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不登校新聞が伝える“ブレブレ”な生き方、もっと人は揺らいでいい (2018/2/13 70seeds

みなさんは学生時代、「学校に行きたくない」と思ったことはありますか?

いじめや友人関係の不和、家庭内の問題。

中学生の35人に1人が不登校(文部科学省調査、2015年)という現代日本。もはや不登校になることは珍しいものではないのかもしれません。

そんな中、不登校・引きこもりの当事者・経験者により構成されたメンバーで、不登校に関する情報を月2回発行している新聞社に出会いました。その名も「不登校新聞社」。

98年の創刊以来、新聞社にかかわり続けた編集長の石井志昂さんから語られたのは不登校・引きこもりを経験したからこそたどり着いた「生き方」の話でした。

読んでも不登校が「治る」わけじゃない。

――不登校新聞の編集方針には「本人がどうやって生きていくかをいっしょに考えていきたい」という言葉があります。どのような意味が込められているのでしょうか?

私たちの新聞は不登校を治す新聞だと思われることが多いんです。読者からも「これを読んでも不登校治らないじゃないか」とクレームをいただいたことも(笑)。

不登校新聞

私たちのスタンスは、学校に行くか行かないかは当事者が決めることであり、それを周りがとやかく言う話ではないと。自分たちが不登校になった時点で、どうやって生きていくか、そこからの生きていく知恵をつけていく、ことを一番大事にしています。

――「治す」ではなく「どう生きていくか」、そう思うようになった背景には何かあったのでしょうか?

不登校新聞ができる前、全国にあった不登校の親の会やフリースクールの場では、学校に行く・行かないではなく「どうやって生きていくか」が大事だという共通理解がありました。

周囲が学校に行かせようとしても、本人が行こうとしても上手くいかなかった。それによって当事者や親御さんの間ではたくさんの葛藤が生まれ、たくさんの涙が流れました。この共通理解はそんな中から生まれてきたものです。

左・校正後の新聞記事 右・表記を直すために赤が入る校正前の記事

左・校正後の新聞記事 右・表記を直すために赤が入る校正前の記事

遅刻・早退・バックレOKでも成り立つ「働き方」

――編集部内には「子ども若者編集部」というものがありますね。

「子ども若者編集部」は不登校・引きこもりの当事者または経験者で構成されています。一人ひとりが新聞記者となって企画会議から取材、執筆までしていますよ。現在120名の方が、北は北海道、南は熊本まで。年齢は14才~44歳までの幅広い方が参加していますね。

――企画会議なども。

遠い人はネットで、全員で約20名の方が会議に出ます。強いて言えば、関わり方が特徴的です。やれることをやる、できることを持ち寄り、できることをやる。当事者はプロではないし、目指してもいない。書く人、調べる人、企画する人、みんなバラバラでやります。

――企画を立てた人じゃない人が取材に行ったりとか。

最初は音源録るだけを担当するとか。ウチの会議は遅刻、早退、バックレOKなので。昨日は始まりは4人で最終的には20数人に。関われる関わり方でやるという方針です。

――取材当日にバックレたりしないのですか?

自分のやりたい部分だけ責任を持っているので、成り立つんですよ。取材も、当日行きたくても行けないという人がいるので、複数人でやるように。やれないこともあるのですが、編集長としてはやれるために何ができるのかを考えています。一番大事なのは不登校とかひきこもりとか社会的にマイナスだと思われる経験、葛藤したこと。これは一生の財産になる。当事者の方が提案してくれるものには生の実感がありますよ。

不登校の情報が不足している。

――1998年から現在まで休刊の危機が何度かあったそうですね。

創刊当時(1998年)、部数6000部から右肩下がりで。最終的(2012年4月)には820部にまで減りました。休刊ラインが1100部だったのでこれはもう限界だなと。

――休刊予告後から購読の申し込みが増えたそうですが、なぜでしょうか?

休刊危機を逃れたのは3つの柱がありました。一つは昔の読者ですね。不登校からは離れたのですが、過去にお世話になったという理由で戻ってきてくれた人がいました。

二つ目は新しい読者が買ってくれたこと。休刊危機を多くの新聞社が取り上げてくれました。そしたら、休刊危機はどうでもいいけど不登校の情報が欲しいという人がたくさんいたんですよね。

最後はマーケティング研修を取り入れ、経営を立て直したことですね。

これらをひっくるめると、不登校に関する情報が不足している一方欲している人が多いということ。ニーズがあったからこそ部数は回復していきました。

不登校新聞社の仕事風景

不登校新聞社の仕事風景

――やはり不登校に悩む人は多いと。

新聞を買ってくれる親には2つの悩みがあります。今のことと、将来のこと。

今のことでいうと、学校に行かない子どもは人相が変わってしまう。小学生だと目に見えて変わり、サルのように荒れ狂ってしまう。子どもに何が起きているか分からない。苦しむ子どもを見てどうにかしたいと思うんです。

将来のことでは、生きていく道が学校以外にない。学校に行かない人は宇宙の外に行っちゃうような感覚になる。ここで頑張らせないと、将来困るんじゃないかと思って、子どもを追い詰めてしまうんです。

――子ども自身が追い詰められていく。

子どもも分かっているんです。今の自分の現状を。だけど親も子も自分を責めてしまう。不登校になっちゃいけないと思ってしまうんです。そこに苦しみの根源はあると思います。

不登校で苦しむ当事者の状況をどうにかしたい。

――石井さん自身も不登校経験者ですよね。

はい。私も中学受験の大きなストレスを機に、いじめや先生の問題、ずっと勉強していかなきゃならないという現実、あらゆる要因が重なり中学2年生で不登校へと。学校に行かなくなった時には、「人生終わったな」と思いましたね。

不登校新聞 編集長の石井志昂さん

――そこからどうされたんですか?

東京シューレというフリースクールへ行きました。感覚的には転校ですね。

――フリースクールに入り、「子ども若者編集部」へ。

当時の編集長だった人に有名人に会えるという甘い誘いを受けたのがきっかけです(笑)。

――そこから現在まで20年間、新聞社を続けてこれた理由は何だったんですか?

続けてこれたのには良いモチベーションと悪いモチベーションがあって。

良いモチベーションは、19歳のとき戦後最大の思想家である吉本隆明さんに取材に行って、相談をしたんですよね。「書くのが苦手で、すごい嫌なんです」と。そしたら「才能があるかないかは10年やったら分かるよ」と言われて。10年間続けてみて、10年目ぐらいではっきり才能がないとわかったんですよね。才能がない中でどうやっていくかが分かれ道だなと。

――才能があるか分かるまで10年は必要と。一方で悪いモチベーションはなんでしょうか?

悪いモチベーションはいじめ自殺や9月1日問題*がずっと続いていること。いじめ自殺はほとんど遺族が勝てないんですよ。親が嘆願してアンケートを集めても、学校は捨てますし。いじめられて亡くなった人、その遺族は徹底的な弱い者いじめで苦しめられる。

当事者の不登校の話を聞いても、私とまったく同じ状況で学校に行かなくなってしまう。この悪い状況をどうにかしたいというのが原動力になってますね。

*9月1日問題:夏休みが終わった最初の登校日に子どもの自殺が急増する現象。

不登校は一つの選択肢

――石井さんのプロフィールに「不登校は人生を切り開く契機」と書かれていました。この真意について教えて下さい。

不登校になった時に、自分が一番大事にしているものが何なのか考えたんですね。私は「納得」を大事にしていると気付いたんです。「納得」して生きたいと。

例えば学校の中に居たくないと思って、出ていったときに「納得」できたんですよ。どんなに不利な状況になっても構わない。そこで「納得」をベースにした生き方を決められました。その決定が、その後の人生で悩んだときの守り神になったんです。

不登校新聞 編集長の石井志昂さん

――不登校期間中に考え方の核ができた。

編集をやっていて、トラブルに見舞われると「もう辞めたい」ってなるんです。だけど、辞めたい気持ちを否定したり、自分の感情をコントロールしようとすると上手くいかない。不登校も同じで、簡単に解決しなくていい。今の状態でいいと思うことが大切

玄侑宗久*というお坊さんが「もっと人は揺らいでいい」と言っていて、仏教用語で風流と呼ぶんですね。ブレブレでいいと思えると、すごく楽になりますよ。

*玄侑宗久:日本の小説家、臨済宗の僧侶。福島県在住。

――今後、編集長として伝えていきたいテーマなどはありますか。

9月1日問題について何かカタをつけたい。どうにかしたいですね。大きい視点で言うと、編集会議のやり方や編集方針もそうですけど、ブレブレな生き方ってもう少しあってもいいと思うんです。

10代って寸暇の惜しみもなく、勉強の時間が入っている上、20代でも雇用環境が厳しいのに正社員が最高みたいな。もう少しこう、緩い生き方というか、不登校だからこそ見つけられたライフスタイル、人としての多様性。そういうことを発信できたらと思います。

提供:70seeds

WRITER 
高木健太

高木健太
1995年北海道生まれ。旅行と銭湯、映画が好きです。

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