【新しい働き方はどのように生まれた?・海外編】第4回:「白豪主義」白人の労働者を守るために法制化  |  政治・選挙プラットフォーム【政治山】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
トップ    >   記事    >   【新しい働き方はどのように生まれた?・海外編】第4回:「白豪主義」白人の労働者を守るために法制化

【新しい働き方はどのように生まれた?・海外編】第4回:「白豪主義」白人の労働者を守るために法制化 (2017/10/3 Business Nomad Journal

金の発見で豊かになったオーストラリアには、世界中から様々な人が移住してくるようになりました。金の採掘に雇われた中国人、サトウキビのプランテーションに雇われたインド人などが主でしたが、その中でも中国人は人口が多く、やがてオーストラリアの白人社会にとって「脅威」となっていきました。そのような背景の下で誕生したのが「白豪主義」でした。今回は、有色人種の移民を妨げた政策「白豪主義」が社会的にどのような影響を与えたのかを見て行きたいと思います。

労働者

人種別にみる移住の状況

1901年の時点でオーストラリアに移住した有色人種の数を人種別に見てみると、中国人30,542人、インド人4,681人、日本人3,554人となっており、中国人が群を抜いて多かったことがわかります。ではこの3つの人種について、移住の状況を見てみましょう。

○中国人

中国人は、前回の記事でも書きましたが、最初は金採掘の労働力としてオーストラリアに移住しました。当時まだ辮(べん)髪をしていた中国人は文化面でも白人の文化とは大きな違いがあり、違和感を持たれました。しかも、白人は、低賃金でも文句も言わずに働く中国人に仕事を取られる形になってしまいました。その頃の白人はまだ貧しい人が多かったのですが、中国人の働き方のせいで、白人の賃金が下がる可能性もでてきてしまったわけです。こうした経済的理由が反中国人感情に火をつけることになり1855年あたりから各州で「中国人移住(移民)制限法」が作られました。

○インド人/アフガン人

インド人は最初、サトウキビ農園の労働力として雇われましたが、後にインドの北西部に住むアフガン人とラクダが、オーストラリアの内陸の砂漠地帯における輸送手段として受け入れられるようになりました。最初に移住したのは、ラクダが120頭に対しアフガン人が12名と言われています。余談になりますが、これまでに輸入されたラクダの数は2万頭くらいで、その後ラクダは野生化し、現在ではオーストラリア内陸で増えすぎ30万頭にもなり、始末に困っているというニュースも伝わっています。

○日本人

日本人の場合は主に、ニューギニアとの国境にある木曜島での真珠養殖の技術を買われて移住しました。移住した日本人の数はインド人と同じくらいで、それほど多くはなかったのですが、手に職を持っていることがオーストラリアの白人が恐れる要因となりました。また、1905年に日本が日露戦争で勝利を収めると、その威力が更に白人に脅威として映るようになったのです。

労働組合の結成

このように、アジア人の存在を脅威として感じ始めたオーストラリアの白人たちは、自分たちの仕事や生活を守るために団結し、オーストラリア各地で労働組合を作っていきました。この労働組合はもともとイギリスの労働組合の影響を受けて作られたものですが、オーストラリアには反骨精神の強いアイルランド人がたくさん移民してきたため、こうした人達が中心となり、労働組合を結成していきました。そしてこの労働組合の結成が、後に白豪主義へと進展していくことになるのです。

では、白豪主義がどのように法制化されていったのかを見てみましょう。

労働党の誕生と連邦政府の成立

労働組合は最初、最低賃金の保証に焦点を当てていましたが、後にイギリスの社会主義者ロバート・オーウェンの影響を受け、8時間労働を要求するようになり、1856年、世界で初めて8時間労働を勝ち取りました。

それほどまでに力をつけた組合が各地に結成されるのに伴って、1891年にはクイーンズランド州で「労働党」が誕生し、政治面でも大きな勢力となって成長していきました。そして労働党が形成された年の翌年1901年には、イギリスから自治権を獲得し、オーストラリアは一つの独立国として連邦政府を形成しました。それまでは植民地として各州がそれぞれその州の政治を担当していました。

労働党はオーストラリアで最初に作られた政党で、しかも政権を握ることになったため、当時のオーストラリアはソ連や中国に先駆けて世界で初めて成立した社会主義国家だったのです。そして、社会主義と並んで採用されたのが、なんと白豪主義だったのです。

白豪主義を法制化した「移住制限法」

社会主義は普通、労働者、つまり「弱い者」を守るための政策を掲げるのですが、オーストラリアの労働党は「有色人種」という「弱い者」を守るどころか差別し、排除しようとしました。一見、矛盾しているようにも見えますが、その頃のオーストラリア労働党の社会主義は、あくまでも「弱いオーストラリア人(=白人)」を守るという立場に立った社会主義だったのです。

政府ができるとまず最初に行ったのが白豪主義を法制化することで、そのために制定された法律が「移住制限法」でした。移住制限法は、先に各州で作られていた「中国人移住制限法」をまとめたものだということができます。

有色人種の移住を妨げた言語テスト

移住制限法では、露骨に「有色人種は移住できない」とは謳わず、ヨーロッパ語の書き取りテスト(ディクテーション)に合格することを移住の条件としました。

ところがこの「ヨーロッパ語」というのがくせもので、テストする言語が英語とは限らず、例えば英語もフランス語も得意な人にはドイツ語でテストするというかなりの「いじわるテスト」だったようです。実際、合格する人はほとんどおらずこれにより、オーストラリア政府は有色人種の移住を阻止することができたのです。

現在オーストラリアは多文化主義を取り、多くの民族が平和に暮らしていますが、現在のような状態になったのは今からわずか45年位前のことで、それ以前は約70年もの間、有色人種は簡単にオーストラリアに移住することができなかったのです。その理由は、これまで述べたように、白豪主義が単なる人種差別という風習ではなく、法制化された制度だったからです。

記事制作/setsukotruong

提供:Business Nomad Journal

■新しい働き方はどのように生まれた?・海外編
第1回:オーストラリアの始まり、原住民と流刑地
第2回:植民地の形成、弾圧型と鎖国型の違いとは?
第3回:植民者の生活と働き方が一変したゴールドラッシュ

関連記事
訪日外国人数、8月として史上最高の247万人超え
日本は本当に外国人労働者に依存しているのか?
外国人は日本の救世主ではない 受け入れにはメリット、デメリット、リスクの検討がまだまだ不十分
“働き方改革”のずっと以前から機能してきた先鋭的な職場の合理性
三菱東京UFJが9,500人分の業務自動化サラリーマンに求められる心構えは?