メディアへの不信感から芽生えたコミュニケーションの大切さ―元NHKアナウンサーが取り組む「パブリック・アクセス」の可能性 (2016/5/9 Patriots)
元NHKアナウンサーであり、現在はジャーナリストとして活動している堀潤氏。テレビやラジオなど、各種メディアへの出演に加え、市民の声を直接伝える活動を支援するNPO法人「8bitNews」の代表も務めています。そんな堀さんに、メディアのあり方や日本の政治について伺いました。
根底にあったのはメディアへの不信感
――まずは経歴を教えてください。
兵庫県に生まれて、今年で39歳になります。時代感で言うと、まだバブルの香りが残っている頃に中学生、本格的に景気が悪化する頃に高校生、その後の就職氷河期の頃に大学生でした。
今から20~25年前。日本は混沌としていました。「酒鬼薔薇聖斗事件」や「オウム真理教のサリン事件」「阪神淡路大震災」、そして不況で多くの人々がリストラされ、自殺者は増え、政治は55年体制が崩壊。
そういった時代に中高生を過ごしてきたので、世の中を信頼することも、期待することもありませんでした。親が子供を殺し、子が子を殺し、大人社会は裏切りあい、嘘のつきあい……。ノストラダムスの予言通りに世界が終わればいいと思っていました。
ただ、世の中に期待していなかった反面、漠然と「こんなのおかしいよ」「大人たちが世の中をダメにしているんだ」という気持ちもありました。インターネットの黎明期ということもあり、ネットにどっぷりと浸かりながら、世の中に対する不満、つまりはメディアへの不信感が根付きました。
ドイツで感じたコミュニケーションのチカラ
――メディアに対する不信がありつつも、NHKに入社した理由はなんですか?
大学ではドイツ文学を学んでいました。ただ、大学3年生のときに、あまりにもドイツ語がわからなかったので、ドイツのデュッセルドルフに行ったんです。アジアから来た青年ということで、ヨーロッパの女の子たちにバカにされましたね。
話しかけてきてくれたのは、アメリカからきた40代のキャリアウーマンと、公園でたまたま隣に座ったロシアから移住してきたおばあさんだけ。たどたどしいドイツ語でコミュニケーションをしていると、自分が救われていることを実感しました。そのとき、日本には人と人との間に冷たい隙間みたいなものがありますが、そういったものを改善しなければならないと思ったんです。
ちょうどそのころ、技術革新が起きるんですね。デジタル放送の開始です。チャンスだと思いました。これでメディアにおける双方向が実現できる、と。ただのポピュリズムを生む装置じゃなくなると思ったんです。
ただ、日本のメディアは、戦前戦後、何も変わっていなかった。主要プレイヤーが一緒なんです。朝日、読売、毎日、日本放送協会は、戦前の大メディアです。しかし戦後も、朝日、読売、毎日、日本放送協会。変わっていない。
ナチスから西ドイツへの変革とはずいぶん違うわけですよ。同じ大プロパガンダに加担した宣伝機関が、戦前戦後で主要メディアであり続けている。誰も責任もとっていない。それで大本丸のNHKに行くしかないと思いました。
NHK退職からNPO法人の立ち上げまで
――その後、NHKを退社されます。理由についてはいかがでしょうか?
根本にあるのは、「なぜ公共放送なのに、視聴者からのリクエストではなく、政治家や財界に配慮しなければならないのか」という思いです。
2001年に入局してから2013年に退社するまで、改革、改革、改革、の連続でした。「ニュースウオッチ9」を立ち上げたときも、「敵はニュース7だ。保守・本流のニュース7を改革しないとダメなんだ」と。この取り組みは、ある程度成功しました。
ところが震災が起き、改革をしようって言っていた人たちでさえ、安全運転をしようという機運になってしまいました。でもボクは、それだと、受信料をいただいているみなさんに申し訳が立たないな、と。
また、ソーシャルメディアが発達し、双方向のメディア運営が実現できるのにも関わらず、一向に実現しない現状にもやきもきしていました。つまり、テクノロジーの問題ではなく、テレビ側がパブリックからの意見を求めていないんです。変える気がない。
公共放送の役割とは、日本国民の生命と財産を守り、民主主義の発展に寄与することだと思っています。民主主義を発展させるためには、当事者性をもった市民を増やすこと。そのためにメディアがある。果たして今のNHKは公共放送としての本分を全うしているだろうか。
そう考えたとき、どうしても発信や活動に制約がかかってしまうNHK職員という立場は随分窮屈に感じました。退社後は取材活動を継続活動しながら、「パブリック・アクセス」の実現に向けてNPOとしての事業に力を注ぐようになりました。パブリック・アクセスとは、「国民が電波を使って発信する権利」です。欧米や韓国などの民主主義国家では法律で保障された市民の権利で、パブリックアクセスのためのテレビ局や番組もあります。メディアに対して受け身になるのではなく、自ら社会問題と向き合い自分の手で発信する習慣が根付けば、「おまかせ民主主義」などと揶揄される今の日本において、当事者意識を醸成することができるのではと考えるようになりました。
そのための環境整備を目的として、NPO法人「8bitNews」を立ち上げました。具体的な活動内容としては、市民による動画投稿型ニュースサイトの運営や、マスコミ関係者と協業してワークショップを開催しています。個人が発信したものを、より大きなインフラに乗せ、発信力を高めることが目的です。毎日新聞とグーグルとボクらで、毎月1回、40~50人ほど集めて行っています。
民主主義の恩恵を感じられる社会へ
――最後に、日本の政治について、堀さんのお考えを聞かせてください。
日本は民主主義です。日本国憲法により自由が保障されている一方、私たちは「公共の福祉」のためにその自由を役立てる責任を負っています。公共の福祉とは、互いの人権を侵害することのない社会です。一方で、誰かが人権を侵害されていれば、私たちは「自由」を思いっきり行使して、その人の権利を守ってあげなくてはなりません。
政治はそのためにあるのだと思います。民主主義の参加者として、一人一人の市民が当事者性を持って社会問題の解決に向けて知恵を出し合う社会を作っていきたいのです。政治は私たちの日常そのものです。
だからこそ、そうした気づきをみんなと一緒に体感するために、8bitNewsの活動がありますし、メディアもそうであるべきだと考えています。ただ単に、特定のイデオロギーで国を変えようとするのは、全体主義っぽくて嫌ですね。あくまでも多様性に満ちたそれぞれの個人が活躍できる社会でありたいと願っています。
1948年から1953年にかけて文部省が書いた『民主主義』という教科書があります。そこには「日本の進むべき道は、“経済的民主主義”である」と書いてあるんです。経済的な不均衡はやがて全体主義を生む。過激な思想や過激主義を利用した権力者が台頭する。だからこそ、経済復興により、国民があまねく経済的な恩恵にあずかれることが大事だ、と。
当時の役人は立派だと思いますね。さすが終戦直後だけのことはあって今の文部科学省に比べると迫力がありますね。時代の違いもありますが、民主主義というものをしっかりと考え、資本主義社会における不均衡の是正に取り組みたいという方であれば、どんどん政界に進んでもらいたいですね。
文:山中勇樹
提供:Patriots
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