“未来を開く”日本財団パラアスリート奨学生の挑戦07―卓球・宿野部選手 (2017/1/26 日本財団)
陛下との「宝物」のような時間を励みに
卓球・宿野部拓海
一見すると、フィギュアスケートの羽生弓弦に似ている。スラリとした容姿。だが、当の宿野部拓海は「もっと筋力をつけたい」と訴えるのである。
世界と戦い、2020年東京パラリンピックで表彰台に立つためには、「上半身の可動域を広げることが必要」だと課題をあげた。圧倒的なパワーを誇る外国人選手と互角、いや勝つためには、何よりも、しなやかな動きが求められる。筋力アップは、2年後の夢の実現のため、大きな宿題となっている。
それでも昨年暮、うれしいことがあった。今の自分の世界での位置を知りたいと出場したアメリカ・ラスベガスで開かれたパラ卓球の『USオープン2017』。立位ランク8のシングルスで銀メダル、団体でも銅メダルに輝いた。
早速、社会福祉法人『太陽の家』のフェースブックにこう書き込んだ。
「シングルスの国際大会でのメダル獲得は6年ぶりで、今年最後に良い結果を残すことが出来ました。今大会決して調子は良くありませんでしたが、苦しい試合もしっかり勝ちきることができました! 少しずつですが、成長出来ていると実感しています」
久しぶりの国際大会の個人メダルで、自分がやってきた練習が間違っていなかったことを確信した。「成長した」との自信は、2年後に向けた力強い後押しとなる。
「代表選考まで、世界ランクをいかにあげていくか。せめて世界18位くらいにまで入っていないと、東京大会に出場できないと思っています」
7年前の2011年、10代だった宿野部は全国障害者スポーツ大会で金メダルを獲得した。余勢をかって、その年のオーストラリア・オープンでも個人優勝。しかし、翌12年のロンドン・パラリンピックに出場はできなかった。海外での試合経験が少なく、世界ランキングが出場資格に届かなかった。
続く2016年リオデジャネイロ大会も出場することはできなかった。調子を落とし、国際大会はおろか、国内大会でも勝てない時期が続いていた。
実家のある神奈川県の大学を卒業した2015年、彼は日本オリンピック委員会(JOC)のアスリート就職支援プロジェクト「アスナビ」を使って、大分県別府市にある『太陽の家』に職を求めた。支えてくれた母への恩返しと、新しい環境を求めた旅立ちであった。
『太陽の家』は、「日本パラリンピックの父」と称される医師、故・中村裕氏が障害者の社会復帰を支援することを目的に創設した法人である。障害者はここでリハビリに励み、同時に職業訓練をうけて社会に巣立っていく。スポーツがリハビリに取り入れられていることはいうまでもない。
自らも下半身に障害のある宿野部は人事・広報課員としての職務につくかたわら、卓球部員として練習に打ち込んだ。
その年の秋、彼は何ものにも代え難い「宝物」のような時間を味わった。
創立50周年を迎えた『太陽の家』を天皇、皇后両陛下が訪問された。両陛下は皇太子、同妃両殿下時代、1964年に開催されたパラリンピック東京大会の名誉総裁を務められて、以来、障害者の社会復帰支援に心を寄せてこられた。中村裕氏の活動を見守っていらっしゃった。そうしたご縁からの『太陽の家』ご訪問となったが、天皇陛下は飛び入りで選手と卓球された。お相手を務めたのが宿野部だった。
陛下は角度のある球を返され、「互角の」ラリーが長く続いた。その後に、「掛けていただいたお言葉」が胸にしみた。
「海外などいろいろなところにいかれるのですね。パラリンピック頑張ってください」
若くして頂点に立ったものの、その頃は障害のクラス変更などもあり、勝てない時期が続いた。悩みのなかで、お言葉「珠玉のひとこと」として心に染みた。
2016年リオデジャネイロ大会の出場を逃した宿野部は「環境を変え」ることを決意した。陛下から頂いた「宝物」を実現するためには、選手としてもっと厳しい環境に身をおかなければならない。
そこに手を差し伸べる形となったのが、日本財団が日本体育大学との間で交わした奨学金制度だった。幸いなことに、『太陽の家』からも背中を押され、籍を残したまま、日本体育大学大学院の門を叩いた。
「やっぱり、ここの練習はレベルが違います。 はじめは付いていくだけでも大変でした。でもコーチや先輩、同僚などから適切なアドバイスをうけ、自分でも力がついていったと思います」
宿野部は少し遠慮気味に話すが、かつて頂点を極めたことのある実力が再び開花、試合出場の機会にも恵まれて、力を伸ばしていったのである。的確な指導と練習に集中できる環境。それが「USオープン」での、6年ぶりとなる結びついたことはいうまでもない。
順調にいけば、2年半後の「パラリンピック」での活躍は夢の話ではない。そのためには国際試合に数多く出場し、世界ランキングを上げていかなければならない。
そのための課題が筋力強化アップである。外国人選手と比べて力強さで劣る。筋力を鍛え、パワーアップを図るためには食べることも重要だ。目下、一日4000から5000カロリーの摂取を心がけている。毎日の一食一食が2020年につながっていく。
いま、大学院ではコーチングを学ぶ。よりよい指導法とは、よりよい練習とは…それらは自分の毎日とも大きく関わっている。
また、在籍する『太陽の家』のブログに投稿することは人事・広報担当の職務でもあるが、自分の行動や考えを精査し直すいい機会ともなっている。
「恵まれた環境に置いて頂いていることを本当に感謝しています」
あの日、陛下が使われたラケットは記念に頂き、実家で大切に保管している。お言葉とともに「一生の思い出」を大きな励みに、宿野部の2020年への道が続く。
宿野部拓海(しゅくのべ・たくみ)
1992年3月18日生まれ。神奈川県横浜市出身。日本体育大学大学院に学ぶととともに、大分県別府市の社会福祉施設『太陽の家』職員でもある。2013年全国障害者スポーツ大会優勝など数々の実績を持つ。168センチ59kg。好きな言葉は「不撓不屈」
【パラ奨学生】
2020年東京パラリンピックを控え、日本財団では世界レベルでの活躍が期待できる選手を対象に創設した「日本財団パラアスリート奨学金」制度に基づき、今春からパラアスリートへの奨学金給付を始めました。障害者スポーツ教育に実績のある日本体育大学の学生、大学院生ら19人が給付を受け、実力向上に励んでいます。このコーナーではそうした奨学生たちの活動などを随時紹介し、パラ競技とパラアスリートへの理解を深め、支援の輪を広げるとともに、2020年東京パラリンピックへの機運を高めていきます。
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