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炭焼との出会いが人生を変えた―手に入れたのは五感をフル活用する生き方 (2018/3/1 70seeds

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「カエルの詩人」、草野心平を知っていますか。「ケルルンクック」という少し変わった鳴き声の詩を、小学校の教科書で読んだことがある人は多いのではないでしょうか。福島県双葉郡川内村は、そんな草野心平ゆかりの地です。

希少種「モリアオガエル」の繁殖地として天然記念物にもなっている「平伏沼(へぶすぬま)」を有する、自然豊かな川内村は、かつて炭焼の日本一の産地でもありました。

福島県いわき市を拠点に活動する私、「いわき経済新聞」編集長の山根がそんな炭焼の地で出会ったのが、2013年に埼玉県行田市から川内村に移住した関孝男さん。彼は今、炭焼の虜となり川内村で炭を通じたビジネスを興そうと、行動を始めています。

関孝男さん

炭焼に出会ってしまったから

――川内村ではどんな仕事をしているのですか?

2014年から、今勤務している交流施設「いわなの郷」で働いています。42歳なのですが、実は最年少でペーペーなんです。

昼の定食のためにイワナを焼いたり、施設の販売商品となっている干物を作ったり、冬場以外は釣り堀の接客などです。空いた時間を使って、イベントの企画運営もしています。

――イベントでは、炭焼の魅力を伝えていくことをいろいろ企画しているんですよね。

村内外の人に炭焼の魅力を知ってもらい、川内村に炭焼産業の醸成を図るべく、「炭焼体験キャンプ」や「炭焼場未来対話」という場づくり、体験会や勉強会を開催するなど地道な活動をしています。

――炭焼産業ですか。

実際に茶道で使用する茶炭は全国的に供給が追い付いておらず、ビジネスになる可能性が大いにあります。原発被災地での産業ということで課題は多くありますが、逆境であるほどやりがいがあるし、後の世代に炭焼文化を継承したいという気持ちも大きいです。

――なぜ「炭焼」だったんでしょう。

川内村に来て、イワナを炭火で焼いていることに驚いたんですよね。気になって聞いてみると、川内村はかつて炭焼の生産量が日本一だったといいます。この「いわなの郷」がある場所の地名が、そのまま「炭焼場」なんです。

――それは全国でも珍しそうですね。

しかし今は、村内で炭焼をやっていません。私の炭焼の師匠の家でも震災以降、放射能を浴びてしまった川内村の木材でつくった炭は売れないと、炭焼をやめてしまっていたんです。

炭焼場の標識

炭火でイワナを焼く関さん。現在の職場「いわなの郷」に就いてからは、自分でも毎日炭でイワナを焼いているという。

炭火でイワナを焼く関さん。現在の職場「いわなの郷」に就いてからは、自分でも毎日炭でイワナを焼いているという。

――関さんが炭焼を学んだのは、いつ頃だったんですか?

2015年10月ごろに、炭焼を教えてほしいと師匠を訪ねました。師匠も本心では炭焼をやりたかったようで、僕がやりたいといったところ、快く受け入れてくれました。

炭焼体験イベントで指導する師匠・菅波さん(提供:いわなの郷)

炭焼体験イベントで指導する師匠・菅波さん(提供:いわなの郷)

見つけた「居場所」

草野心平は、3,000冊の蔵書を川内村に寄贈した。それを機に村は、草野のためにこの「天山文庫」を建てた。

草野心平は、3,000冊の蔵書を川内村に寄贈した。それを機に村は、草野のためにこの「天山文庫」を建てた。(撮影:FiveStar 松本淳)

――関さんが初めて川内村を訪れたのはいつ頃ですか?

震災当時は無職だったこともあり、現地の様子を直に知りたくて、福島県に足を運びました。まだ福島第一原子力発電所に面した国道6号線が通れず(2014年9月に全線開通)、迂回していた時期です。その中でも、問題が多そうに見えた川内村が気になりました。

――移住のきっかけは?

復興に寄与したかったというのは建前で、自分が変わりたかったのだなと今になってみると思います。震災前は教職に就いていたのですが、大きな挫折を経験し震災直後に教師を辞めていました。その後もなかなか納得した仕事に就けずにいて、被災地に行けば人のためになったり、自分の居場所ができたりすると思っていたのかなと。

――実際に移住したのはいつですか?

2013年9月です。当時の川内村は、まだ避難解除されていない地域があったので(2016年6月に全村避難指示解除)、まず村の避難先の郡山市で、川内村の合同会社「かわうち屋」が経営する「あれ・これ市場」という、村の人たちに日用品を販売する店舗で働きました。

イワナに塩を振る関さん

イワナに塩を振る関さん

一人でも二人でも、自分を理解してくれる人がいるということ

――実際に暮らしてみて、どうですか?

自分から主体的に動いて川内村に入り、今の職場に声をかけられてここにいるということで、結果オーライなのかなと思っています。

――何かつらいことや面倒なことがあったということですか?

移住した直後(2013年頃)は、当時の村の状況を理解するのに、放射能の影響の有無などで説明がつくと思っていました。暮らしていくうちに、いわゆる賠償や利権などの裏側の話、震災以前からの村の状況など嫌なことも耳に入ってきます。そういう背景や事情、住民性を理解するまでに2年くらいかかりました。

今でも、自分が本当に受け入れられているのかはわかりません。ただ、一人でも二人でも自分を理解してくれる人がいればそれでいいかなと思うようになりました。

――そんな頃に出会ったのが、炭焼の師匠・菅波勇己(ゆうき)さん(79)だったんですね。

こんなにもすべてを受け入れてくれる人がいるのかと思いました。村の人との関係に少し疲弊し、村での暮らしに迷いを感じていた時期でもあり、師匠に出会って救われたと感じています。生き方の一つのモデルとして、こういう生き方を目指したいと思っています。

――そんな師匠から学ぶ、炭焼の魅力ってなんでしょう?

師匠から学んでいる、という事実がまず一番大きいですね。師匠は、移住者である私のすべてを受け入れ、自身の持つ技術を実直に伝えてくれるのです。

炭を作るには、とにかく「五感を研ぎ澄ます」必要があります。窯から出すタイミング、煙、温度など。自分はまだまだなのですが、炭焼の技術はAI(人工知能)などには当分代えられない、人の手でしかできないものだと感じています。

また川内村に来る前は、あえて五感を閉ざして生活していたように思います。都会では、自分に関係のない情報や声は、聞かずにいた方が楽でした。でも炭焼を通して、五感をフル活用する機会を得て、本当はこういう生き方を求めていたんだと気づいたんです。

炭焼文化を残していくために

――そんな炭焼に、今後も力を入れていくんですよね。震災前から、そんな風に前向きに取り組むタイプだったのですか?

いえ、こちらに来て、自身のとらえなおしができている感じがします。大震災で、みんなそうだと思いますが、私も社会の構造や自身の生き方を見つめ直しました。何事もあきらめるのではなく、未来志向で考えられるようになりました。

――そんな自身の「変われた」経験を共有するための場も作っていますよね。

草野心平が開催していたという「バァ学校」をもじった「Cafe学校」というイベントを、毎月第4火曜日に定期開催しています。

移住者や移住に関心のある人たちのコミュニティです。自分が川内村で変われたように、ここに来れば何か変われるかも、と思ってもらえる場というのがコンセプト。集まる人数はまちまちで、3人の時もあれば、うわさを聞きつけた人が仲間を連れて来て20人とかになる日もあります。同じく移住者が店長をしている「Cafe Amazon(アメィゾン)」という村唯一のカフェで開催しています。

Cafe Amazon(アメィゾン)はタイの大手コーヒーチェーンで、川内村は日本1号店

Cafe Amazon(アメィゾン)はタイの大手コーヒーチェーンで、川内村は日本1号店(撮影:FiveStar 松本淳)

――最後に、川内村の魅力ってなんですか?

自然や環境でいえば、天山文庫はもちろん、いわなの郷から見る夕日や帰り道で見る満天の星空などでしょうか。でも何よりも人です。こんな面白い人が村にいる、この人がいたから続けてこれた、そんな村の人たちの魅力を伝える、人を集める仕掛けをもっとつくっていきたいです。

イワナの塩焼きは焼きあがるまでに40分かかるので、炭を囲みながら話をするとか、キャンプを通して交流を深めるとか、いろいろ工夫していきたいですね。

イワナ

【編集後記】
誰も知り合いがいない、しかも原発事故の影響を大きく受けている福島県双葉郡に移住するなんて、と驚いたり、心配する人もいるかもしれません。

でもそこにいるのは、自分の故郷や生業を誇りに思い、残したいと思っている人たち。その人たちを魅力的に思う移住者たちです。

私も何度も川内村に足を運び、魅了された一人です。過酷な被災地ではない、東北の素敵な場所の一つとして、川内村を感じてもらえたらうれしいです。

提供:70seeds

WRITER 
山根麻衣子

山根麻衣子
いわき経済新聞ライター兼デスク
高校生の時にライターを志すも、東日本大震災まではサービス業に従事。震災を機に情報発信に目覚め、気づけば記事を書くように。移住して出会った、福島県浜通り地域の素敵な人・ことを伝えていきたいです。

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