選択1つで未来は変わる―長岡の小さな総合商社「寿々瀧」がつくる地域循環 (2016/10/17 70seeds)
70seedsでも特に力を入れているのが「地域」にかかわるキーマンのインタビュー。そんな方々が共通して口にするのが「外に知られることで、地域の中が元気になる」という言葉です。
先日公開した「レストランバス」の取材で訪れた新潟で偶然出会った、寿々瀧の鈴木将さんもそのひとり。地元で飲食店を経営していた父親の跡を継ぐため戻ってきた長岡で、「地元のもの」にこだわり続け、業態をどんどん拡大している若き経営者が目指す、「地域循環」のあり方に迫ります。
ボランティアではなく、ビジネスで産業をつくる「長期的な支援」
――こちらの「SUZU 365」というのが鈴木さんのお店ですね。どんな事業をやっているんですか?
ここでは、地場の食材を使った加工食品や惣菜、調味料など扱っています。小さな総合商社のような感じで、地域の人に地場の食材を日常的に取り入れてもらい、食を通じて地域の良さを知ってもらえればと考えています。
――現在の事業を展開することになったきっかけについて教えてください。
元々父親が長岡で飲食店を経営していて、私は10年くらい外で修行し、あとを継ぐような形で地元に戻ってきたんです。当時から1号店では地のものをうまくつかうことに取り組んでいて、3年目にもっと野菜にこだわって生産者と距離が近くなったことで、生産者の課題が見えてきたことが大きいですね。
――生産者の課題というのは、どんなことですか?
飲食店ってバブルがはじけた後どこも苦しくて。経営として主流だったのは原価と人件費をとにかく落とすことだったんです。その感覚が当たり前で戻ってきたら、どうやら間違っていたようだと。食というのは1つのチームでなくてはいけないと思ったんです。一番最後の接点をつくる、ということが残された最後の砦としての飲食店の役割だと。
――なるほど。
そして、そんなことを考えていたところにちょうど東日本大震災が起きたんです。
――震災の経験は大きかった?
はい。それで自分が何をしていくべきか軸が見えてきましたね。
――軸というのは?
やはり自分も事業をやっているから、現地でボランティアなんかはできないわけです。物資の支援しかできない罪悪感がありました。逆に、だからこそ自分たちの地域でしっかりした循環をつくらなくてはいけないと。そういう復興のあり方をつくっていく、短期ではなく長期的な支援で未来をつくっていく。ボランティアではなく、ビジネスで産業や消費をつくることが長期的な支援だ、と考えるようになりましたね。
――それが「SUZU 365」や「SUZUDELI」につながっていくんですね。
そうですね。いろんな生産現場を知って、なくなりそうなところがあることを知った経験が大きいです。ニーズをつくっていくことがビジネスの最大の強みなので、お客さんに喜んでもらい、地域にも必要としてもらう。それがこれからの世代の方にも励みになるんじゃないかなと。
――各業態ではどんなことをやっているんですか?
元々の「寿々瀧」は居酒屋だったんですが、「SUZUDELI」はでカフェ業態を始めたんです。コンビニのような手軽さを取り入れれば、地域の人たちにも喜ばれる。デリカッセンとして運営することで、若い人にもファッションの中で触れてもらえるようになりました。
――挑戦がうまく地域にマッチしているんですね。
とはいえ、田舎のマーケットではおいしさ、新しさ、東京っぽいものが求められるんですよ。やっぱり。郷土料理、地場のものは当たり前すぎて飽きられている。だからそのエッセンスを引き継いで新しいものをつくるのが、工夫のしどころなんです。
外からの消費に頼らず、地元で循環できる「豊かさの継承」を
――鈴木さんが目指しているものってどんなものなんでしょう。
いい地域循環をつくるのが最大の目的です。「レストランバス」に協力しているのもその1つ。外で評価されることで自分の魅力に気づくので、東京にアピールすることで地元に火をつけたいですね。外からの消費に頼らず、地元で循環できる「豊かさの継承」を作りたいんです。
――モデルにしているような地域はありますか?
モデルはイタリア。スローフードだとか、6次産業も地方が中心になっている国ですよね。誰かが一発当てるのではなく、地元の人が中心になって地道に広げていく。大規模な経済的発展はなくても、地域ならではの楽しみを持てるようにしたいです。そんなお互いに支えあえるモデルをどこかの地域が作らなくてはいけないと。
――そういった想いも震災がきっかけだったということですが、新潟も被害が大きかったんですか?
実は新潟は、311より前に新潟中越地震の被害に遭った地域なんです。震災から12年、皆から忘れられてしまっているということにも危機感を覚えています。被害のひどかった山古志の出生率はついにゼロになってしまいました。
――ゼロに!
新潟は人口減少の渦の中にいるんです。新潟がどう復興していくか、地域循環、良さをどう打ち出していくか、他と同じではないやり方を見つけないといけない。自分たちの次の世代につないでいくためにも、目立たせなくてはいけないんです。そしてバトンをつなげたい。
価値があってもニーズがなくては意味がない
――一方で、これだけのこだわりを地方でビジネスとして成り立たせるのは、ハードルも高そうです。
そうですね。値段が高かったりすると、今の暮らしの中ではリアルには厳しいという声もあります。もちろん経済を主体に考えると安い方がいい、ちょっと高くていいものとは言っても、10円20円でも買えなくなってしまうこともリアルにあるんですよ。共働きで食事をつくれないとか、家庭ごとの事情もあるし。
――そういう声に対してはどうするんですか?
それもビジネスで解決していきたいんです。忙しいお母さんのために365では安価な惣菜を出すとか、NPOと連携していくとか。実際にそうした取り組みで皆がだんだん変わっていくのを感じていますよ。
――軸が一貫していますね。改めて感じます。
いくら良いことでもお客さんがいないとだめじゃないですか。だから、受け入れてもらう体制をつくる、何かを持ち帰ってもらおう、と考えています。あまり大真面目にやりすぎても自分のエゴでしかない。今のニーズとどう掛け合わせていくか、どれだけ価値があってもおいしいと思われなくては意味がないんです。
僕らの選択1つで変わる
――今後はどんなことに取り組んでいく予定ですか?
ネットショップを立ち上げてストーリーや背景を伝えながら売っていく、というのがまず考えているところですね。
――ネットですか。もちろん「SUZUらしさ」みたいなものが。
そう、地域資源を活かしたいんですよね。例えば新潟の特長の1つが雪。これだけの豪雪地帯にも関わらずこれだけの人が住んでいるのは世界的にも珍しいんです。支えあう精神や食文化がそのカギになっているんじゃないか。モノづくりなんかも。ただ「おいしい」ではなくその理由づくりを「雪」を中心に広げていきたいですね。
――「雪」と「支えあい」のつながりは、ハッとさせられる発想ですね!
あとは「地域商社」をやっていくことですね。外には高く売りながら、内側には安く。
――一見、外の人に不親切なような…。
ええ。やっぱり一番はこの土地に来てほしいからです。来てもらうことのメリットを作りたい。背景を感じながら食事をしてもらいたいんです。逆に、付加価値がつきすぎると中の人が買えない価格になってしまい、足を遠ざけてしまう。日常で当たり前に楽しんでもらいたい、地域循環をしっかり作って外に発信していきたいということですね。僕らの選択ひとつひとつで変わるわけですから。
――納得しました(笑)。とにかく地場を大切にする、徹底的に一貫していますね。
単純においしいものを出してお客さんを喜ばせろ、というのは父親からずっと言われてきたことです。エゴではなくお客さんの歩幅に合わせながらやっていく。元々は「養老乃瀧」というチェーンをやっていたので、昔の居酒屋が築き上げた、人情味あふれる感じを大切にしているんですよね。今は大手チェーンは効率化、接客減らしで魅力がない。ある意味、そういう風潮との戦いなのかもしれません。
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