被災地のものづくりにブランドを-大槌復興刺し子プロジェクト「決意の10年」 (2016/3/17 70seeds)
東日本大震災発生後、被災した各地では非常に多様な形での復興が進められました。今回ご紹介するのは、ものづくりブランドの普及によって復興を実現しようとしている「大槌復興刺し子プロジェクト」。
プロジェクトを運営するNPO法人テラ・ルネッサンス吉田真衣さんに、震災復興におけるものづくりブランドの運用や、大槌という町への「想い」を語っていただきました。
「大槌と刺し子のストーリーがマッチした」 – 大槌復興刺し子プロジェクトの誕生
――まず、吉田さん自身はどういった経緯で「大槌刺し子プロジェクト」に参加することになったのでしょうか?
私は元々、NPO法人「テラ・ルネッサンス」に所属していました。震災が起きた時はカンボジアでスタディーツアーを引率していて、ツアーも残り2日というところでした。バッタンバンという都市からシェムリアップへの移動中に聞きましたが、大変に大きな地震と福島原発が危ない、というのが初めての情報として耳に入ってきたのが、印象に残っています。
その後、ホテルでNHKのニュースが流れていたのですが、車が津波に飲み込まれる映像が繰り返し放送されていて、信じられない思いでした。
後は、とにかく参加者の方々と親御さんが連絡を取れるように調整したり、帰国後、どのように家に帰すか、ということを考えていました。
――そうすると、帰国をしてからすぐに大槌に関わるように?
いえ、私自身が直接プロジェクトの運用に関わる人間として着任したのは、昨年の夏になります。プロジェクト自体は2011年の6月に、東京のボランティア5名が始めたプロジェクトでして、その年の8月に「テラ・ルネッサンス」がプロジェクトの運営を始めることになります。
その後、プロジェクトの前任者が退任することなったのをきっかけに、私は後任という形で現在は大槌に住みながらプロジェクトの運営に関わっています。
――なるほど。そんな、「大槌復興刺し子プロジェクト」が誕生したきっかけについて、改めて教えていただけますか?
東日本大震災が発生したとき、大槌町という町は町長を含め800名近く、人口の1割強の方々が流されてしまうという甚大な被害を受けた場所でした。そんな状況下にある中、当プロジェクト立ち上げの中心となる人物もボランティアとして、大槌町の一番大きい避難所に入って、支援活動をしていたんですね。
その際、避難所で多くの人々と関わるようになるのですが、特に中高年の女性という方々が避難生活を送る中で何もやることがない、という実情が見えてきました。
大切な人を失ったり、住んでいる家を失ったのにも関わらず、何もできないまま鬱々とした日々を過ごしている。震災から少し時間が過ぎた2011年の5月頃の段階でもこのような状況が続いているという現状を目の当たりにし、これはなんとかしないといけないと考え始めたのがきっかけになります。
――復興活動には女性が関わることができなかったということですか?
復興をしていく中で、男性はがれきの撤去に出向いたのですが、その一方で力仕事に関われない女性たちはすることがないので、なんとか避難所でもできることがないかと、プロジェクト立ち上げメンバーが考えていました。
そこで、有志の一人が避難所の狭いスペースでも針と糸さえあればできる「刺し子」がいいんじゃないか、と提案したんです。そこで、大槌の女性たちに刺し子を作る「刺し子さん」として活躍してもらう、このプロジェクトが始まることになったのです。
――刺し子は元々大槌町由来のものだったのでしょうか?
実は、刺し子は大槌由来のものではありません。ですが、山形県の「庄内刺し子」、青森県津軽の「こぎん刺し」青森県南部の「菱刺し」といった、いわゆる日本三大刺し子と言われるものは、全て東北にルーツを持っています。
東北とは非常に結びつきが強いものですから、大槌の人々も刺し子に関してはある程度認知がありました。
さらに言うと、刺し子というのは古い時代、布が貴重だった時代に、布を長く使うために補強したりだとか、強くするという意味合いがありました。その後、時代が変わっていくうちに、装飾性を帯びていって、伝統柄になっていくという経緯もあったのです。
そういった歴史のある刺し子は、震災という難題に当たった大槌を再び強くする、新しい伝統を作るという意味を込められるという意味で、大槌と刺し子を結びつける、「大槌刺し子」が結果的にピッタリだったのではないと思います。
――刺し子が元々持っていたストーリーが、震災後の大槌町とうまくマッチしたのですね。
はい、その通りだと思います。我々もこのプロジェクトを運営していく中で、「大槌を元気にしたい」「お母さん達が輝ける生きがいを作りたい」、という目標を定めています。
大槌のような漁師町では、漁に出向かない女性・お母さん達は家庭を支える大切な存在です。だからこそ「刺し子」をお母さん達につくってもらって、それを商品として売り出すことで、お母さん達の力になれればと思っています。「刺し子」を作ることで、心理的な負担を削ることにもなるし、収入や生き甲斐も生まれています。
町に支えになるお母さん達に元気になってもらうことで、町自体にも強く元気になってもらいたい。そういった想いも込めてプロジェクトを運営し続けて、今に至りました。
――なるほど。後々は、大槌の「新しい伝統」になる可能性もありそうですね。
はい。最近は震災からある程度時間が経って、スタッフと刺し子さんで「大槌刺し子」のコンセプトについて改めて考える機会も増えてきました。そこでも、大槌を再び強くし、元気になってほしいという意味を込められる「刺し子」はこの町に合っているんじゃないかと感じています。
もちろんまだ先の話にはなるとは思いますが、「大槌刺し子」が大槌に根付いてくれればよいなあ、と考えています。
震災から5年が経った今、改めて考える「大槌刺し子ブランド」
――震災が起きてから、5年が過ぎようとしています。刺し子プロジェクトを運営する上でも、開始当初と変わった点はありましたか?
やはり、震災からある程度時間が経ってしまっているということは大きいかなあ、と感じます。
――というのは?
プロジェクト立ち上げ当初は、被災地の復興を支援したいという想いをもって「大槌刺し子」を買ってくださる方が沢山いらっしゃいました。ですが、震災からある程度時間が経ってくる中で、「復興支援」の名目で買っていただくことが難しくなってきたとのも事実です。
――そんな課題もある中で、プロジェクトを5年間続けてこられた要因はなんだったのでしょうか?
これは、「大槌刺し子プロジェクト」が開始当初から掲げた理念をしっかりと守り続けてきたからだと思います。「大槌刺し子」は刺し子さん達が一針一針心をこめて作っているわけですから、なによりも「手仕事」の価値を伝えることを大切にしたいという理念があります。
そういったものを大事にしたいと考えていく中で、刺し子さん達もプロジェクト開始当初から品質に非常にこだわった、丁寧な仕事をしてくださりました。結果、プロダクト自体の完成度も徐々に高くなっていって、5年の間継続できる「底力」みたいなものが身についたのではないかと思っています。
そして、これまでの他のいわゆる「伝統」とは異なる、大槌刺し子独自のデザイン性があったことも大きな要因です。つまり、「ずっと売れる商品を」という視点で、伝統柄とは異なる立ち位置で、ポップな要素を取り入れながら商品作りをしたことが、大槌刺し子の認知度を高め、多くの方が購入してくださった理由の一つだと思います。
――震災の直後から、被災地のものづくりは各地で行われてきましたが、「刺し子プロジェクト」は他のプロジェクトと比べ、どのような違いを持っていますか?
プロジェクトを続ける中で身についた「底力」は、商品の生産力として表面化してきたのですが、これは我々にとって非常に大きな強みになったと思っています。現在、刺し子さんは30人います。
そして、ある程度まとまった量、商品によっては月1000枚程度の生産を行える体制が構築できました。結果、企業単位の受注も可能となり、企業のノベルティなど、ある程度の数を見込む取り引きも可能な生産体制が整いました。
――刺し子さん達の地道な努力が、プロジェクトの今を作ったのですね。
このプロジェクトも本当にゼロからスタートした部分があったので、今となって様々な企業や団体と一緒に取り組みを行えたことは、本当に幸せなことだと思います。
――震災から年月が経っていく中で、今後プロジェクトの方向性は変わっていくのでしょうか?
やはり、我々のプロジェクトの起点は震災復興であったわけですし、今までは復興支援というマーケットの中で販売できていたのが事実です。そういったマーケットは今後確実に縮小していきますし、復興関連を名目にした各種イベントの開催も少なくなってきています。
そんな中で、今後は「復興支援」に頼らない「ブランド作り」が大切になってくるかと思います。支援するというものではなく、純粋にいい商品としてお客さんの手に取ってもらえる。そういった商品になっていかなければいけないと思っています。
「大槌復興刺し子プロジェクト」を通して作る「未来の大槌」とは。
――震災から5年が経った今、プロジェクトからはどのような成果が生まれたのでしょうか。
まず、数字のお話をすると4年間の売り上げが1億円を超え、そのうち約2700万円を刺し子さんたちに渡すことができました。
数字の面での成果もそうなのですが、刺し子さんたちが集う所を作れた、ことが何よりの結果だと思っています。
――震災復興の為のモノづくりにとどまらず、「活性化」の観点からも、成果が出せたと。
元々プロジェクトの立ち上げに関わった有志の人々の間でも、町の活性化に関わるものにしたいという想いもありましたし、テラ・ルネッサンスも事業に関わる前から、復興支援をするなら、10年は関わるという支援方針を決めていました。
大槌の町は震災が起こる前から人口流出・過疎化という課題を抱えていた場所でした。そんな問題を抱える場所で、追い打ちをかけるように震災が起きてしまった。そんな状況だからこそ、ものづくりのブランディングだけではなく、復興を超えて町に関わりたい、という想いがプロジェクトメンバーの総意でもありますね。
――なるほど。プロジェクトを通して、復興を超えた「町づくり」に関わっていきたいということでしょうか?
そうですね。もちろん短期的には難しい目標になりますが、将来的には「大槌刺し子」があることが、地域の人たちにとっての自信につながるような、形になればよいなあと思っています。
そして、町の人々が自信や元気を取り戻すといったことが、最終的に大槌の「町づくり」につながっていくんじゃないかとも思っています。
――長期で「大槌」に関わっていく決意を感じます。
我々もプロジェクトを立ち上げた当初から、大槌の復興に10年は関わるという覚悟の元、運営に関わってきました。「大槌刺し子プロジェクト」の運営も、より長期的な目線をもって、運営を行っています。
――最後に、「刺し子プロジェクト」の運用を通して、吉田さん自身が実現したい「未来の大槌」について教えてください。
やはり「大槌刺し子」を通して、大槌を知ってくださる人たちを増やしていきたいです。大槌は魅力が数え切れないほどある町ですから、今後はプロジェクトを通して、大槌の「町」自体を発信していきたいと思っています。発信を元にして、大槌にたくさんの人々が訪れるようになれば、町は更に元気になっていくのではないかと。
大槌って本当にいい町だな、と思っています。私自身もこの町に関わるようになってから、どんどん「大槌」が好きになっていると感じています。だからこそ、「大槌刺し子」ブランドはもちろん、震災とは違ったイメージで「大槌」の町をイメージしてもらえるようにしていきたいです。
大槌復興 刺し子プロジェクト
http://tomotsuna.jp
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