【龍馬プロジェクトリレーコラム】
第51回 理想とする政治家像と選挙の洗礼 (2015/4/3 植竹哲也/龍馬プロジェクト 関東ブロック所属)
「地方から日本を変える」を合言葉に、日本全国の国会議員や地方議員などが超党派で集まった『龍馬プロジェクト』。政治山では、龍馬プロジェクトの思いに賛同した若手議員によるリレーコラムを連載しています。龍馬プロジェクト関東ブロック所属の植竹哲也氏による「理想とする政治家像と選挙の洗礼」をお届けします。
政治との関わり
私は参議院議員の祖父と衆議院議員の父親という政治家の家系で育ちました。私が幼少のころより父は政治活動に勤しんでいたため、父と顔を合わす機会は少なく、「お父さんたちはいつも何をしているの?」と尋ねれば「歩いている」という答えが返ってくるように、子どものころから「歩く(=地回り活動)」などの専門用語や地元選挙中心の日常会話を聞かされながら、父が地盤造りにまい進する姿を見ておりました。
私が携わった最初の選挙は中選挙区制として最後に行われた1993年の総選挙で、当時は秘書ではなく候補者の息子として、地元の案内人を頼りに毎日500軒以上の戸別訪問や毎晩の個人演説会での支持者へのお願い挨拶に奔走しました。残念ながらこの選挙では父は落選し、私にとっては苦く厳しい初体験となりました。
理想の政治家像
生前の父もよく語っていましたが、わが家の政治家心得は「政治哲学を忘れず、奉仕の真心と謙虚さと共にバランス感覚を発揮する」です。
私の考える政治哲学は、創造・指導者としての自覚と国民への奉仕精神で国を導いて行くことです。政治家は真の正義や幸福問題を徹底的に探求する必要があり、自らの愛と徳と英知で国民を感化し、彼らの潜在能力を引き出しながら良き社会環境を創造していくことが重要だと思います。他方、国民の多様な意見を汲み上げ、彼らの政治参加を促して協同的に社会を発展させて行くことがとても大切で、幅広く水平的に物事を取り上げるためには国民――特に地域市民との交流活動は不可欠だと思います。
私は「情熱・責任感・判断力の3つの資質が政治家に重要」と説くウェーバー論に共感しています。情熱は担うべき仕事に対する実働の源にあるべきもので、これがベースになければ人を感化することも責任を全うすることもできず、また政治的決断は政治意識の自覚を伴いながら現実をあるがままに受けとめた上でなければ方向を見誤ります。特に判断力については『真心』の心情倫理と『謙虚さ』で実状判断する責任倫理が重要だと感じています。
総じて、「道徳と調和した人格的資質」「卓越した創造・指導力の発揮」「民主的に社会全体を見通す洞察力」の3つを重視した価値基準こそが、統率すべきバランス感覚だと私は考えます。そして国民の老若男女の幸せを見守り、生涯を通して国に最善を尽すことこそが真の政治だと思います。
初めての立候補
まず、小選挙区制への選挙制度移行時において、落選中の父が自民党公認候補として小選挙区から純粋比例代表へと余儀なくされた経緯があり、2005年郵政解散時に父が引退したのを機に私が小選挙区から出馬するのには難しいものがありました。それでも私は自民党の現職代議士らを相手に無所属での立候補を決意したのですが、当時の自民党幹事長の指導もあって出馬を断念しました。
私はその総選挙投票日の翌日早朝より栃木県小山市で駅頭演説を開始し、市内に事務所を新設して前述の政治理念を胸に次の国政選挙に向けて準備を進めました。
次の解散は4年後の2009年でした。当時の麻生総理政権下では年金問題ほか長期自民党政権に対する国民の不信感と人気取りの選挙対策が裏目に出て自民党離れが漂い、その一方で民主党のバラマキ迎合政策には疑問を抱く評論家の声も少なくない状況でした。
当時の私は解散の2年前から無所属平沼グループに所属し、平沼赳夫代議士と正しい保守の道を再構築すべきという信念の下、自民・民主の著名な現職相手に厳しい戦いは承知の上で次への足掛かりになることを信じ、総選挙に挑みました。
大雨の総決起大会で2000人を超す賛同者と共に選挙スタートを切り、中間世論調査では劣勢でも一定票は期待できるという情報を得ながら自身でも手応えを感じての闘いでした。しかし、結果は法定得票数にも満たず惨敗に終わり、民主・自民の両現職は選挙区・比例区で共に当選し、結局構図は変わらないまま政権交代選挙の狭間に私は埋没してしまいました。
敗因分析
自身の能力や努力不足が選挙民の信用・信頼をつかめなかったことは否めませんが、メディアを通じた総選挙での無所属個人の浸透性は容易ではありません。特に無党派層に対する情報コストという課題が立ちはだかります。
小選挙区制の特徴は、選挙区内で最大得票数を獲得したもの1人のみが当選となるため、世間に認知された大政党からの公認候補者がより有利だということ、世論の影響を受けながら小選挙区への投票は、政権与党に対して信任か不信任かという判断要素が強いということです。そしてそれぞれの政党の実績や方向性、党首のイメージ等で是か非かを判断する傾向にあり、各党の個別候補者の資質も判断材料ですが、政党イメージが優先されることの方が遥かに大きいのです。
また有権者の心理的効果が働き、小選挙区での当選の可能性が低い第三政党や無所属候補者への投票は死票として無駄になるという判断から、人物評価よりも政党主体で勝ち馬に乗るという動向があることも分りました。
私は世襲候補者として選挙区内では一定の知名度はあるものの、必ずしも選挙を有利に進められた訳ではなく、実は政党組織力を掌握する選挙区支部長に就任することが、圧倒的に選挙を有利に運べるポイントだったのだと体験して分ったのです。
また誤算の1つに長年行動を共にしてきた後援会メンバーの約半数が、現職の自民党代議士の陣営へと離反してしまったことがありました。彼らにとって自民党保守を基調とした支持組織という裏付けは、後援会員よりも濃かったのです。
私はこの立候補経験から現行の選挙制度に大いに疑問を感じるようになり、政権を取ることが目的の大政党による浮動票(無党派層)の獲得に終始するあまり、イデオロギー論や政策論争の幅が狭まり、選挙制度そのものが本来の議会制民主主義のあり方からかけ離れていると感じております。
その後の政治活動
2012年の総選挙では所属の「旧たちあがれ日本」が日本維新の会と合併され、同党の公認申請を志願するも他党との選挙協力の合意に基づき公認は見送られ、小選挙区での再挑戦は叶わず、純粋比例の順位でも上位優遇されずに落選しました。
直近の2014年総選挙では「次世代の党」からの立候補を検討しましたが、政党支持率の低さと上記の敗因理由が浮上したため出馬を断念いたしました。今後も自分の信念にブレることなく、あらゆるチャンスを選択して政界への挑戦を続けます!
- 著者プロフィール
植竹 哲也(うえたけ てつや)
1969年12月26日(45歳)東京都渋谷区生まれ、慶應義塾大学法学部卒。生活雑貨品メーカに勤務し卸売販売業務を経て、同社の中国瀋陽工場にて再生資源による製品開発及び生産管理を担当。同社退任後、自民党衆議院議員の公設秘書として勤務。第44回衆議院総選挙にて無所属小選挙区で出馬し落選。第45回衆議院総選挙にて日本維新の会北関東比例代表で出馬し落選。同党及び次世代の党の特別スタッフとして第45・46回総選挙関東圏の遊説責任者を務めた経験あり。現在は、生鮮食品販売会社役員、NPO法人理事長、次世代の党所属。
- 龍馬プロジェクト リレーコラム
- 第50回 住民全体の利益を目指す候補者の厳しい実情(倉掛 賢裕)
- 第49回 二度の国政選挙を戦って(杉田 水脈)
- 第48回 10年先の将来を目指して(阿部 利基)
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