんだろう。
そうやって自分と自分のダンスと向き合いながら、ダンスを通じて、多くの人と繋がっていきたいと思っています。
――ありがとうございました!
- お話をうかがった方:鈴木まど佳さん
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https://twitter.com/madocanada - まど佳さんのスタジオMovement Dance Studio
https://movementdance1.wixsite.com/studio
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