[岡山・倉敷市]倉敷市の繊維産業発展のストーリーが「日本遺産」に (2017/5/29 あんびるえつこ)
この記事は「広報くらしき 2017年6月号『祝!倉敷市が日本遺産に認定』『倉敷市の繊維産業発展のストーリーが「日本遺産」に認定されました』」を紹介し、コメントしたものです。
岡山県倉敷市の『広報くらしき 2017年6月号』トップ記事は、倉敷市の「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」のストーリーが日本遺産に認定されたというニュースです。
「日本遺産」は、各自治体から申請された地域の歴史的特色や文化財にまつわるストーリーを、文化庁が認定するもの。ストーリーを語る上で欠かせない有形・無形のさまざまな文化財群を、地域が総合的に整備・活用することで、地域の活性化や海外に向け魅力を発信をしていこう…というものです。今回の倉敷市が認定されたストーリーは、31もの文化財から構成されています。
ここのところ「岡山デニム」が流行になり、注目を浴びていますが、なぜ岡山でデニムなのだろうと、実はちょっと疑問に思っていました。でも、どのような経緯で「岡山デニム」が誕生したのか、そしてなぜ倉敷市が繊維製品出荷額国内第1位なのか―。このストーリーを読んで、よくわかりました。そこには、地理的条件と長い歴史があったのです。
なんでも岡山県の南部一帯は、かつては「吉備の穴海」と呼ばれた、大小の島々が点在する一面の海だったのだそうです。新幹線で何度か通ったあの道も海だったとは―。想像だにできませんでした。その浅海を、近世以降に干拓し、陸地にしたのだといいます。ところが、干拓されたばかりの土地は塩分が多く、米作には不向きだということで、塩分に強い綿やイグサを栽培。それがのちに繊維産業の発展につながった…というわけです。
明治時代以降の文明開化で、倉敷紡績所が国内有数の紡績会社へと成長したのは、歴史の授業でも学習した通り。そして、伝統産業として育まれた縫製などの技術は、時を経て、1965年の国内初のジーンズ生産につながっていきます。倉敷市児島は、今では「国産ジーンズ発祥の地」として、ジーンズ好きの聖地とまでいわれるようになりました。
繊維産業の発展を肌で感じることができる伝統的な商家や、近代化を象徴する明治以降の洋風建築が調和する倉敷の町並み。産業を築いた人々の力強い営みを感じられるに違いありません。そろそろ夏休みの家族旅行を企画する季節。旅の候補地にあがりそうです。
- [筆者]「子供のお金教育を考える会」代表、文部科学省消費者教育アドバイザー、神奈川県消費生活審議会委員、経済教育学会理事 あんびるえつこ
- [参考]広報くらしき 2017年6月号