【龍馬プロジェクトリレーコラム/若手政治家が考える「まちの課題を解決するために」】
第40回 障がい者雇用で社会保障費の負担軽減を (2014/6/27 居川太城/龍馬プロジェクト全国会 九州ブロック副ブロック長)
「地方から日本を変える」を合言葉に、日本全国の国会議員や地方議員などが超党派で集まった『龍馬プロジェクト』。政治山では、龍馬プロジェクトの思いに賛同した若手議員によるリレーコラムを連載しています。「まちの課題を解決するために」の第4回は、大分県日田市議会議員で龍馬プロジェクト全国会 九州ブロック副ブロック長の居川太城氏による「第40回 障がい者雇用で社会保障費の負担軽減を」をお届けします。
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私の住む大分県日田市は江戸時代、天領(幕府直轄地)として「九州の政治・経済・学問の中心として栄華を極めた土地だった」ともいえます。天領時代の人々の暮らしをうかがわせる町並みが現在も残っています。また、江戸時代後期に生まれた儒学者・廣瀬淡窓(ひろせたんそう)が開いた私塾(学校)「咸宜園(かんぎえん)」があります。身分や階級制度の厳しい時代にあって、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」により、すべての門下生を平等に教育しました。主な出身塾生として、高野長英、大村益次郎、第23代内閣総理大臣清浦奎吾などを輩出しており、広瀬家の末裔(まつえい)である広瀬勝貞氏が現在大分県知事を務めております。
私が3歳の頃、目の前で兄が車にはねられ、命は助かりましたが脳に障がいを持ち、いわゆる「知的障がい者」となりました。そこから環境が一変し、周りの陰口や批判、学校でのイジメ等つらい時期を過ごしました。しかし、私以上につらかったのが両親であり、人の目の冷たさを嫌というほど体験しました。
最初は漠然と自分の家族を救いたいと考えていましたが、23歳の時、兄のことで市役所や県議に相談するもあまりの対応の悪さに憤慨し、また悲しくもなりました。そして私のようなつらい思い(イジメや周囲の理解の無さ)を他の人にさせたくない、同じ環境の人を1人でも多く救いたい、だったら自分が変えてやる!と政治家になることを決意しました。
福祉は経済という土台に乗っているため、どうしても生産性が無いと言えます。しかし、私の原点は「福祉」であるため、その分野をどう他分野につなげて生産性を出すかが必要と考えます。他市も同様ですが日田市は、支出の3分の1が社会保障費(民生費)です。なので私の考える街の課題は「どう社会保障費を抑えるか?」です。
その手段として私は、人が生き続ける限り排出されるゴミに着目しました。現在、日田市は市外の業者にゴミの選別を委託しておりますが、そこを変えてゴミの選別を障がい者に行わせます。それは障がい者の雇用につながりますし、きれいに選別されたゴミは逆に売れ、半永久的な仕事を生みます。支払われていた委託費+ゴミの売り上げで、社会保障費の負担軽減と雇用の安定を得ることができます。
また、日田市は全地域に光ファイバーを敷いています。これを有効活用するために、障がい者が高齢者に対してWebによる見守り・お声掛け事業を行うというのも社会保障費抑制の1つにつながります。日田市は面積666平方キロメートルのうち80%を山林を占めており、中心部を囲むように周辺部各地に小さなコミュニティが点在しております。スカイプ等の新しいツールを使い、場所を問わず、高齢者と障がい者が対話を行うことにより高齢者には見守りや会話を楽しんでいただき、障がい者は就労への訓練とお互いに支え合う共助の精神が育まれると私は考えます。
社会保障費を劇的に抑制する解決策は講じておりませんが、私の考える課題は日本全体の課題の1つでもあり、まだまだ私の知らない解決策は必ずあります。
「地方から日本を変える」の文字通り、日田の地から福祉に大きな変化になる一石を投じます!
- 著者プロフィール
- 居川 太城(いかわ たいき)
1982年5月11日 大分県日田市生まれ。日本大学工学部土木科卒業後、実家の建設会社に就職。その後、(株)レオパレス21 シルバー事業部に転職、2011年1月帰郷。準備期間3カ月、地盤・鞄・看板ゼロの状態で少しずつ支援の輪が広がり2011年4月の地方統一選挙当選。
- 龍馬プロジェクト リレーコラム
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