【連載企画】香港から見える日本のリアル(2)『地方創生、町おこし、コミュニティ作り―言葉を超えた公共的意義を本当に語れるのか』 (2018/11/13 ユースデモクラシー推進機構)
弱冠22歳にも関わらず飛び級で香港中文大学大学院博士課程に進学した石井大智さん(ユースデモクラシー推進機構パートナー)に独自の視点で日本社会を語ってもらう連載企画『香港から見える日本のリアル』の第2回は、日本に溢れる「地方創生」などのバズワードに基づき実行されているアクションを切り口とし、「公共的利益」や「公的資金投入の正当性」に対する議論の必要性や政策実行に必要な「価値観」についての問題提起を行っていただきました。
「地方が元気になる」ことの公共的な利益はあるのでしょうか?
私は香港の大学で社会学を学ぶ博士課程の学生で、特に人の移動を研究対象としています。UターンやIターンなど大都市から地方都市の移動に関わる地方創生の文脈にも関心を持っており、実際に多くのフィールドを回ってきました。地方に活力をもたらす重要性への認識はかなり広がっており、多くの地域でいわゆる「地方創生」の文脈のもと様々な形で町おこしが行われています。インターネット上には成功事例として多くの町おこし、地方創生事例が紹介されていることがそれを示しています。
しかし、私はこれらの活動を見るたびに常に疑問に思っていることがあります。ある地域の人口が減少しているからと言って、その地域の人口減少を止め、交流を増やそうとすることに公共性は認められるのかということです。なぜ政府などの公共セクターが過疎化に悩む町が消失するのを食い止めることを支援しなければならないのでしょうか?今回はこの疑問のあり方に向き合ってみたいと思います。
集落が消えるメリットの議論は?
早速ですが地方創生の流れに抗って集落が消えることによるメリットを考えてみましょう。実際に過疎化の集落が消え、都市に人口が集中すれば多くの行政コストを削減できます。多くの人々が狭い地域に住めば、公共交通などの行政サービスや水道・ガスなどの公共インフラを理論上一人当たりのコストを削って提供できるはずです(このあたりの分析はRIETI(2016)の近藤研究員のインタビューに詳しくあります)。
しかしながら、町の消失がどのようなメリットをもたらすのかという議論は十分になされていません。様々な活動が各地で行われているのにもかかわらずその意義や効用についての議論の量がそもそも足りないというのがまず問題です。しかし、その少ない議論の中でよく言われる意義でさえもより検証が必要でしょう。
例えば、「人口減少や高年齢化により耕作放棄地が増加することが問題だから人口増加のための政策実行を行うことが重要だ」という主張を考えてみましょう。耕作放棄地が増えると放棄されていない農地も草だらけになってしまうことが一つの問題とされていますが、そもそも農地もいつかは自然に戻るもののはずで、なぜそれが今のタイミングであってはならないか示さなければなりません。
耕作放棄地の増加によって食料自給率が低下してしまうことを問題とするのであれば、(正確に数字を出すことが難しくとも)自給率低下にどれほどのインパクトを与えるのかは検討が必要です。その上で著しく低下することが示されたのであれば、自給率低下がなぜ問題なのかもより議論が必要でしょう。
世界のサプライチェーンがここまで複雑化している現代において、食料そのものの自給率が高ければ安全保障上有利であるというほどシンプルな話にはならないでしょう。さらにそこまで議論した上で食料自給率を上げるべきという話になった際に、なぜ現在の地方創生の文脈で行われているような施策が最も有効なのかも議論しなければなりません。
私はこのような議論にあまり知見がなくこれらに対して答えを導くことはできませんが、少なくとも人口減少を問題とするのであれば人口減少によって引き起こされる問題の一つである耕作放棄がもう少し議論されてもいいでしょう。そのような議論なしにアクションが実行されていることは望ましいとは一概に言えないはずです(「地域の伝統が失われることが問題だから地域を維持すべきだ」という主張も自明に成立するものではなく、同様に検証が必要です)。
難しいことを承知でさらなる注文をつけるとすれば、その政策がなぜ他の政策よりも優先され、現状ほどお金をつけて行われるべきなのかも説明が必要です。日本政府の限られたリソースを考慮すれば、他のものとの優先順位も考えることが理想です。順位をつけるという作業はきわめて政治的で簡単ではないものだとしてもです。
事実と価値を区別しよう
このような地方創生においての議論の欠如は何を教えてくれるのでしょうか。それは、私たちが事実と価値を区別して考えなければいけないということです。人口が流出しているという事実そのものが「悪い」や「良い」と言った評価を持つことはありません。その人の持つ考え方によってはその事実は悪いものにも良いものにもなります。例えば先述のように人口の集中が進むことで行政サービスは全体として見れば効率化するという考え方に基づけば、人口流出はポジティブに評価されることとなります。
同様に地方創生に貢献している、町の活性化にプラスになっているという理由でそのプロジェクトを評価するのであればそれは「地方創生や町の活性化に貢献しているプロジェクトはいいプロジェクトである」という価値観に基づいていて、少々乱暴な言い方をすれば地方創生や地域活性化、まちづくりというバズワードを無思考にポジティブに受け入れている行為でしかないわけです。
より踏み込んで言いましょう。あるプロジェクトが町の活性化のために行われていると語られていれば、そのプロジェクトは「町の活性化が公共性を持った良いことである」という価値観を持った人にとっては公共性があるように思えるわけですが、その価値観をもっと落とし込んで説明しなければ、それは「ただ自分がやりたいからやっている」「自分が思い入れのある町を(個人的に)守りたいと思っている」ことと変わりないわけです。
私はこのようなプロジェクトを否定したいわけではなく、あたかも公共的利益があるように語られるこのようなプロジェクトの「公共的利益」もしくは「公的資金投入の正当性」は再び検証されるべきだと言いたいのです。
孤独死は悪いことなのか
このような議論の欠如は地方創生に限った話ではありません。
孤独死を防ぐための取り組みが各地で行われていますが、なぜ孤独で死ぬことはそこまでも大きな問題なのでしょうか。孤独で死ぬことが「悪い」というのは特定の価値判断からもたらされていることを意識し、ゼロから議論しなければ公的資金投入の正当性は検証できません。
スタートアップ支援も、学生の海外留学促進も同様にさほど深掘りされていない言葉によってその公共性が主張されています。(実際に起きているかは別として)イノベーションが起きることは本当に個々人を幸せにするのでしょうか?(実際に増やせているかは別として)グローバルな視座を持った学生を増やすことは個々人を幸せにするのでしょうか。
私たちの世界にはそれが公共的利益だと私たちに無思考に思わせてしまう言葉が溢れています。それは「地方創生」だけではありません。「日本の競争力向上」「イノベーション」「グローバル化」「多様性」などなど。これらの言葉で述べられていることが達成されているという事実でそのプロジェクトに高い評価をするのではなく、もっと深掘りして考えるべきです。「日本の競争力が向上しているからこのプロジェクトは良いプロジェクトである」と考えるのではなく「このプロジェクトは日本の競争力を向上させているけれど、日本の競争力が向上することはなぜいいことなのか」という思考プロセスを持つといいでしょう。
しかし、深掘りをし続けたとしても、我々は我々自身どこかで価値観を持たなければそれらのプロジェクトを評価することはできません。私は政策の達成すべきことを個々人の幸福度が向上されることとしています。これは何を指しているかはっきりしないものの、とりあえずこれを一つの価値基準として置くことでこれまで多くの歴史が経験してきたような個人が集団に回収されることによる悲劇を防ぐことはできます。
この価値観に従えば、先ほどの例であれば、「日本の競争力向上」で議論を終えるのではなく、「日本の競争力向上」と言われる現象がどう個々人を幸せにするのか考えることになります(景気回復が個々人の暮らしを楽にするとは限らないということと同様に、「日本の競争力向上」が個々人を幸せにすることは自明ではありません)。
全体を俯瞰しよう
繰り返しになりますが、私は世の中の数ある政策やプロジェクトをやるべきではないと結論づけているわけではありません。そうではなく、公益性の観点からやるべきかやらないべきかの議論が欠如しているのではないかと言いたいのです。リソースが限られている中では、このような議論は無視できないはずです。
私は博士課程の学生ですので、学会にはよく行くわけですが、学会にはいわゆる実践研究が溢れています。どういう取り組みをしたのか事細かに報告してくれるわけですが、その取り組みの必要性については分かりやすいバズワードで説明されるのみで、本質的にどう重要なのかは全く伝わってきません。実践研究であればプロジェクト当事者なら誰もが語れるわけで、もっと全体を俯瞰し、そのプロジェクトの背景となっている価値観に切り込んで行く研究者が増えることを僭越ではありますが心より願っています。
◇
<参考文献>
RIETI(2016)「第13回『空間経済学から見る地方創生のあり方とは』」(2018年10月29日閲覧)
https://www.rieti.go.jp/jp/special/af/i13.html
<執筆者>
石井大智(ユースデモクラシー推進機構パートナー)
1996年大阪府生まれ広島県育ち。香港中文大学大学院博士課程1年。広島の高校を退学後、慶應義塾大学総合政策学部に進み、飛び級で博士課程に進学。中学生時のヨルダン訪問を契機に移民・難民など国境を超えた人口移動を専門とする。韓国の延世大学への留学経験に加え、法務と会計の知識を活かし複数国のNPOやベンチャーでのバックオフィス経験がある。また、マイナビ主催の全国最大規模のビジコンに高3から3回決勝に出場するなどフットワーク軽く様々なフィールドを渡り歩いている。アカデミックな成果を出す上でフィールドのリアリティにできるだけ触れることを重視しながら、研究成果を社会に活かすべく、大学のみならず政府系機関や企業でのリサーチにも従事している。
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