【リアルな移住体験記】都会のキー局AD職から、地方局総合職へ。安定を求め家族で秋田へIターン (2016/10/17 nezas)
シリーズ特集「リアルな移住体験記」では、移住を決めた理由や移住前の期待・不安、情報収集の方法、さらには移住後の想定外まで、地方移住者のあらゆる生の声をお届けします。
男性:20代後半に秋田県にIターン
好きな仕事で充実した日々。しかし今後の生活を考えて、Iターンを決意
都会で生まれ育った私たち夫婦が、秋田への移住を考えたきっかけは「もっと安定感のある生活がしたい」との思いからでした。
私も妻も埼玉育ち。結婚後も埼玉に住居を構えていました。
私は大学を卒業後、テレビ制作会社の営業として就職。その後、制作部に移りキー局へ出向になり、ADを4年程勤めました。好きな仕事で毎日充実感があったのですが、給料はあまり高いとはいえず、福利厚生も充実はしていませんでした。
そんな中、2人目の子供が生まれ今後のことを考えたときに、現状の給料や環境では生活していくのが難しいと思ったんです。子供もまだ幼かったため、妻が働きに出ることも難しく、自分自身の働き方を変えようと決意しました。
転職活動をスタートしたばかりのころは、埼玉で異業種への転職も考えていました。しかし今の仕事を諦めきれず、場所は限定せずに日本全国で地方局の求人を探すように。
Iターン先を秋田にしたのは、本当に偶然でした。たまたま秋田県で地方局の募集が出ていたんです。またこの求人が前職よりもかなりの高待遇。この条件であれば、家族を支えながら安心してキャリアアップができると思い、思い切って応募をしてみました。
もちろん、不安は多かった。しかし家族会議を重ねて懸念をつぶし、移住を決断
採用試験を経て、無事に秋田の地方局総合職への採用が決定。前職より安定した収入で、自分の好きな仕事を続けられる。そう思ったときは本当にホッとしました。
しかし移住することへの不安はかなりありました。
私たち夫婦は都会育ちでしたので、東北の気候の中での生活は想像すらできない状況。しかも知り合いが1人もいない中でのスタートです。ゼロから人間関係を構築し、地域に馴染めるかも不安でした。とくに妻は、実家の援助もなく子育てをしなければなりませんでしたので、不安は大きかったと思います。
こうした不安は、移住前にすべてを払拭できたわけではないのですが、家族会議を重ねて少しずつつぶしていきました。妻と2人でだけでなく、妻の両親や私の両親とも何度も話し合いをしました。
それと妻の父親の実家が秋田県にあるということも、大きな一押しに。
妻が子供のころからよく訪れていたということと、現在の家から片道1時間かかる距離ではありますが近くに親戚がいることは、大きな安心材料でした。妻の両親からも地域の情報をもらえたのは心強かったです。もちろん、細かいことはインターネットでも調査。また転職先の会社の人にも、状況を聞ける機会がありました。
最終的には移住に対して「ワクワクした気持ち」があったことも、決断を後押ししてくれたと思います。当時はまだ20代と若かったですし、とにかく安定した収入を得られるのであれば、ほかはどうにでもなる! と思っていたところもありました。
秋田は、子育てには最高の場所。ただし妻の理解がなければ実現しない生活
現在の仕事は前職よりも給料が高く、生活に余裕ができたことが大きなメリットです。都会よりも住宅費が格安。都会に住んでいたときでは考えられないほど広い家を安く購入できたことも嬉しいポイントですね。
さらに、上の子供のアレルギーが酷かったのですが、こちらで良いお医者様に出会うことができたという点も。おかげ様ですっかり良くなりました。下の子供も自然の中でのびのびと育っています。
一方で、こちらに来て10年になりますが、妻はやはり少し寂しそうにしているのは心配ではあります。地域の行事や学校行事などを通していい友達もできたようですが、価値観の違いに悩んでしまっているときもあるようです。実家に頻繁に電話をしているようですし、「心の拠り所がない」「早く埼玉に帰りたい」と、ときどき後ろ向きになってしまうときも。
今の生活は妻の理解や協力なしには実現できないので、悩みながらも頑張ってくれているのはとてもありがたいです。今後もしっかりと話し合いながら、家族にとって最善の道を探っていければ、と思っています。
提供:nezas
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