【LM推進地議連連載/リレーコラム47~地方議員は今~】
第80回 <緊急寄稿>全国初、通年議会の廃止へ(前編) (2014/4/3 長崎県議会議員 松島完氏/LM推進地議連会員)
政治山では、政策立案を行う「政策型議員」を目指す地方議員らで構成される「ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟」(略称:LM推進地議連)と連携し、連載・コラムを掲載します。地域主権、地方分権時代をリードし、真の地方自治を確立し実践するために設立された団体のメンバーが、それぞれの実践や自らの考えを毎週発信していきます。現在は、全国47都道府県の議員にご登場いただき、地域の特色や問題点などを語っていただく「リレーコラム47~地方議員は今~」を連載しています。
議会改革の1つとして、自治体議会で検討されるようになった「通年議会」。都道府県では2012年に先陣を切って導入した長崎県でしたが、2013年度いっぱいで「通年議会」の廃止を決めました。長崎県議会に何が起こったのでしょうか。現職の県議で、廃止に反対した松島完氏からの緊急寄稿です。
◇ ◇ ◇
事の発端~連立会派の動き~
2014年2月緊急議会にて、自由民主党会派(以下、自民党会派)が通年議会の廃止案を提出した。即日採決され、賛否の数は、賛成26人(自民党会派22人、公明党会派3人、無所属1人会派の方)、反対18人(連立会派17人、共産党1人会派の方)であった。事実を丁寧に述べていくが、まず筆者の立場を明らかにすると、無所属の議員であり、反対票を投じた連立会派の一員であることを前置きとして述べておく。
最初に、連立会派について説明をすべきであろう。2011年の統一地方選挙を経て、新しく46人の長崎県議会議員が誕生した。すぐに起こったのが、自民党の内紛による分派騒動であった。いわゆる内部の権力闘争である。ここで、分派騒動の渦中にあった自民党議員の一部と、民主党議員、社民党議員、無所属議員にて政策協議を重ね、長崎県政史上初の連立会派が誕生した。自民系の会派(6人)、民主社民系の会派(14人)、無所属の会派(3人)、この3つの会派による連立である。連立会派は、議員数が23人となり、最大会派となった。地域主権、議会改革、震災復興対策の推進という3つの柱からなる政策協定を結んで結成された。
連立会派の誕生から議会改革の動きが活発になった。議会改革の特別委員会も立ち上がり、議会基本条例制定のワーキンググループも立ち上がった。議会改革の特別委員会にて、一般質問の回数についての検討をし、増やすことを決定した。また、常任委員会の審査日数についての検討もし、増やす決定をした(表1参照)。常任委員会の審査日数を増やすことで、参考人招致の活用や迅速な現地調査、集中審査、委員間討議等の日程が確保された。
<表1:一般質問と常任委員会>
従前 | 改革後 | |
---|---|---|
一般質問 | 1議員につき年間1回のみ | 希望者は、年間2回も可能 (ただし、任期中の1年間に限り) |
常任委員会 | 1委員会あたり、定例会ごとに3~4日間開催 | 1委員会あたり、定例月議会ごとに10日間開催 (後に再検討し7日間へ短縮) |
2012年3月、全会一致で議会基本条例が制定された。同日、通年議会の導入も可決(2012年3月16日可決、同年4月1日施行)された。条例制定検討協議会と広聴広報協議会も設置された。条例制定検討協議会では、検討を重ね、2013年5月に、障害者の差別を禁止する条例が制定された(正式名称:障害のある人もない人も共に生きる平和な長崎県づくり条例)。議員提案条例も活発になり、総務委員会提案で防災条例も制定された(正式名称:みんなで取り組む災害に強い長崎県づくり条例)。
広聴広報協議会では、議会基本条例に基づき、あらゆる媒体を通じた情報発信の改革を実施した。まず、(1)新聞「県議会だより」の大幅リニューアルを実施した。今までは議会事務局に丸投げし一切議員が関わっていなかった新聞づくりにメスを入れ、議員自身が記事を書く形へ変え、紙面を見やすくする工夫も凝らした。(2)県内各地で県議会を伝える「議会報告会」の開催を実施した。(3)県民の皆様と情報を共有するため、常任委員会にカメラを入れ、「インターネット中継」(ユーストリーム配信)を行うようにした。ライブでも録画でも見られるようにした。(4)分かりにくい県議会のホームページに「子どものページ」をつくり、あらゆる世代に分かりやすく伝える工夫をした。
そして、(5)県議会フェイスブックページの開設、(6)県議会テレビ放送のリニューアル、この2つを議論している最中、県議会の体制に変化があり、自民党会派が最大会派となった。ここが大きな分岐点となった。正確に言えば、この分岐点の前には、2012年末の自民党による政権奪還が起こっており、その後、県議会の会派間の引き抜きが激しさを増し、また県議補選等もあって、2014年1月自民党会派が最大会派へ返り咲いた。ここから自民党会派の巻き返しが始まった。
事の巻き返し~自民党会派の動き~
会派構成が変わって、すぐさま通年議会の廃止が自民党会派より提案された。進めていた県議会フェイスブックページの開設にも待ったが入った。県議会だより、議会報告会、インターネット中継など、これまで実施してきた改革もゼロに戻す不安が現実味を帯びてきた。自民党会派から、そもそもの存在を打ち消す、条例制定検討協議会と広聴広報協議会の廃止案まで、議会運営委員会に提出された。条例制定検討協議会も広聴広報協議会もメンバーには、もちろん自民党会派の議員も入っており、議論を重ねてきたのだが、協議会の存在そのものを否定されており残念である。
広聴広報協議会の座長を務めている立場から、個人的な所感を言わせてもらえば、広聴広報協議会では一度たりとも政局の争いはなかったし、自民党会派だろうが連立会派だろうが関係なく、活発な議論を交わしてつくり上げていったことは胸を張って言うことができる。若手中心のメンバーであったからこそ良い関係が築けたのだろうが、理想の議論の形であったと思っており、だからこそ、今回のさまざまな否定(あらゆることを元に戻す)は、残念でならない。
また、“連立”会派という形も認めない方針が自民党より出され、3つの会派から構成されていた連立会派は解消された。しかし、連立を組んでいた3つの会派は、統一の1つの会派に形を変え、メンバーはそのまま残った(連立会派という名称はなくなったが、以下も、便宜上「連立会派」と表現する)。
通年議会が都道府県としては全国初で導入され、2年を経て、今回の廃止に至った。通年議会の“廃止”も、もちろん全国初である。
2年前の2012年3月、通年議会は導入された。その時の、賛否の数は、賛成24人(連立会派22人、共産党会派の方1人と無所属1人会派の方)、反対20人(自民党会派17名人と公明党会派3人)であった。2014年2月、通年議会の廃止が可決された。賛否の数は、賛成26人(自民党会派22人、公明党会派3人、無所属1人会派の方)、反対18人(連立会派17人、共産党1人会派の方)であった。
導入時にしろ廃止時にしろ、賛否は真っ二つに割れているのが分かる。主な政局は表2に記載した。通年議会の賛否は、政局そのものと言えるかもしれない。賛否の数は、その時点の会派人数と同数である。要は、連立会派と共産党会派が通年議会の導入へ賛成で、自民党会派と公明党会派が反対であるということである。
<表2:主な政局>
年月 | 主な政局 | 通年議会の動向 |
---|---|---|
2011年6月 | 連立会派が結成され最大会派へ | |
2012年3月 | 通年議会の導入(賛成24人、反対20人) | |
2012年12月 | 国政選挙にて自民党が政権奪還 | |
2014年2月 | 自民党会派が22名となり最大会派へ | 通年議会の廃止(賛成26人、反対18人) |
以下、正確を期すために、冒頭に自民党発言を引用しながら、通年議会廃止についての自民党の主張とそれに対する私の反駁(ばく)について、丁寧に述べていく。
自民党が主張した通年議会の廃止理由(1)
「地域活動の制限、職員の負担増」
自民党議員の公式発言によると、通年議会導入により、議員と県職員が拘束される時間が長すぎるとのことであった。特筆すべきことが、2014年1月に実施された知事選の応援で、自民党議員が「年間200日も拘束された」と主張され、通年議会の否定を連呼されていた。そもそも知事選でなぜそんな発言をしたのか読者は疑問に感じると思うので、簡単に説明を付け加える。
知事選は、現職と共産党候補者との戦いであった。現職側の選挙を取り仕切ったのが自民党であり、選対本部長が前知事で現国会議員の方であった。候補者本人は通年議会に触れていなかったが、応援演説に立った自民党議員が通年議会の否定を連呼していた。同時に、「来年の統一地方選もよろしく」と言われていたので、知事選を通じて、県議会で対立する連立会派が中心となって実施した通年議会を否定する形で、自民党の勢力拡大を図られたと思われる。
年間200日拘束されたのかどうか、どれだけ拘束されたのかを正確に調べてみた。以下の表3は、実際に会議があった日数である*1。
<表3:実際に開催された会議日数>
2011年(通年議会導入前) | 2012年(通年議会) | 2013年(通年議会) |
---|---|---|
52日 | 79日 | 62日 |
実際に拘束された日数は、表3の日数が全議員に共通するもので、この数字に特別委員会や協議会等の日を足すことになる(議員個人によって異なる)。こうして実際にあった会議日数を正確に数えると、年間200日という数値は出てこない。最も多く特別委員会に出席した議員でさえ、はるか届かない数値である。あたかも多くの議員が年間200日も会議をしたかのような誤解を与えていたが、冷静にカウントすると、県民の方々の意見を反映させる会議(議会)の日数は、表3の通り決して多くないことがわかる。
そもそも憲法93条には、議会=議事機関と記載されている。議事とは会合して審議することである。したがって、議会とは、会合して審議する組織であり場である。議員は議会が第一の仕事場である。議会での審議が議会人としての第一の仕事である。地域活動の制限という言葉を盾に、議会を重視しないことは本末転倒である。
議員は、地域活動や選挙活動に比重がかかり過ぎていて、議会が形式だけの学芸会に成り下がっていたのが現状である。議会が議論の場として機能していなかったのがこれまでであり、通年議会導入前が、そもそも議会活動が形がい化しており、議会本来の役割が充分に果たせていなかった側面がある。「議員や職員は、成果を出すため、もっと働いてほしい」という県民の方々の声に真摯(し)に向き合う必要がある。
職員負担については、職員の方々の負担を軽減するために、常任委員会では質問の事前通告制を導入し、さらには職員の出席範囲を絞り込み、少数精鋭にしてもらったりもした。また、経費が増えることを県民の皆様への負担にしないよう、議員報酬等の削減も実施した。2年間で計1億円の削減である。
*1日数は、本会議・常任委員会・予算決算委員会の合計である。注意点は、4つある常任委員会をダブルカウントしていないことである。なぜなら、同日開催だからである。また特別委員会をカウントしていないのは、議員全員が関わっているわけではなく、議員個人によって違いがあるためである。さらに、2013年の62日という数値は、これを書いている現在が3月上旬で閉会予定日が3月28日のため、見込みの数値となる。
自民党が主張した通年議会の廃止理由(2)
「(導入そのものが)時期尚早、慎重に検討すべきだった」
通年議会の導入にあたっては、議会改革の特別委員会で計8回の議論をし、議会基本条例のワーキンググループでの協議も含めれば、10回を超える検討を実施している。さらには、県民の方々を招いて公開討論会も実施し、参加者は長崎市が約150人、佐世保市が約130人、大村市が約340人であった。間違いなく導入においては、慎重な検討を重ねている。検討を重ね、それこそ議論のための議論ではないので、一定の答えを出そうと採決に至った。結果、賛成24、反対20で可決された。この賛否が分かれたことが後の廃止案へつながる要因となったのかもしれないが、当時はこれだけ議論して通年議会の導入に反対するなら、何年かけて議論しても反対されるだろうという感触はあった。
一方、通年議会の“廃止”にあたっては、実質的な検証や検討は皆無であった。議会運営委員会に廃止案が提出され、本会議で採決され、賛成26、反対18で可決された。委員会での検証や県民の方々を招いての検証を再三自民党側にお願いしたものの、「自民党内では検討した」と述べるにとどまり、議会としての検証や検討はゼロであった。
導入から2年を経て、この間、国では自民党による政権奪還が起き、県議会の数も逆転した。数の逆転が起きてすぐ、この廃止の提案であった。廃止ありきであったことは明白であった。メリットとデメリットや修正点も含め、2年間実施してきた通年議会の検証を尽くすべきであった。検証を尽くして、県民の方々へ示すべきであった。これは明らかに議論の封鎖であった。
自民党は公式発言で「通年議会の制度を完全に否定したわけではない」と言っている。では何を肯定し何を否定したのか、それぞれ明確にすべきであった。検証を尽くすべきであった。議会として検討しなかったことは禍根を残したといえる。
自民党が主張した通年議会の廃止理由(3)
「議会の根幹にかかわることは、全会一致を原則とすべき」
(通年議会導入は全会一致ではなかったので、廃止にすべきとするもの)
もちろん理想は全会一致である。ただし、例えばこれまでの長崎県政の最重要事項の中で、県庁舎移転問題、石木ダム建設問題、諫早湾干拓開門問題、どれだけ全会一致があったであろうか。また、胸を張って、全会一致にすべきというのであるなら、今回の通年議会“廃止”も議会の根幹にかかわることであるので、全会一致を目指し、まず何より検討の場を設けるべきであった。検討の場さえ設けなかったので、全会一致なんて目指していないことは自明であった。発言と行動の矛盾が際立った。
全会一致は理想であって現実は厳しい。全会一致を条件にしていたなら、10年経っても通年議会は導入されなかっただろうという実感がある。
(追記だが、2014年3月末に、一般質問の回数を減らす提案、委員会の審査日数を減らす提案が、自民党会派からなされ、起立採決で可決された。舌の根も乾かぬうちに、「全会一致にすべき」という姿勢を覆した)
- 松島 完(まつしま かん):1979年長崎県南島原市生まれ。明治大学(政経学部)卒、英国ブラッドフォード大学大学院(公共政策専攻)留学、早稲田大学大学院(公共経営研究科)修了。27歳で長崎県議会議員に初当選。現在、2期目。無所属。第6回マニフェスト大賞優秀コミュニケーション賞受賞。著書『経済成長から社会再生の時代へ―長崎県へ”人と人とのつながり(ソーシャル・キャピタル)を豊かにする政策”の提言―』文芸社(2010)。
HP:長崎県議会議員 松島かん オフィシャルウェブサイト
Facebook:kan.matsushima
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