地方分権の担い手たちの資質 (2016/9/29 クオリティ埼玉)
国会が開会されたが、最近のテレビニュースでは、東京都の豊洲市場の盛り土問題や富山市議会議員の政務活動費にからんだ不正など、国政よりも地方の行政や議会のほうが大きく取り上げられてきた。豊洲については今後どう展開するのか予断できないが、富山市議会は議長はじめ9議員が辞職し、議員定数(40名)の6分の1を越えたので、補欠選挙が実施されることになった。
お手盛りで議員報酬を増額した上に政務活動費をネコババするとは呆れ果てる。国政でも議員のおそまつぶりは枚挙にいとまがないが、日頃あまり目が向かない地方政治にも厳しい監視が必要だ。「地方創生」とか「地域主権」「地方分権」という言葉が飛び交うが、その担い手たる彼らにどこまでその自覚があるのだろうか。
ここで頭に浮かんだのは「これからどうする―未来のつくり方」(岩波書店 2013年刊)に収録されていた元・鳥取県知事で今は慶應大学教授(地方自治論)の片山善博氏の一文だ。仕事柄、いろんな所で地方分権をテーマに話をすることは多く、そんな時は冒頭に「地方分権に賛成か、それとも反対か」と問うそうだ。それに対しては、大都市であっても地方都市であっても、また対象が経済人でも一般市民でも、例外なく地方分権に賛意を示す人がほとんど。ところが話の終りに同じ質問をすると、今度はこれまた例外なく地方分権に否定的な人のほうが断然多くなる。地方分権をけなしてはいないし、むしろ利点を強調しているのに。
その間の事情は聴衆の表情を見ていると理解できるという。地方分権とは、これまで国が持っていた決定権や判断権を地方に移す作業で、とりもなおさず自治体の最高意思決定機関である議会がそれらの権限を行使することになると説明したとたん、聴衆の多くが苦笑いしたり、首を傾けたりし始めるそうだ。
「あの議員たちが決めるのなら、地方分権は考え直したほうがいい」と不快感を表明する人も少なくない。地域に移された権限が一部の人たちのコネや情実の中で処理されかねないとの不信感が強い。一般論としては地方分権に賛成しても、決定主体としての地方議会がイメージされると、それなら賛成できないとする気分に変わるようだ。地方分権、地域主権改革において、それまで自治体の機能を高め、財政自主権を強化することに腐心してきたという片山氏は、今後少し観点を変え、住民の信頼を得るために地方議会の質の向上に力を入れることを急ごうと提言している。
これは私が住む市においてもあてはまる。最近では公共施設利用に関するどうにも不可解な改正条例案を市会議員が提案し、十分な論議がないまま多数決で議会を通してしまった。そのような議員たちを選んだ住民にも責任がある。自らも知事選挙を経験した片山氏は、4年前に毎日新聞のコラムでこうも書いている。
「選挙は人をけなして自分を売り込む作業なんです。そんな人は尊敬されないでしょう。こんな人に政治をやってもらいたいと思えるような、慎みと教養のある人はそもそも出にくいんです。でも誰かを選ばなくてはいけない。制約条件のある中で割り切って選ぶ。100点満点で30点とれればいいんじゃないかと」
山田 洋
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