「町のアイデンティティを守るため」―熊本城・城下町の町並みを保存しよう! (2017/9/15 日本財団)
往時の面影残す新町・古町地区
地元の自営業者らが活動始める
豊臣秀吉の家臣で、肥後熊本藩の初代藩主だった加藤清正(1562-1611年)が築城した熊本城の城下町、新町・古町地区の町並みを保存しようという運動が始まった。昨年4月に起きた熊本地震をきっかけに建物を取り壊す地主が増えているため、地元の自営業者らが中心になり、町並み保存に向けて勉強会や視察会を行っている。熊本地震の復旧・復興を支援している日本財団は、この運動を資金面でバックアップしている。
新町・古町地区は、熊本駅と熊本城の間にあり、加藤清正が熊本城の築城とともに造った城下町で、今も往時の面影を残している。このうち、新町地区は、熊本城の正面にあたり、5つの城門に囲まれた城内町である。短冊系の町割の中に武家屋敷と町人町とが混在している珍しい町だ。
一方、古町地区は新町地区の外側にあり、碁盤目状の中心に寺を配置した町割で、敵に攻め込まれても被害をできるだけ少なくしようという有事の際の危機管理策だ。また、この地区を流れる坪井川は城の外堀であると同時に海運の水路で、荷揚げ場を所有する問屋街が軒を連ねていたという。
古町地区には唐人町通りが走っていて、かつては九州で最大の繁華街だった。現在も旧第一銀行(日本初の商業銀行)熊本支店の建物が残っていて、有形文化財(建造物)に登録されている。数年前に売却の話があり、取り壊される恐れがあったが、住民の反対運動が起き、空調機器メーカーのPS株式会社が購入した経緯がある。この建物は1918年(大正7年)に建造された鉄筋コンクリート造りで、地上2階、地下1階建て。連続するアーチ窓と、石とレンガで仕上げられた外観が特徴的だ。
唐人町通りには、このほか格子窓の町屋やレンガ造りのしゃれた住宅などが並んでいるが、昨年の地震で破損されたままになったり、壊される寸前になったりしている建物が目立っている。このため、地元で居酒屋を経営する上村元三さんらが昨年春、「くまもと新町・古町復興プロジェクト」を立ち上げ、フェイスブックなどで市民に「町のアイデンティティを守るため古い建物を残していこう」と呼びかけた。会員は現在10人で、古い建物の活用法などに関する勉強会やワークショップを開いている。11月12日には地区内の倉庫で音楽ライブを開催する予定だ。
このプロジェクトの事務局長、吉野徹朗さん(41)は「この10年ほどで古い建物は約100軒減り、さらに昨年の地震被害などで約70軒が消えている。このままでは古くからの町並みはなくなってしまう。なんとか守っていきたい、と立ち上がった」と話す。吉野さんは大分県出身だが、10年前、会社の異動で熊本勤務になり、その後会社を辞めて独立した。「できるしこ(できるだけ)、やっていこう」と、地元の言葉で町づくりへの決意を語っていた。
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