「北海道は、札幌は最高だ!」南極で野菜を育てた男、“旅人生”の到着地点 (2016/9/28 70seeds)
旅先で新たな仲間に出会えるとあって、全国的に増えてきているゲストハウス。ここ札幌でも増えていますが、その中で「北海道の良さ・札幌の良さ」を伝えることをコンセプトにしたゲストハウスがまもなく設立2周年を迎えます。
関東以北最大の繁華街・ススキノから東に徒歩3分もかからない場所にある一軒家。『SappoLodge』という小さな看板を目印にドアをくぐると、そこには手作り感満載の木材を利用したログハウス風の内装が。
その『SappoLodge』のオーナー・奈良亘さんは、札幌生まれ札幌育ちの43歳。小学生時代に旅に目覚め、海外への一人旅、山岳ガイド、南極探検隊を経てこのゲストハウスを立ち上げました。「世界40か国を回ってわかったのは……地元だというひいき目を除いても、札幌が最高の土地だということです」という奈良さん。全世界から旅人を迎える立場になった探検家は、何を経験してきたのでしょうか。
授業中、時刻表で乗り継ぎをシミュレーションしていた中学時代
――奈良さんは山岳ガイドをしながらゲストハウスを運営されていますが、いつからアウトドアに興味を持ったんですか?
僕が小学校のときは今と違って、子供たちは学校が休みの日は朝から晩まで外で遊びまわっていたものです。あるとき「このサイクリングロードの先には何があるのだろう」と。見に行くためには電車に乗らないとダメだったので、お年玉を握りしめて電車でどんどん行ってしまいました。
――小学生のときに!?
普段森の中で遊んでいる延長ですよ(笑)。親もまさかそんな遠くまで行っているとは思ってなかったと思いますが。授業中も、教科書の間に忍ばせておいた時刻表を見ながら『ここで乗り継げば、ここまで行けるな』って。中学時代に、北海道の全路線を制覇しましたよ。
――それは凄いですね(笑)。
今は廃線したところも多くなっていますが、当時は全道いたるところに電車が走っていましたから。楽しかったのは、目的地に着くよりも途中で素晴らしい景色に出会ったときですね。途中で降りて、駅の周りを散歩してまた電車に乗って。この頃から、旅は思い通りにいかないのが魅力だと気付いていたんでしょうね。
――その延長で海外に飛び出したわけですか?
ところが高校時代に器械体操を始めたところ、短期間で上達してしまって……大学時代はインカレの北海道大会で優勝するくらいになったんです。でも、そのためには毎日練習が必要でした。器械体操は、1日練習を休むと3日分の遅れになるといわれるくらいバランスが大切な競技です。そのストイックに練習して上達することに魅せられて、旅は全然できませんでした。
南米で体感した、「生きる」こと
――大学時代は旅に出たい!という思いはなかったんですか?
ありましたよ(笑)。それで大学4年生のときに、インカレも終わって周りのみんなが卒論を書き始めるくらいにはすでに卒論を完成させて、南アメリカに行くことにしました。せっかくなので、日本の正反対に行ってやろうと。大学生だったのでお金が足りなくて、弟に借金して4か月間行ってきました。
――南米といえば、治安があまり良くないとも聞きますが…。
実は着いて5日目くらいですか、10人近い男に囲まれて身ぐるみ剥がされまして。彼らはお金さえ手に入ればいいので、財布からお金を抜いて航空券やパスポートは無事でした。もともと貧乏旅行のつもりでテントを持参していたので宿泊はそれでしのいで……パスタにケチャップをかけただけの食事のときもありました。
――いきなりハードな海外体験ですね。
でも、そのときに『生きてるなあ』と感じたんです。(襲われたという)精神的なダメージは大きかったのですが、心は豊かだったというか。「彼らはこうやって一生懸命生きているんだ」と。僕がもし貧困にあえぐ立場だったら、先頭を切ってやっていたかもしれないとも思ったんです。たまたま日本に生まれたから、こうして暮らしていますが。
――それは深いですね。
街中は危険だということで、アンデス山脈の方に移動したら、原住民がじゃがいもを栽培している場面に出くわしました。つい先日襲撃された同じ国の人から、食事を分けてもらえたんです。本当にカルチャーショックでしたよ、未知の世界がたくさんあるって。それでその国のことをもっと知りたくなって、予定よりかなり長い1か月滞在することになりました。
毎年1か月の休暇をもらうサラリーマンに
――帰国後は就職ですよね。まさか就職先も旅がらみ…?
はい(笑)。せっかくアウトドアが好きなのでそれを活かしたいと思って、旅行代理店に就職しました。その会社というのが、役員クラスが全員山岳部出身なので、マニアックな山岳ガイドツアーを組んでいたんです。いわゆる観光地だけを回るツアーはつまらないなあと感じていたので、その会社にどうしても入りたくて。それで入社してから、自分の旅をするために毎年1か月休みをもらえるよう交渉しました。
――サラリーマンとしてはなかなか大胆ですね(笑)。
最初は上司も渋ってましたけど、山岳部出身だけあって『旅をしたい』という気持ちをわかってくれました。その代わり、めちゃくちゃ働かされましたけど(笑)。で、いざ1か月休みを取って旅に出るときには『お前は平社員だからいいよなあ、うらやましい!』と送り出してくれました。
――さすがですね、その上司の方も。
本当に楽しかったですね。ツアーの企画も自分でやっていたので、自分が登りたい山や宿泊先をセッティングできるんです。よくお客さんに『奈良さんが一番楽しんでいるんじゃないの?』と言われていました。それは…たぶん、事実です(笑)。お金をいただいて、自分の好きな場所に行けるんですから。
SappoLodgeで世界中に伝えたい、北海道の素晴らしさ
――その旅行代理店生活が終わったのが、南極探検隊に行くことになったからなんですね。
世界40か国を回ったので、次は南極しかないだろうと。それで上司に『南極に行くので会社辞めます』と伝えたのですが、公募で落ちてしまって(笑)。で、1年後に無事公募で受かって、会社を辞めて南極の昭和基地に行きました。
――具体的にはどんなお仕事で行ったのですか?
医師や料理人、ガイドなど専門職に分かれていて、僕はガイドでした。研究者の皆さんが無事に研究を続けられるようにするのが僕の役目で、最初に東京で4か月準備をするのですが、基地で生活する探検隊のメンバーが身に着けるものを用意するところからスタートしました。北海道出身なので寒さ対策はバッチリでした。ただ、南極はマイナス45度の世界ですから、レベルは違うんですけど。
――その中でどれくらいの期間生活されていたんですか?
1年4か月ですね。僕は53次なので、タロ・ジロが初めて南極に行った時から53年が経過していたわけです。日本の技術は本当に素晴らしくて、基地自体は常に最先端の技術で快適に暮らせます。ただ自然は50年間変わっていないので、オーロラなど未知の世界ばかりでした。その中で研究者が研究に没頭できるようにするのが僕の仕事でしたから、本当にやりがいがありました。
――そして帰国後、山岳ガイドとゲストハウスを立ち上げたんですね。
世界中を回って感じたことは、札幌は最高の場所だということです。人口が200万人という都市なのに自然がたくさんあって、アウトドアやウィンタースポーツを楽しめる場所がすぐそばにある……こんな場所、世界中どこを探してもないですよ。それで、世界中から札幌に来る人たちのために、『北海道は、札幌はこんなに素晴らしいんだよ』と思ってもらえるようなゲストハウスにしました。
――例えばどのような点ですか?
宿泊者以外が楽しめるバーもあるのですが、バーカウンターや休憩室の机はすべて大雪山で倒れていた木を自分で加工して作りました。森の所持者にお願いして木を分けてもらって、4tトラックに乗せて持って帰って来て……。色々な仲間たちがボランティアで手伝ってくれたおかげで、北海道の木を使った階段や屋根もできました。あとは、薪ストーブですね。断熱材には札幌軟石(数万年前の噴火で火山灰が堆積してできた石)を使っています。
――そういえば先程鮭が届きました。
僕の先輩がウトロ(知床の地名)から送ってくれました。北海道産の食材を使っているお店はたくさんありますが、知り合いの道民から仕入れているのはなかなかないでしょ(笑)。魚も野菜もコミュニケーションを取りながら仕入れていますよ。
――これまでの奈良さんの人生が凝縮された場所ですね。
南極は何もない世界です。でも、野菜が食べたいと思えば水耕栽培と照明で何とか作ったり、魚が食べたいと思えば7mの厚さの氷に穴をあけて釣り竿を垂らしたり……やろうと思えば何とかなるということを学んだので、このゲストハウスも全部自分の手で作ろうと思ったんですよね。
――これからやってみたいことはどんなことですか?
ゲストハウスももうすぐ2年を迎えるので少し落ち着いてきたので、ガイドに力を入れたいなと思っています。これまでは北海道の人を世界各地にガイドしてきましたが、せっかくゲストハウスに世界からお客さんが集まって来るので、海外のお客さんを北海道の素晴らしい自然が体験できる場所へガイドしたいですね。『SappoLodge』が、僕が生まれ育った札幌、北海道の素晴らしさを伝えるためのゲストハウスになればと思います。
【取材を終えて】
これだけの経験をしている方なので、出てくる話出てくる話が刺激的で新鮮でした。そして、全世界を見てきたからこそわかる札幌の素晴らしさもありました。アウトドアが好きな方はもちろんですが、これからアウトドアに挑戦してみたい方も奈良さんのお話は参考になるはずです。「明日どんな人がやってくるのかわからないのも、ゲストハウスの魅力ですね」と奈良さん。駅のように多くの旅人がやって来ては旅立っていくゲストハウスのオーナーではありますが、ガイド業をもっと広げていきたいという奈良さん自身の旅もまだまだ続きそうです。
【ライター・橋場了吾】
北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。 北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。
- 関連記事
- 授業にシミュレーションはいらない―札幌大通高校“地域人”先生の「開かれた学校」づくり
- 【元県庁職員が行く!】夕張レポート(前編)
- 地方に一石投じることはできたのか、初代地方創生相石破氏の功罪
- メンタルヘルスをこじらせたので仕事を辞めて「地域おこし協力隊」になりました!
- 「週末の田舎暮らし」の神奈川で二地域居住という選択