働き方改革を推進する経営者の理想的な立ち位置とは (2018/7/4 瓦版)
<働き方改革特別対談>
サイボウズ・青野慶久社長×マルハン・韓裕社長 【最終回】
サイボウズでは、青野社長自ら育休を実践し、率先垂範でサイボウズ流を風土として定着させてきた。一方、マルハン・韓社長は経営企画部にダイバーシティ推進課を設置し、提言やサポートをバランスよく交え、改革を指揮している。特別対談最終回は、働き方改革を成功に導くトップのふるまい方について、陣頭指揮に立つ者同士ゆえの苦悩も交えながら、その理想の形を語り合った。
トップは背中を見せるべきなのか
働き方改革の成功には<トップが率先する>、が重要とされる。青野社長はその典型だ。なぜ、トップが率先することが有効なのか。トップが先頭に立つことで、どんな効果が生まれるのか。青野社長の実体験から得られた“エビデンス”は、改革に踏み切れない経営者の背を押すに十分な説得力がある。
青野 職場に育休などの制度をつくっても、現実にはなかなか最初に使うのは勇気がいります。短時間勤務も「ほんとにやっていいのかしら…」、という部分があると思う。そこで、私もなにかできることはないかとなった時にちょうど子供が出来たので「率先垂範だ」、と育休を取得しました。子育てはエラい大変でしたが、2人目、3人目の時になると、もうみんな私が子育てをやっているのを知っていましたし、毎日午後4時にお迎えに行っていると徐々に職場の空気も変わっていきました。「この会社、男性の育休も許される」と。制度だけでは表現できない「風土」によって、少しずつ男性の育児休暇取得が当たり前になってきましたね。
韓 自分自身がやってみないと分からないというのは分かります。
青野 そういうことをやっていると、女性社員も共感していろいろと教えてくれるようになり、雰囲気が変わってくるんですね。
韓 「社長も実際にやっているから私の気持ちを分かってくれるんだろうな」ということなんでしょうね。
青野 「戦友」と言われています(笑)。やはり風土は大事です。制度、ツール、そして風土。働き方改革を遂行するにはこの3つがセットと考えています。例えば在宅勤務制度をつくってもツールがなければ導入はできない。セキュリティ面、クラウドで情報共有されていて仕事の情報にアクセスできないと実践はできない。そして最終的には風土が必要です。在宅勤務をしてもかまわないんだよ、活かしてベストを尽くして働いてほしいんだ、と。そうしないとその価値観みたいなものは最終的には変わらない。習慣を変えられない。だから、この3つをセットで回していかないと、働き方改革はなかなか進まないですね。
韓 マルハンにおける風土というのは、企業としての組織理念である「マルハンイズム」に集約しています。それを仕組みに落とし込んでやっていますが、働き方改革としてみるとまだまだ十分ではありません。業界そのものも変わってきている中で、残業問題などが改善されつつある一方で昔の業界の慣習で戦ってきた人間は、「休め」といっても「何をしたらいいの?」と時間の使い方が分からない人がたくさんいます。
“刺激”を与えることで意識は変わる
青野 そうしたことに関してひとつ事例を挙げますと、社長室長の人間なのですが、彼は新卒で興銀に入社してエリートコースを歩み、サイボウズに転職してからは内部監査をやっていました。いわゆる典型的な“サラリーマン”でした。それで、「さらに成長しようと思ったらやりたいこと見つけて開拓していかないとね」となって、いろいろ考えて「副業やったら?」と提言したんです。すると「会社を辞めろってことですか?」と真顔で返すワケです。それで彼はいろいろ考えてトライした結果、弱い立場の人を助けるのが好きということが分かって、「とうとうやりたいことを見つけた」と。いま彼は2つくらい社会福祉法人の顧問をしています。初めて自分でやりたいことを見つけてやっているんじゃないでしょうか。なので、まさに昭和的でも、刺激を与えてやると何かを見つけるんです。むしろ、いまは人生100年時代といわれていますから、そういうことにもできるだけ早いうちにトライした方がいい。
韓 これまで休んでこなかったような人間は、どうしても休むことに罪悪感があるようですが、刺激を与えることで、やりたいことを見つけさせるわけですね。
青野 私はどちらかというと「残業しろ」と言っていた人間でした。ですから、その当時を知るメンバーには、手のひらを返したような私の変わり様に「僕が子育てしているときにはそんなことを言ってくれなかった」と相当言われました。素直に「ごめん」と言いましたけどね(笑)。
韓 立ち位置の部分で言いますと、私は経営企画の中で直下の部署と働き方改革に関わっています。ですから、ポイントポイントできちんと会議に出席してメッセージを発信したり、新しい取り組みにチャレンジする「会社としてやる」という部分と、現場の意思を尊重し「見守る部分」。そのバランスをうまく考えながら動いているつもりです。
青野 働き方改革推進の理想は、やはり「現場のメンバーからどんどん」でしょうね。どうしても上からだとやらされ感がある。だから逆回転にする。ワガママを言わないやつが悪い。それくらい徹底しないとダメでしょうね。サイボウズでは(意見やワガママを)出すことを義務化していて、思っていたら出さなきゃいけない。酒場で飲みながら愚痴を言うのは卑怯者である。そこまで徹底して出せって言ったらワンサカ出てきた(笑)。
韓 マルハンの働き方改革では、一年目にまず、この働き方改革の取り組みのことを理解してもらうことからスタートしましたが、この2年だけでも現場や現場を束ねる人たちの意識もかなり変わってきたと実感しています。
働き方改革を成功に導く“極意”とは
青野 (働き方改革を推進する上で)小さな成功事例を見逃さないことは大切です。副業でも面白い人脈を切り拓いたら、その社員にスポット当てて社内に発信する。そうしてやっていると意識が変わってきます。とはいえ、サイボウズもなんだかんだで(働き方改革を実感するのに)5年くらいかかったかもしれません。最初5年は信じてもらえない。「あんなこと言っているけどホントにやるんですか」やら「残業代が惜しいから残業をなくすんでしょ」とかですね。なにせ、「ド・ブラック」からのスタートだったので、時間はかかりました。
韓 (働き方改革の実現は)積み上げいくものなので、いきなりはそこへは辿り着けない。でも、強い意識を持ちながらも試行錯誤でやってこられたのがよく分かりました。我々はスタートを切ったところですが、とにかくしっかりとしたイメージを持ちながら小さな事を積み上げていけばいいんだと確信しました。店舗で働いている人が輝きを失うと会社全体も落ちていく。さらにいえば、少し視点を広げ、サービス産業全体の輝きが世の中の元気につながるんだという思いを仲間とともに共有して前進していきたいと思います。今日この時間をいただいたことで、サイボウズさんがここまで真剣に取り組み、成果を出されていることを知ることができて良かったです。本当に素晴らしいと思いましたので、ぜひサイボウズさんを目標にして頑張っていきたいと思います。
青野 あくまで一例として(笑)。今日は私の方が勉強させて頂きました。やっぱりサービス業は面白い。これから大きく変わるなと。私たちはITでの後方支援しかできませんが、サービス業がすごく気になっています。韓社長のような経営者がビジョンを掲げ、この窮地を社会としてとして乗り切っていければ、サービス産業全体を革新していただけると期待しています。お役に立てることがあればいつでも呼んでください! (了)
第一回→ 事業の発展になぜ働き方改革が不可欠なのか
第二回→ 経営者が働き方改革を決断する「トリガー」とは
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【ダイバーシティ推進課】
2015年より人事部内にダイバーシティ推進チームを組成、2017年に経営企画部内に新設された。働きがいのある職場づくりを目指し、さまざまな取り組みを実施。女性活躍をはじめ、人材不足の影響が大きいサービス産業の中で、多様な人材がスムーズに働ける環境・仕組み・きっかけを生み出し、さらには顧客への新たな価値提供も見据え、積極的にアクションを起こしている。
<取材後記>
IT企業とサービス業。ともに人材不足ながら、その深刻度では大きな“格差”がある2つの業種。働き方改革への本気度では共通する2人だが、対談がどんな展開になるかは未知数だった。蓋を開けてみれば、トップとして働き方改革に取り組む韓社長の熱い思いが、青野社長の多くの引き出しを開き、働き方改革を目指す経営者が参考にすべきヒント満載の濃密な内容となった。重要なことはなぜ、働き方改革をするのか。そこにビジョンがなければ、絶対に成功はない。加えて、取り組むモチベーションが極限まで高まっていなければ、形だけの改革に終わってしまうということだ。変化に対応できなければ、滅びる。常に進化を続ける――。小さなことの積み重ねの先にしか、働き方改革の成功はない。全身全霊で働き方改革に対峙するトップ同士だからこその思いがあふれる有意義な対談だった。
青野 慶久(あおの よしひさ)プロフィール
1971年、愛媛県生まれ。1994年に大阪大学工学部情報システム工学科を卒業後、松下電工株式会社(現:パナソニック株式会社)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。2005年4月代表取締役社長に就任(現任)。バリバリ仕事をこなしつつ、子どもの面倒をみる「イクメン社長」として話題になる。
サイボウズ: https://cybozu.co.jp/
韓裕(はん ゆう)プロフィール
1963年京都府生まれ。京都商業野球部在籍時、第63回全国野球選手権大会では準優勝を経験。88年法政大学卒業後、株式会社地産入社。90年株式会社マルハンコーポレーション入社、取締役に就任。95年プロジェクトリーダーとして「マルハンパチンコタワー渋谷」をオープンし、成功へ導く。取締役営業統括本部長、常務取締役営業本部長を経て、2008年6月代表取締役に就任、現在に至る。
マルハン: https://www.maruhan.co.jp/