日本財団の「番屋再生事業」―15カ所目が石巻市東部に完成 (2017/8/15 日本財団)
宮城県漁協石巻市東部に新しい水産活動拠点
開かれた場所として利用、地域創生の加速目指す
東日本大震災の津波で被害を受けた水産業拠点「番屋(ばんや)」の再生事業を進めている日本財団は「石巻市東部番屋」を建設・完成させ7月28日、管理運営主体の宮城県漁業協同組合石巻市東部支所に鍵を贈呈した。番屋を漁業関係者だけが利用するのではなく、多様な人が活用できる「開かれた場所」とすることで、水産業を中心とした新しい地域創生を加速させるのが狙い。事業で再生・建設した番屋はこれで15カ所目。
宮城県漁協によると、同県中央部に突き出た牡鹿半島の石巻湾に面した石巻市東部支所は、カキ養殖のほか、漁船漁業などが盛んな地域。東部支所の組合員は92人。震災後はワカメ養殖も行われるようになった。これまでは仮設事務所で営業を続けてきたが、購買品の在庫場所や組合員が集える場所がなく、不便な状態が生じていた。
新しい施設は木造2階建、延べ床面積約216平方メートル。大津波で使用不能となった集会所跡地=同市狐崎浜鹿立(すだち)屋敷=に今年3月着工し、7月25日に竣工した。1階には東部支所の事務所が入り、5つの浜(福貴浦浜、狐崎浜、鹿立浜、牧浜、竹浜)の漁協組合員や青年部・女性部などが集まり、気軽に懇談のできる和室・洋室も2階に配置。漁業関係者の情報交換の場、組合員のパソコン教室や船舶免許講習などの会場、地元小中学校の課外授業の場、さらに図書館としての機能も持たせ、地域で暮らす人たちだけでなく、観光客や訪問者にも利用してもらう。
当日は東部支所が、室内で竣工式、屋外テント内で贈呈式を主催。神事に続く贈呈式で、海野光行・日本財団常務理事は「漁業関係者、水産関係者だけでなく、これまでの垣根を取り払い、地域の皆さんが自由に集える、つながりと連携の拠点になってほしいとの思いで番屋再生事業を進めている。ぜひこの番屋を、石巻市東部地区だからこそと言われる特徴ある形に育て上げ、子どもたちには海洋教育の場、組合員には研修の場、高齢者には憩いの場となるよう、今日も、あすも、あさっても、番屋に行きたくなる、そんな形で使われることを願っている」とあいさつした。
来賓の亀山紘・石巻市長は祝辞(代読)で「番屋を活用したコミュニティ活動が活発になることで、漁村の活性化、沿岸漁業の復旧・復興がさらに加速すると大いに期待している」と述べ、お礼のあいさつに立った石森裕治・石巻市東部支所運営委員長は、震災から6年がたち、市の東部地域は漁場や漁港の機能がほぼ回復、高台への移転もほぼ終わり、生産活動や生活にも明るさを取り戻している説明し「明日への飛躍の礎になるよう寄贈を受けた番屋を最大限に活用し、地域復興に貢献していくことを誓う」と決意を語った。
最後に海野・常務理事が番屋の大型レプリカ・キーを石森・東部支所運営委員長に贈呈し、各団体代表がテープカットをして式典を終了した。
番屋は漁場の近くで水産漁業従事者の作業所や休憩所、時には宿泊所として利用されている。全国どこにもあり三陸地方の漁港にもたくさんあったが、大津波で多くが破壊、流失した。
日本財団は東京海洋大学、全国漁業協同組合連合会、大日本水産会などの水産漁業関係団体と連携し、甚大な被害を受けた水産業の復興のため、漁業者だけでなく地域住民の人たちも気兼ねなく集い、交流を深める場となる「番屋」の再生に着手。震災発生翌年の2012(平成24)年8月に岩手県宮古市で最初の番屋を開設し、以来、岩手県では計7カ所、宮城県では「石巻市東部番屋」を含め計8カ所を完成させ、宮城県内ではさらに2カ所の建設を予定している。
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