休学して田舎から田舎へ 私を釜石へ引き寄せた一杯の珈琲 (2019/2/15 70seeds)
「わたし、釜石に住んでみたい」
そう思ったのは、2017年の夏の終わりのこと。徳島生まれ徳島育ち。大学進学も徳島県内で、一度も徳島の外に出て暮らしたことがなかった。
そんなわたしの、挑戦のおはなしです。
わたしのこと
生まれも育ちも、徳島県の右下の小さな町の山奥。小さい頃は田んぼや山で走り回って遊んだ。そんな幼少期を経てのんびりと育ったわたしが、明確な意思を持って動き始めたのは大学進学後。
なんとなーくぼんやりと持っていた、「地域でなにか面白いことしたいなあ」という気持ち。地元の学生NPOに所属し、島でのまちづくり活動や、まちの子どもたちへの教育支援に取りくみはじめた。すると、ぼんやりと見えていた「地域でなにかしたい」の気持ちの解像度が上がり、くっきり見えていく感覚を得た。
地域でなにかしたいの「なにか」は「笑顔にしたい」だった。地域のひとたちと関わりながら、自分のやりたいことを試行錯誤しながらする時間はとても充実していた。
関わってくれる島のおっちゃんおばちゃんや子どもたちが大好きになり、いままで意識しなかった「地元」を大切にしたい気持ちが生まれた。「地元でやりたいことを仕事にして暮らしながら子育てしたい」がわたしの夢になった。
そんな地元大好きなわたしは、いま、地元の徳島ではなく遠く離れた岩手県釜石市に住んでいる。
釜石との出会い
縁もゆかりもなかった釜石に出会ったのは、大学3年生になりたてのころ。
大学の先輩から地方のベンチャー企業を集めたインターンフェアを紹介してもらった。
当時わたしは地元のコミュニティでどっぷり活動していく中で、他の地域ってどんなんなんやろ?という興味も持っていた。徳島で生まれ育ち、大学進学も徳島で、活動しているのも徳島。一つの地域に深く関わることの充実を感じる反面、他の地域を知らないことに対する漠然とした不安があったのかもしれない。
「地元以外の地域にふれてみたいな。どんな文化があって、どんな価値観を持っていて、どう違うだろう」ふつふつと湧き上がる興味から、大学3年生の夏は徳島県外の地方でインターンをすることに決めた。
日本全国の80事業所のなかから選んだのが、釜石市の株式会社パソナ東北創生での商品開発インターン。優柔不断なわたしが、めずらしく「ここがいい!」と即決した(この記事を書いている今振り返ってみると、ほんとうにご縁があったんだと思う)。
夏にインターンが始まり、釜石の人々とおいしい食べ物にふれた瞬間に虜になった。
外の地域から来た学生を受け入れてくれる懐の広さ。
自分のことよりもまわりの人のことを考えて、毎日忙しく動いている姿。
どっしりとし、どこかチャーミングな人柄。
そんな素敵な方々と食べる、この土地でしかとれない食べ物。
釜石はわたしを楽しくさせるもので溢れていた。
1カ月半のインターン期間が終わりに近づくにつれて、ここにもう少しいたいなあという気持ちが募った。
「釜石にもっと住みたい」
1杯の珈琲との出会い
釜石に住むことを現実的に考え始めたきっかけは、1杯の珈琲との出会いだった。
「朝珈琲飲みに行くんだけど行く?」パソナ東北創生のコーヒー好きの社員さんから誘われて、釜石市にあるカフェの自家焙煎珈琲を飲んだ。青空色のコーヒーカップで、体にすっと馴染んだその味の余韻は今でも残り続けているような感覚。「この味はみんなに愛される」と直感的に感じた。
その自家焙煎珈琲を、ブランド化したいという思いを持たれていたオーナー。
冗談半分で「一緒にする?」との一言をいただいた。
「このコーヒーはいろんな人に愛される味」の確信をもっていたので、「一緒にやりたいです…!」の即答だった。
そこからは、休学をして釜石にくるか、遠隔で関わり続けるかの自問自答の繰り返し。釜石に来るまではまったく休学を考えてもいなかったし、まさか釜石にこんなどハマはまりするなんて思ってもみなかった。
「今を逃したらここにくることはないんだろうな」
やりたいことがやれる土壌、受け入れてくれる大好きな人たち。この2つが揃っている今だからこそ釜石に来たいんだ。今しかないんだ。釜石で経験するであろうことは、絶対に私の将来につながる。その気持ちが、休学をして1年間釜石に住み、コーヒーのことに携わることを決心させた。
「鐡珈琲」始動
決心してから釜石で住み始める2018年10月までは、遠隔で関わりながらブランドリリースにむけての準備を行った。
釜石に出会ってから一年経った2018年8月。コーヒーブランド「鐡珈琲(クロガネコーヒー)」をリリースした。
岩手県釜石市は、古くから「鉄と魚のまち」と言われてきた。釜石は日本の近代製鉄発祥の地。「橋野高炉跡」は明治日本の革命遺産として世界遺産にも登録されている。釜石の歴史は「鉄」なしでは語れない。
「鐡珈琲」という名は、釜石発祥のブランドとして、土地を象徴する「鉄」から名づけられた。ものづくりに真摯にとりくんできた先人たちの姿を重ね合わせ、「歴史に火を灯しながら、新しい釜石の製品を生み出す」というオーナーの熱い気持ちがこもっている。見慣れない俗字にしたのは、少しの遊び心。よく目を凝らして見てみるとわかるとおり、「鐡」という文字のなかには、「豆」が入っているからだ。
たくさんの方に支えられながら、日々、挑戦中。
やりたいことをさせてくれる寛大な両親、
ずっと遠隔でも相談に乗ってくれたパソナ東北創生の方達、
わたしを受け入れてくれる釜石の方達、
そんなあたたかい方達に支えられながら、
休学して、地元を出て釜石に来るという大きな決断をした。
そんな釜石の歴史文化を背負いながら、安全安心にこだわった珈琲。
地域に愛される珈琲になるために、日々、挑戦中。
次回からは鐡珈琲の取り組みについて、詳しくおはなししていきます。
田中 美有
1996年徳島生まれ徳島育ち。徳島大学在学中。2018年10月に休学し、釜石に滞在中。2017年夏にインターンで釜石を訪れたことをきっかけに、釜石でふれた方々と飲んだ珈琲(2018年8月に「鐡珈琲」としてブランド化)に惚れ込み休学を決心。現在は、鐵珈琲のプロモーション携わりながら、株式会社パソナ東北創生でインターン中。
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