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「政治家」と「議員」は異なる―「議員」でなくても、世の中を良くする取り組みはどんどんやっていくべき (2016/5/17 Patriots)

通産省の官僚時代から教育や人材育成の重要性を説き、私塾「すずかんゼミ」を立ち上げるなどしていた鈴木寛さん。その後、参議院議員を2期務め、文部科学副大臣としてコミュニティ・スクールの推進など数々の教育改革に携わってきました。現在は東京大学大学院と慶應義塾大学の教授、文部科学大臣補佐官、社会創発塾塾長など多様な活動を展開する中、いまの日本社会には「熟議の民主主義」が必要だと説き続けています。鈴木さん自身のこれまでの歩みや政治、社会に対する想いについてインタビューさせていただきました。

東京大学大学院、慶應義塾大学教授 鈴木寛1

通産省の官僚、教育者、そして参議院議員へ

――通商産業省(現・経済産業省)の官僚から教育の道へ進まれたのはどうしてですか?

通産省に入る前から教育や人材育成の大切さについては漠然と感じていました。その想いが確信に変わったのは、1993年から2年間、山口県に出向したときのことです。吉田松陰の松下村塾がわずか8畳2間の狭い空間で開かれ、たった2年足らずで明治の世を作り出す優秀な若者たちを輩出していた、ということに衝撃を受けたのがきっかけでした。

それから明治維新のことなど歴史を色々調べていくうち、確信したのは、やはり人の力、とりわけ若者の力は無限だということです。若い人材を育てることに意義を感じた私は、95年に東京へ戻ってから私塾「すずかんゼミ」を立ち上げ、夜間や週末を使って若者たちとの学びの場を設けました。若者が持っている感性や志、パワーは新しい時代を作っていくものです。

若者が感じていること、見ていることは「未来」ですから、一緒に考えたり学んだりするのは私たちも楽しいし勉強になります。そのため、ゼミは若者が力を最大限に発揮できるよう、「教える」ではなく「一緒に育っていく」環境やチャンスを作る場だと考えています。

東京大学大学院、慶應義塾大学教授 鈴木寛2

――その後、参議院議員になる経緯を教えてください。

1999年に通産省を辞め、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで環境情報学部の助教授になりました。2000年にはNPO法人の設立にも関るなど、このころは将来ずっと大学教授とNPOで活動していくと心に決めていて、必ずしも政治を志していたわけではありません。

ただ日本の政策形成過程をもっと良いものにしていく、ということには非常に強い関心を持っていて、通産省時代から政治学者や行政学者の皆さんと一緒に中央省庁の政策形成過程についての本を書いたり、どこに問題があるのか、ということを研究したりしていました。

具体的にはコミュニティ・スクール構想に関わって、学校を地域や学生ボランティアの力を得ながら開かれたものにし、教育を立て直すことにも取り組んだり、すべての子どもに学習権が保障されるよう訴えたりしました。そのため、おのずといろいろな議員や省庁の政務担当者、与野党の政策責任者の方々と関わりがあり、いろいろなご縁があって突然ふってわいたように政治家にならないかというお誘いをいただきました。

思えば福沢諭吉も慶應義塾を開き、時事新報を創刊しながら、東京府議会(東京都議会の前身)議員も務めていましたし、大隈重信も政治家でありながら早稲田大学を創りました。明治時代の人たちが人材育成と言論活動、議会や行政といった仕事を兼ねてやっていたように、私が大学教員とNPO、そして議員活動というスタイルで政治に関わる方法もありではないかと考えるようになったのです。

実際は相当悩んだのですが、決定的だったのは経済的な理由で学び続けるのが困難になった大学の教え子がいて、奨学金の重要性を痛感したことです。日本は「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」に批准していましたが、第 13 条2(b)および(c)の規定(中等教育・高等教育)の「無償教育の漸進的導入」という部分に拘束されない権利は留保していました。この状況を改善して学習権を充実させるために政治家になり、奨学金や大学の授業料減免措置などを拡大させようと思ったのです。

またもう一つは教育改革国民会議第二分科会で金子郁容さんらと提案していた「コミュニティ・スクール」ですが、当初はなかなか賛同を得られていない状況にありました。これを「絵に描いた餅」で終わらせず、構想を実現するために政治家になる道を選びました。

コミュニティ・スクールはその後、全国7カ所でのモデル事業を経て2004年6月に法案が成立しました。2009年、私が文部科学副大臣になったころは400校だったコミュニティ・スクールは現在、3,000校ほどにまで増えています。議員活動は2013年まで続けましたが、二度の政権交代を経ても途絶えることのなかったコミュニティ・スクールの政策に関与することができて個人的にも幸せだと感じています。

マスメディアに流されず「熟議」することの重要性

東京大学大学院、慶應義塾大学教授 鈴木寛3

――「熟議の民主主義」という言葉に込めた想いについて教えてください。

現在はマスメディアと代議制民主主義がかけ合わさった世の中で、政治の空洞化が激しく起こっています。これは日本だけの現象ではなく他の国でも見られることです。この状況を生み出している一つの要因は、一部の商業メディアが流す偏った情報に人々が流されていることだと考えています。

結果、選挙において有権者の投票行動も左右し、議会や世論に反映される、という悪循環が起きているのです。このように空洞化しつつある民主主義やガバナンスをまともなものにしていく、最初の入り口が「熟議」。人々がもっと深く知り、考えたうえで有権者として参画していく「熟議の民主主義」が求められていると思っています。

――「熟議の民主主義」を進めるために必要なことは何でしょうか。

世の中には矛盾や葛藤、トレードオフなど、まさに連立方程式が解けないような状況がままあります。人によって「政治とは何か」の認識には随分と差がありますが、私にとっての政治の定義は、いずれも重要な価値にあえて優先順位をつけることだと考えています。現実社会では、51対49とか、どちらも大事なのに順番を付けなければいけない局面が必ずあります。そのときプライオリティーを2番目にされた人からすれば、ものすごく怒るわけです。この意味では、政治が常にもめているのは当たり前で、ギリギリの価値と価値のぶつかりあいの現場が政治なのです。

なおかつ、政治には他のセクターで解決ができなかった問題が持ち込まれます。世の中の難問中の難問が集まる場と言っても過言ではないでしょう。

このように極めてシビアな状況の中で、難問から逃げることなく取り組んでいくのは大変なことです。しかし昨日より今日が少しでも良くなるように、とプロフェッショナルとしての責任感をもって向き合っている政治家もいます。その政治家が担う仕事の尊さを、どれだけの有権者が理解し、尊敬の念を払っているでしょうか。

日本では、税金を納めるのを嫌がるのに、政府に問題解決を求める人が多すぎるのではないでしょうか。財源がなければ解決できない問題もあるわけですから、それは「ないものねだり」です。世界と比べても、ここまで高齢化が進んでいながら消費税が8%でとどまっている国なんてありませんし、公務員の数も足りません。また、一部の商業メディアが視聴率のために政治をディスり(侮辱し)、大衆がそれに流されている限り、政治の世界に優秀な人材が流れていきません。この悪循環を断ち切るためには、国民の意識がもっと醸成されることが必要です。

議員か議員でないかではなく、もっと多くの人が政治に参画を

東京大学大学院、慶應義塾大学教授 鈴木寛4

――どのようにすれば日本は良い方向に進むとお考えになりますか。

「政治家」と「議員」という言葉は使い分けるべきだと思っていて、世の中を良くしようと頑張っている人はみんな「政治家」だと私は定義しています。その意味では「政治家」は当然、会社の中にも、NPOにもいるし、大学の中にもいるわけです。世の中を良くする取り組みはどこでもできるものだし、逆に言えば、必ずしも議員になる必要はないと思っています。

しかし議員にしかできないことが2つだけあります。1つは法律や条例といったルールを作ること、そして2つめは税金の徴収と配分の決定に関与することです。必ずしもルールや予算、税金を必要とせず社会問題が解決できるなら、別に議員にならなくてもどんどんやっていけば良いと思います。しかしルールや予算を必要とする改革には、議員や官僚などにならなければ携わることができません。

私はずっと「ガバメント・ソリューション(政府による問題解決)」と「マーケット・ソリューション(市場による問題解決)」、そして「コミュニティ・ソリューション(コミュニティによる社会問題解決)」の3つのセクターが有機的に統合され、それぞれ協力しあうことが必要だと説いてきました。それぞれのセクターには得意、不得意があることを正確に理解し、課題解決のためにはどう組み合わせれば良いかを政府にいる人にも、民間にいる人にも、コミュニティにいる人にも深く共有され、社会を変えていくチームを作っていくのが理想だと考えています。

例えば「ガバメント・ソリューション」に取り組む人は、ゴールキーパーや守備的なポジションに似ています。バックスのいないサッカーチームがないように、この役割を担う優秀な人材は絶対に必要ですし、さらにその人たちが生きがいを持って力を出せる環境を作っていかなければいけないと思います。

――どのような人が政治を担うべきなのでしょうか。

「名望政治家」と言われましたが、政治家は学者や貴族など、教養、財産などに恵まれた人が無給で就く時代が長くありました。本来の政治家の姿は、何か本業を持っている人がボランティアで政治を行うものです。だから私も、自分は「議員もやっている」という言い方をしてきました。「職業としての議員」という形には若干、違和感があって、歳費は労働の対価ではなく、より議員活動にいろいろなエネルギーを割くための応援活動費として受け取るものではないでしょうか。

もっと言えば、会社員でもNPOやコミュニティ活動、そして政治活動にもっと参加したら良いと思います。議員になることだけが政治活動ではありません。議員を応援したり、政党の非常勤のメンバーや政策委員になったり、いくらでも方法はあります。今の社会で問題なのは、議員か議員でないか、というところに大きな溝ができてしまっていることです。その溝を埋めていくことが必要だと思います。

東京大学大学院、慶應義塾大学教授 鈴木寛5

――鈴木さん自身の今後の展望や目標について教えてください。

私自身は議員を再び目指さず、学者や教育者の立場から日本のガバナンスがもっと良くなるためにいろいろな知恵を編み出したり、広めたりしたいと考えています。また、この国を変えていく意識や知恵を持った人材を輩出し、彼らが政治、ビジネス、NPO、コミュニティとそれぞれの場所で難問解決を行っていってほしいというのが願いです。そのような教育やネットワークづくりで社会が良くなっていく下支えをしていきたいと思っています。

――どのような人に政治家を目指してもらいたいですか。

最初から議員になることを目指すのではなく、まずはそれぞれの現場で問題解決のために全力を尽くして頑張ってもらいたいです。全力で頑張ったものの、ルールや法律を変える、あるいは予算を得ることが必要な局面に直面すれば、政治の持つ役割や意味の大きさを痛感するでしょう。その経験を持ったうえで議員を目指すのが理想的ではないでしょうか。

議員になって何か具体的に解決したい問題がある、あるいは予算配分やルールを作ることで社会貢献したいことがある、といった状況にあって、そのための精進や努力をいとわない、という強い意志と覚悟を持った人に政治家を目指してほしいですね。

聞き手:谷隼太

提供:Patriots

プロフィール
鈴木寛(すずき・かん)
1964年生まれ。東京大学法学部を卒業後、1986年通商産業省に入省。「すずかん」の名で親しまれた通産省在任中から大学生などを集めた私塾「すずかんゼミ」を主宰した。慶應義塾大学SFC助教授を経て2001年参議院議員初当選(東京都)。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務めるなど、教育、医療、スポーツ・文化、科学技術イノベーション、IT政策を中心に活動。2012年4月、自身の原点である「人づくり」「社会づくり」にいっそう邁進するべく、一般社団法人社会創発塾を設立。2014年2月より、東京大学公共政策大学院教授、慶應義塾大学政策メディア研究科兼総合政策学部教授に同時就任、日本初の私立・国立大学のクロスアポイントメント。10月より文部科学省参与、2015年2月文部科学大臣補佐官を務める。また、大阪大学招聘教授(医学部・工学部)、中央大学客員教授、電通大学客員教授、福井大学客員教授、和歌山大学客員教授、千葉大学客員教授、日本サッカー協会理事、NPO法人日本教育再興連盟代表理事、独立行政法人日本スポーツ振興センター顧問、JASRAC理事などを務める。
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