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【新しい働き方はどのように生まれた?・海外編】第19回:働き方における家族の意味、マイホーム主義は悪いのか? (2018/1/19 nomad journal

「マイホーム主義」という言葉がありますが、この言葉、日本ではどちらかというと利己的または反社会的な言葉として扱われています。でもオーストラリアでは「ファミリーファースト〈家族第一〉」と言われているように、世の中の様々な活動はそれぞれの家族が幸せになるために行われるべきだと考えられています。

住宅

ホームセンターはなぜ繁盛するのか

オーストラリア各地にある巨大ホームセンター。取り扱っている品数の多さとフレンドリーなサービスで人気があり、年々店舗が増え、他のホームセンターの追従を許さない独走状態が続いています。店舗のサイズも建てるたびに大きくなり、最近できた一番大きな店舗は東京ドームのグランド面積以上あって、週末となればショッピングセンターに負けないくらいの混みようです。

それもそのはず、2017年にメルボルンの市場調査会社ロイ・モーガンリサーチが発表した内容によると、2016年では62%の人がなんらかの形で自分の家に手を入れたそうです。その内容をみると、家の一部の改造・修理、増築、壁などのペンキ塗り、配管・配線の修理などですが、このような家を良くしようとする活動がホームセンターを繁盛させているのです。

人生の中心である家族

これだけだと、オーストラリアではいかにも「マイホーム主義」が横行していると思われるかもしれません。実際、オーストラリア人が自分自身の家にかける思いには強いものがあります。でもそれは悪い意味の利己主義からではなく、家は社会の一番の基本である家族が住むところであり、その家族のためによりよい環境をつくりたいという思いが家造りにつながっているからなのです。そして、こうした家族への思いは働き方にも現れています。これまでも何度か触れてきましたが、オーストラリアでは家族のために年休をとることが多いのです。ところが、こうしたオーストラリア人の家族を大切にする態度が、ほとんどの日本人駐在員には理解できないどころか受け入れられないのです。

家族についての考え方の違い

例えば次のような場面を想像してみてください。

日本人駐在員とオーストラリアマネージャーの定例会議。仕事の進み具合や今後の予定など大体の話が終わり一息ついたとき、一人のオーストラリア人のマネージャーが「来週の水曜日は休みます」と言い出します。そのマネージャーを訝しげに見つめる駐在員。それに気づいて、「来週の水曜日は結婚記念日だから妻と出かけるので休みます」とまたしてもひょうひょうとした表情で繰り返すローカルのマネージャー。

そして、また別の場面で、「今度の金曜日は子供の学校でコンサートがあるので仕事は休みます」という従業員。それを聞いて「子供の?」と不満そうな日本人駐在員。

このどちらの場合も日本人駐在員は「じゃあ、○○の仕事はどうするのか」と聞きます。ローカルは、急ぎの用でない場合は「戻ってからやります」と答え、急ぎの用の時は「○○さんにフォローを頼んであります」と答えます。

なぜ家族のために休むのはよくないのか

確かに、あてがわれた年休を使って休むのだし、しかも仕事のフォローをどうするかもアレンジしてあるので悪いことは何もないわけです。それでも日本人駐在員は「なぜ妻のために?」「なぜ子供のために?」と不満でならないのです。

それもそのはず。日本の職場では、結婚記念日や家族のメンバーの誕生日、はたまた子供の学芸会などで休むなんてことは「けしからんことだ」と考えられているからです。なんとかかろうじて大目に見られているのが家族に不幸があったときだけ。

仕事本位の生き方の家族への影響

ここまで読むと、私自身はいかにも家族中心主義で働いてきたと思われるかもしれません。ところが振返ってみると、入社して最初の15年くらいはまさに「仕事本位」で働いていたのです。

年20日間ある年休の内、取るのはせいぜい10日くらい。それも会社全体が休みになるときだけ(オーストラリアではクリスマス休暇などは年休として取る)。結婚記念日がいつだったかも忘れるほど。子供の誕生会も週末に「少しめんどくさいな」と思いながらアレンジ。学校が休みの時は市が主催してくれる「ホリデープログラム」に子供を預けっぱなし。と、その頃は、まさに仕事漬けの毎日でした。ところがしばらくたって子供が成長したときに寂しそうに言ったのです。「小さいころにもっといろいろな所に連れて行ってもらいたかった」と。胸にグサッとくる言葉でした。そして、その時にやっと気が付いたのです。それまでの自分がどれほど家族と言うものを軽んじていたかということに。

行きつくところはワークライフバランス

ただ誤解のないように言っておきたいのですが、家族のためなら仕事を放っぽりだして何をやっても良いと言っているのではありません。仕事は生きていくためにも、そして会社や社会を維持していくためにも大切なことです。でも私自身を含めた日本人のこれまでの働き方を見てみると、家族の大切さがしっかり認識されていなかった、仕事がその人の人生の大半を占めていた、そういった傾向があるように見えます。そういう意味では、行きつくところはやはり、「ワークライフバランス」なのではないでしょうか。

職場で誰かが休みを取るという話が出てくると、日本人駐在員との間でよからぬ雰囲気が漂い始めます。そんなときにローカルのメンバーがいつも言う言葉があります。それは、「日本人は働くために生きてるけど、私たちは生きるために働いているのだ」という言葉です。心にじんとくるものがあります。

記事制作/setsukotruong

提供:nomad journal

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