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【龍馬プロジェクトリレーコラム/私はこうして政治家になった】

第5回 政治の力強さに感銘~私が政治家を志した理由~ (2013/4/19 小田原潔/龍馬プロジェクト 国会議員参与)

関連ワード : 小田原潔 東京 

「地方から日本を変える」を合言葉に、日本全国の国会議員や地方議員などが超党派で集まった『龍馬プロジェクト』。政治山では本日から、龍馬プロジェクトの思いに賛同した若手議員によるリレーコラムをスタートすることにしました。政治家を志した理由や、彼らが考える日本の政治の問題点など、「熱い思い」をお届けします。第5回は衆議院議員の小田原潔氏に、政治家を志した理由とご自身の信念を綴っていただきました。

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衆議院議員・小田原潔氏

衆議院議員・小田原潔氏

 皆さんこんにちは。自民党東京都第21選挙区(立川市、昭島市、日野市)の小田原きよしです。昨年の衆議院議員選挙において、比例区東京ブロックで当選させていただきました。

 私がなぜ政治家になりたいと思ったかをお話しします。私は自衛隊官舎で育ちました。平時でも、自衛官の家族は有事の際、または有事が近づいた際、隊員が身を危険に晒す職務に就いているという自覚を持ちながら生活します。普段から一番先に攻撃されるかもしれない職場に勤めているからです。名誉ある殉職であれば、家族はその後も気丈に生きていくことができます。しかし、無謀な命令で家族が犬死するのは耐えられません。

 子供のころから、父と私たち家族の運命を左右する政治の決断には敏感でした。幼稚園のころ、沖縄返還が決まりました。小学校2年になって本当に返ってきました。一度占領された領土が、1滴の血も流さず、1発の銃弾も撃たず返ってくるとは。のちに騒がれる密約や、思いやり予算などが仮にあったとしても、政治の力は素晴らしいと思いました。政治の力強さに感銘を受けました。

 小学校低学年のころから、いつかは政治家になりたいと思うようになりました。その後、父の留学で私も米国で暮らすことになり、わが国の国際社会での地位向上が祖国存続に不可欠と思うようになりました。そして、北方領土返還、国連安保理常任理事国入りを、生きているうちに果たしたいと思うようになりました。主権をじゅうりんされない国になることと、世界で起こる重要な決定に必ずわが国が関与して意見を述べることができる立場を得ることが、永きにわたり国益に資するからです。

 しかし、サラリーマン家庭の私が、当時、保守の考え方に最も合う自民党の候補になるという希望は、「地盤・看板・カバン」の何1つない現実を受け止めれば、諦めざるをえませんでした。その後、大学を卒業し金融マンになり、やり甲斐のある仕事をしていましたが、自民党も候補者の公募をするようになり、この登竜門に挑まなければ人生後悔すると思うようになりました。幼稚園のころから住んでいる東京では公募がありませんでしたが、両親の出身地、大分で公募が始まりました。

 両家の祖父母の下に毎年帰省し、愛着のある大分が候補を公募している。胸が躍りました。2006年から私は3回大分県の自民党の公募に応募しました。初めの2回は最終選考の決勝で落選しました。そして、2009年。3度目の公募の手続きが決まるころ政権交代があり、自民党には強烈な逆風が吹いていました。国会議員の先生たちからは、「必ず公募に応募するように」と電話がありました。私の友人達は皆、「この猛烈な逆風の中、自民党から立候補するなんて小田原、おまえバカじゃないのか。まず落ちるし、奇跡が起きて当選しても野党の議員だぞ。何ができるんだ」と口をそろえて私を止めました。

 しかし、過去2回、大分の自民党から公募で出馬しようとした男が、3度目は「逆風だから止めます」とか、ましてや国会議員になりやすそうだからほかの政党から出るようでは、人として信用できるでしょうか。無謀な戦いになるのは覚悟の上で私は手を挙げ、120人の党員の投票で117票を得て2010年7月の参院選公認候補になりました。5か月の選挙戦で26万票弱を得ましたが、29万票獲得した現職に負けました。

 私は選挙中に重点候補となり、40人の国会議員の先生がたが大分に入り、応援をしてくれました。7月に落選したあと、多くの国会議員の先生方が、「ここまで善戦したのにもったいない。大分に拘泥せずとも、住んでいる東京で公募があるから応募したらどうだ」と背中を押されました。

 そして、2010年の11月、東京都の衆議院候補者公募に応募し、選考を2年半待ちました。2012年の8月になり、東京21区の候補者となりました。現職は知名度も抜群で強敵でしたが、何とか比例東京ブロックで惜敗率トップの成績で当選することができました。次の選挙も厳しい戦いになるでしょう。

 私自身に、常に言い聞かせている言葉があります。

 「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」

 今後も、自分の信念を曲げない政治家として生きていく決意です。

著者プロフィール
小田原潔(おだわら きよし):1964年5月23日生まれ、東京大学経済学部卒。富士銀行ニューヨーク支店勤務、モルガンスタンレー証券マネージングディレクターなどで23年間の国際金融マンとしての経験を持つ。2012年衆議院議員初当選、財務金融委員会、法務委員会、震災復興委員会
趣味/トライアスロン
尊敬する人/陸奥宗光
家族/元自衛官の父、宇佐神宮神官家系の母、妻、一男一女
HP:自由民主党東京都第二十一選挙区支部長 小田原きよし
ブログ:小田原きよし オフィシャルブログ「日本まったなし!」
facebook:319460971405607
twitter:@odawarakiyoshi
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