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地元横須賀を「選ばれるまち」にするべく日々邁進―民間企業、大学院生、市議会議員を渡り歩いた市長の想い (2016/5/19 Patriots)

コンサルタントとして勤めたのち大学院に入学、そこから市議会議員、そして現在は神奈川県横須賀市長という異色の経歴を持つ吉田氏。政治以外での様々な場面をご経験された吉田氏に、政治の世界に飛び込んだ理由や地元横須賀に対する想い、またこれからの自治体運営のあり方について伺いました。

横須賀市長 吉田雄人1

はじめは政治に対して良い印象はなかった

――政治家の道を考え始めたのはいつ頃ですか。

私は大学卒業後、民間企業で働いたのちに大学院に戻ったのですが、職業として政治家を考え始めたのは大学院在学中の頃でした。それまではというと、学部生時代は政治家を数多く輩出したクラブに所属していたのですが、選挙の応援や政治パーティーに駆り出されるばかりで、政治に対してあまり良いイメージはありませんでしたね。ですから大学卒業後は政治の道ではなく、民間企業に就職しました。

就職した会社では行政機関のコンサルティングを担当しました。当時は行政機関のIT化を進めていたのですが、官僚のみなさんは優秀な方ばかりなのに、プロジェクトは遅々として進まない。政治の側がなかなか動かなかったからだったんですね。そこで政治は何をやっているんだと思い、会社を退職して大学院で政治を専門的に学ぼうと決めました。

結果的に、大学院で周囲から政治の世界へ飛び込むように背中を押されました。院生同期の市議会議員の方からは、勉強だけじゃなく現場に出てみたら、とアドバイスを受けましたし、学部時代のサークルの先輩で区議会議員として活躍されている方からも、20代でも務まるよ、と言われました。それが出馬するきっかけですね。

議員になって初めて気付いた

――横須賀市議会議員になってみて感じたことは何ですか。

初めは正直、議員が真面目に仕事をしているのか疑問でしたが、実際に議員として財政状況や条例の体系を考えたり、市民の皆さんから相談を受け社会の実情も見えて来たりする中で、そんな偏見はすぐに消えてなくなりましたね。

法律や条例と実際の生活という両局面を一度に見るうちに、政治も決して雲の上の存在ではなく、私たちの生活に直結しているんだな、と実感しました。

ふるさとのために活動をしたいと思っていたので、国政は考えていませんでした。一方で市長については、市議会議員になってしばらくしてから考えるようになりました。例えば予算を組む権限は市長にしかなく、議会はそれを承認するしかできません。当時はハコモノが問題になっていて、無駄遣いを止めたいと思っても議員一人にはそこまでの力はない。そのもどかしさから、「自分が市長の道を」と、考えるようになりました。

――市長を目指すといっても、横須賀市はあの小泉純一郎元首相をはじめとする自民党の地盤です。しかも現職の市長がいる中での出馬となると、難しいとは感じませんでしたか。

私自身は難しいとは思っていませんでしたが、私を支持してくれるだろうと思っていた人が相手陣営に行ってしまう、といった誤算などはありました。会社員時代の同期にも止められました。それでも、相手が誰であろうと想いはいつか市民の皆さんに伝わる、そう信じていました。ですから、最初から諦めるという選択肢はありませんでしたね。

選ばれるまち、横須賀を目指して

横須賀市長 吉田雄人2

――市長になられてから、横須賀市をどんなまちにすることを目指してきましたか。

1期目は私自身のビジョンを示すよりも、まずは目の前の課題を優先しました。私が就任するまでは官僚出身の市長が36年も続いていて、多くの市民の知らないところで国から借金をして、たくさんの公共施設を作ってきたのです。その結果借金が3130億円にも膨らんでいたので、まずはそれに歯止めをかけて、財政を健全化させることが必要でした。一年間の会計以上の借金をしているなんて異常事態ですから。1期目の任期を終えるまでには借金を130億円以上減らして、3000億円以下にまで抑えました。

2期目となる現在では、「選ばれるまち、横須賀」というビジョンを掲げています。無いものを求めるのではなく、既にある横須賀の魅力や潜在能力を最大限引き出そうという想いを込めています。具体的には、子育てや社会保障を充実させて、赤ちゃんや高齢者、他地域から移住して来る方に選ばれるまち、観光客から選ばれるまち、といった形です。

加えて、横須賀は首都圏では珍しいホタルの生息地なんです。環境の良いところにしか生息しないホタルが、ここ横須賀では30か所以上で見られる。「ホタルからも選ばれるまち」です。「横須賀を選ばれるまちにしていく」―これこそが、私が市長をつとめている理由です。

目下のところ、人口減少の問題に取り組んでいます。横須賀から出ていく人を少なくするよりも、移り住んでくる人を増やさなければならない。中でも20代から40代の子育て世代は他の地域に移り住む割合が高いので、彼らにどうアプローチをするかが大事だと考えています。

具体的には3つの政策を考えていて、1つ目に待機児童解消や小児医療の拡充、児童養護施設支援といった子育て環境の向上。2つ目に自然と調和した都市開発を通した、良好な住宅環境の提供。そして3つ目に横須賀のイメージ発信。この3つの政策で子育て世代に訴えかけていこうと考えています。

ほかには「ヨコスカバレー」と題して、横須賀にはYRPという研究開発拠点がありますから、そこと連携して企業誘致に注力しています。企業からも選ばれるまちにしていきます。

政治はあくまで選択肢の一つ

横須賀市長 吉田雄人3

――政治というものをどうお考えですか。

社会問題を解決するうえで、政治はあくまで選択肢の一つです。政治家を目指す方々には、本当に政治だけが答えですか、と問いかけたいですし、他方で民間や公務員として働く方々には、もっと政治を意識してみてはどうですか、と伝えたいですね。私自身は社会企業家として活動している意識があります。利益追求のためではなく、社会課題の解決のため、市民サービスの質を高めることを主眼に置いているという点で、政治家と社会企業家は非常に親和的です。

イノベーションは役所のような組織からは生まれづらく、民間のような自由な立場や発想が必要です。その点で現在の横須賀市は、「良い太鼓」を目指しています。内部からのイノベーションは難しくても、外側からアイデアを投げてくれれば、それに最大限応える。上手く強く叩いてくれれば良い響きを返す、ということです。

例えば横須賀には猿島という島があるのですが、民間企業と協力してこの島を丸ごと貸し出す政策を打ち出しました。こうしたアイデアは役所の外のイノベーターと協力して初めて生まれるものです。

ぜひ、若い政治家、志のある政治家を応援してあげてください。ベテランと比べて、若い政治家は何をするにも苦労ばかりです。お金を出す必要はありませんが、投票をはじめとして、チラシを配ったり、ホームページの作成を手伝ったり、普段の活動の中で困っていることを手助けするだけで良いんです。政治家と接点を持つことに負い目を感じる必要は全くありませんよ。

聞き手:日本政策学校

提供:Patriots

プロフィール
吉田雄人(よしだ・ゆうと)
1975年12月3日生、いて座のA型、干支は卯。1994年、神奈川県立横須賀高等学校を卒業。1999年、早稲田大学政経学部政治学科を卒業。同年、イギリス・ロンドン短期留学(約3カ月)。2002年、アクセンチュア株式会社を退社。2003年、横須賀市議会議員選挙において初当選。2006年、早稲田大学大学院政治研究科(地方自治行政)を卒業。2007年、横須賀市議会議員選挙において再選。2009年、横須賀市長に初当選。第35代横須賀市長となる。2013年、再選。現在、第36代横須賀市長。無所属。
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