【20歳当選議員の挑戦】
第1回 日本で唯一!?よそ者20代当選議員だけでつくる2人会派の挑戦(前編) (2015/10/14 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 代表理事 仁木崇嗣)
東京から陸路で約7時間、空路でも約5時間ほど離れた、紀伊半島の最南端からやや東にある和歌山県新宮市。人口約3万人の同市は、2004年に世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」(いわゆる熊野古道)の一部を有する歴史ある街です。そんな新宮市の市議会議員選挙で2011年に25歳で初当選され、今年4月に29歳で再選された並河哲次さん(大阪府出身)と、27歳で初当選された北村奈七海さん(長野県出身)にお話を伺いました。
自分の信念を曲げないと決めていたから、16対1とかザラでした
- 仁木
- 並河さんは議員2年目の2012年に『Chikirinの日記』のインタビューで、新宮市に移住した経緯や立候補の理由、大災害への対応等、当時、とても興味深く読ませていただいたことが記憶に残っています。今回は、それ以降の活動や、今、挑戦していることについて教えてください。
- 並河
- あのインタビューでは、議会活動について触れていないので、その話からしたいと思います。
- 仁木
- お願いします。早速ですが、並河さんは、議会活動にはどういうスタンスで取り組んでおられるのですか?
- 並河
- 議会では自分の信念を曲げないと決めていたので、最初から批判的な立場を取ってしまいましたね。自分が思うことを曲げてしまうとストレスフルになって死んじゃうんで(笑)。
- 仁木
- なるほど。それはどういう信念ですか?
- 並河
- 将来のことを常に考えるようにしています。その中で、財政的な視点を含めて合理的かどうかを大切にしています。本当に将来世代にとっても必要な事業なのか、もっと費用対効果を高める方法があるのではないか、とか。論理的に考えられていないところを突っ込んでいくことをしてきました。
- 仁木
- ある意味、民間だと当然の考え方ではありますよね。
- 並河
- ですが、ここでは少数派で、例えば、津波対策で堤防を作る、という議案があって、場所を見てみると県が浸水域発表をする前に決めたものなのです。なので、なぜここに作るのか?と根拠を問う質問をすると、当局からは「並河議員は住民の生命を守りたくないのか」と答弁が来るのです。ええっ、そう来る!?みたいな。話が咬み合わないのです(笑)。
- 並河
- おかしいと思ったことには反対をしていたので、1期目は16対1とかザラでした。
- 並河
- 僕、基本討論をするんですよ。違うことをいうときは必ず。自分の中ではっきりしていないと討論できないじゃないですか。なので、今まで自分の指摘が通ったことは無いのですが、間違っていると思ったことは一度もないです。それくらい自分で考えを落としこんでから発言するようにしています。
「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要な議会
- 仁木
- 反対する方がエネルギーを使いますよね。それ以前に、論理的な議論が成立しない、ということはもっと大変な気がします。
- 並河
- 全員では無いですが、ロジックに慣れていない方が多いと思います。世代的な価値観の差かもしれませんが、「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が重要と考えている様子が伝わってきます。
- 並河
- そのような状態ですから、次の選挙で再選しても同じことの繰り返しだと意味が無いなって。議会の中で仲間を作るのはもはや難しい状態だったので、これはもう新しい人に入ってもらうしかない!と思い、いろんな人に立候補を勧めていました。
議員のイメージですか?並河さんしか知りませんでした
- 仁木
- そこで、北村さんと出会ったということですか。
- 北村
- はい。1回だけ誘われて、頭に残っていました。大変そうやなぁって(笑)。
- 北村
- 当時、私は、地域活性化がしたくて島根県の海士町から新宮市に来ていたのですが、地域おこし協力隊はどうかとも言われていたので、市議会議員も含めて目の前に2つの選択肢が見えていました。私は怠け者な性格ですから、もっと住民の人から厳しく見てもらえる立場の方が良いなとも思っていました。もしかしたら市議会議員という仕事も向いているかもしれないと考えるようになりました。
- 仁木
- その時の議員のイメージってどういうものだったのですか?
- 北村
- それまで自分が議員になろうとか全く考えたことは無くて、議員の知り合いなんていなかったので、並河さんです。
- 仁木
- なるほど。並河さんと出会ったことで、議員になりたいと思ったということですか?
- 北村
- 当時は並河さんの議員としての活動を間近で見ていたわけでは無いですが、議会の中で1人で大変そうだ、という話を聞いていたので、年齢が近い人がそのように頑張っているということが印象的でした。もし、出会ったのが違う議員さんだったら、議員になるという選択肢は出てこなかったと思います。
選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました
- 仁木
- 20代で、しかも、地縁も組織も無く選挙を戦うことは極めて困難だと思いますが、2人とも当選できる自信はあったのでしょうか?
- 並河
- いや、全然。とにかく必死でした(笑)。
- 北村
- 選挙のやり方もわからないですし。人に動いてもらうことが一番難しくて、北村さんの本気がわからないって何人からも言われました。自分では一生懸命しているつもりでしたから、そんな自分が不甲斐なくて、選挙期間中、2日に1回くらい泣いていました。
- 北村
- 最終日に県外から手伝いに来てくれた友人こう言われたんです。お前はどちらかというとダメ人間だから受かるわけない。だから応援に来たって。
- 仁木
- 支えてあげなきゃって思わせられたのかもしれませんね。何というか、ボトムアップの力で勝利を勝ち取ったという感じですね。
- 並河
- 僕らの陣営はほとんどが20代30代の同世代の若者なのですが、それぞれ必死に戦う姿を見ていたので、選挙後に協力していこうという雰囲気が自然に生まれましたね。
- 仁木
- 何だかお二人を見ていると、固定化された「政治家らしさ」を演じることなく、自分たちが正しいと思うことを自然体で貫き通しているように感じます。だから若者が集まってくるのでしょうね。何より、楽しそうです(笑)。
お二人だけで立ち上げられた新会派『新宮政策研究所(略称:新ラボ)』という名称も、新しさを感じますね。議員名簿に載っている電話番号がお二人だけ携帯電話というのも象徴的です。