平昌パラリンピック文化プログラム―韓国色満載の文化を発信 (2018/3/27 日本財団)
「韓国色満載の文化を発信」
開会式が行われたオリンピックスタジアムの正面に、巨大なモニュメントが存在する。5色の輪から続く大きな彫刻にはスキーやアイスホッケー、スノーボードなどパラリンピック競技を模した人形が乗る。それが「文化パラリンピック」の象徴だという。
平昌大会では「文化オリンピック」「文化パラリンピック」と称して、数多くの文化プログラムが実施された。
オリンピックパーク内では、韓国の伝導的な家屋が再現され、建屋のなかで伝統的な芸術作品が展示されてひと目を引いた。この大会は「ICT」大会を標榜、開会式会場そばに「Culture-ICT Pavilion」が設けられ、なかでは情報通信技術を駆使した展示が行われていた。
そのICTパビリオンをのぞくと、光と映像を駆使したモダンアートが数多く展示されており、いくつも受像器をならべた壁や巨大な亀のかたちのオブジェが置かれた空間がひと目を引いた。亀は甲羅のかわりに受像器を背負う。入館者は亀のそばに近づいてもいいし、階段状のスペースでみていてもいいし、上から全体像を眺めることも可能だ。1人ひとりに考えさせることをテーマにしているのかもしれない。
階上のスペースでは、ハイテクロボットの魚を泳がせるプールに人だかり。4D、5Dの機器を用いたボブスレーやスノーボードの体験コーナーと共に、親子連れの人気を集めていた。
建物の外の広場では、伝統的な踊りが披露され、近くの小さな建物では、韓国伝統のデザインを彩色体験できるスペースが用意されていた。多種多様なプログラムが実施され、どこかお祭りムードを盛り上げている。また、パーク内や会場周囲の道路を韓国民謡アリランを歌い、踊る一団も。これも、パレードと名付けられた文化的な催しだった。
体験型展示はオリンピックパーク内に設けられたオフィシャルスポンサーのサムスン、現代、起亜、K-ガスなどのパビリオンでも行われ、商品展示とともに人気を集め、高速鉄道の江陵駅前など街頭にもそうしたブースが設けられた。手軽な体験に行列ができていたが、総じて展示系は企業アピールの色彩が強く、若干、文化プログラムとしては違和感も覚えた。
一方、絵画や写真展、コンサートやミュージカルなど伝統的なプログラムも用意され、さまざまな場所でさまざまに「文化を体験する」試みがなされていた。これは、2016年リオデジャネイロ大会ではあまり見られなかった光景といっていい。競技会場の平昌、江陵を擁する江原道では「平昌、文化を加える」をスローガンに掲げ、582億ウォン(約59億6000万円)もの費用を投じ、展示やコンサート、観戦者参加型のイベントなど数多くの催しが実施された。
スポーツの祭典であるオリンピック、パラリンピックで、なぜ、文化プログラムが実施されるのだろうか?
近代オリンピックの創始者、フランス人貴族のピエール・クーベルタンの思いにまでさかのぼる。クーベルタンのオリンピック復興という着想は、彼が生きた19世紀のヨーロッパにおける古代ギリシャ、ローマ文化の発掘に端を発していた。当時、考古学者ハインリッヒ・シューリマンの指導をうけたドイツ帝国の発掘隊が古代オリンピアの遺跡を発掘した。オリンピアでは、紀元前776年から紀元後393年まで4年ごとに戦争を休止、スポーツによって競うオリンピック競技大会が行われていた。
ドイツによる詳細な遺跡発掘は1880年代になるが、その頃までにヨーロッパ各地ではすでに古代オリンピックをまねたオリンピック大会が開かれていた。クーベルタンはその古代オリンピックと、英国のパブリックスクールにならった「スポーツによる教育」とを合体し、近代オリンピックに発展させた。クーベルタンが復興した古代オリンピックでは、スポーツとともに芸術競技が行われていた。そこで近代オリンピックでも「芸術競技」を行うよう推進していったのである。
オリンピックに芸術競技が初めて登場するのは1912年第5回ストックホルム大会。ここでは、古代の美の女神「ミューズの5種競技」にならい、建築、彫刻、絵画、文学、音楽の5つの分野でスポーツに題材をとった作品による技量が競われた。もちろん、スポーツと同様に、優勝者には金メダル、2、3位には銀、銅メダルが授与された。
芸術競技は第2次世界大戦後の1948年ロンドン大会まで7回にわたって実施され、およそ4000作品の応募があったという。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は翌49年、芸術作品への評価の難しさや資金問題、当時は厳然と存在したアマチュア資格、そして移送の難しさなどを理由に競技としての芸術部門を廃止。1956年メルボルン大会から「芸術展示」に姿をかえた。さらに1992年バルセロナ大会からは、現在の「文化プログラム」なって継続されている。ちなみに「文化プログラム」としたのは、より幅広いジャンルに対応するためだった。
近年の大会では、やはり2012年ロンドン大会の評判が高く、音楽、演劇、ダンス、美術、文学、映画、ファッション等幅広く実施され、4年間で4300万人を超える人たちがイベントに参画した。夏と冬の大会の規模の差といえばそれまでだが、平昌大会は遠く及ばなかった。
またロンドン大会で特徴的だったのは参加国・地域数と同じ204の国と地域から4万人を超えるアーティストが参加したことだったが、今回の平昌では開催国・韓国と地元・江原道が強く前面に押し出されていたことが印象的に残った。
ロンドンでは多くの障害のあるアーティストの参加があったが、ここ平昌ではあまり障害者アーティスト、障害者アートといった催しがみられなかった。それでも、パラリンピック期間中には「TWO BE TO ONE」と題し、モンゴルとラオス、日本、アメリカ、韓国のアーティストたちと障害者、若者たちが合同で公演したり、江原道の自然をテーマにした障害者と健常者アーティストによる美術展「パラリンピック・ファイア・アートフェスタ2018」が開かれた。
さて、次は2020年東京大会に順番がまわってくる。すでに文化プログラムは各地で始まっているが、まだ、あまり知られているとはいえない。これをいかに人々に知らせていくか、大きなテーマといっていい。
障害者アートの支援を続けている日本財団では、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)と契約を交わし2020年東京で「障害者国際芸術祭」を開く予定だが、それに先立ち、3月にはシンガポールで「アジア太平洋芸術祭」を開催する。
目が不自由な芸術家、耳が不自由な太鼓演奏者、車いすのダンサーらが素晴らしいパフォーマンスを繰り広げる。この障害者芸術祭は2006年にラオスとベトナムで開催して以来、カンボジア、ミャンマーでも開催されてきた。2014年にミャンマーで開催した「ASEAN障害者芸術祭」には10カ国のパフォーマーが参加、6700人の来場者から大きな拍手を浴びた。
●障害者芸術祭(日本財団DIVERSITY IN THE ARTS パフォーミングアーツ)(日本財団ウェブサイト)
●日本財団DIVERSITY IN THE ARTS(日本財団ウェブサイト)
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