マスコミの「匿名発表に異論」は傲慢? 「19人刺殺」犠牲者めぐり論議 (2016/8/3 JIJICO)
相模原市大量殺傷事件で異例の被害者匿名発表
相模原市の障害者施設で発生した大量殺傷事件に関し、神奈川県警は、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っていることを理由に被害者の氏名を公表しない方針を明らかにしました。
この点を巡って、報道機関の側が「事件の重みを伝えられなくなる。」と批判する一方で、そのような報道機関側の意見を傲慢であると評する意見も出ているようですが、この問題は、犯罪被害者のプライバシーという利益と、報道機関の言論・報道の自由という利益が対立する場面において、どちらを重視すべきなのか、どのように2つの利益を調整するのかが問われているものといえます。
被害者の氏名発表は犯罪報道の公益性に基づくと言えるのか?
民主主義国家においてより良い社会を実現していくためには、正確な情報の流通が不可欠であり、報道機関はその重要な役割を担っています。報道機関の言論・報道の自由は、まさにその公益的使命を果たすために確保されるべき利益であり、犯罪報道の自由もそこに含まれます。事件が重大であればあるほど社会の関心は高くなり、公共性が高まるといえますので、今回のような大量殺傷事件を報道する公共の利益(公益)の高さは当然に理解されるところです。
しかしながら、本件で考えなくてはならないのは、「被害者の氏名」を公表すべき公益があるのかという点です。犯罪報道の公益性について、そこで提供される情報をもとに現在の犯罪対策や刑事司法制度等を検証すること繋がるという点にあることは理解できるのですが、「被害者の氏名」を公表することがそういった利益に繋がるといえるのでしょうか。
被害者の氏名公表は差し控えるべきではないか
被害の重大さや悲惨さを伝えるために、被害者がどのような人物なのか、どのような人生を歩んできたのかといった情報も必要であり、そのような情報を入手するためには、被害者の実名を知った上で、関係者に取材をする途を開く必要があるとの意見もありますが、これに対しては、そうであれば、最終的に必要な情報は、「被害者がどのような人物なのか、どのような人生を歩んできたのかといった情報」であって「被害者の氏名」ではないし、ましてや報道機関がこれを公表する利益もないとの反論が考えられるでしょう。
今回の事件の被害者が障害者であるため、家族の心情に理解を示して、健常者の場合とは異なる扱いをした警察の姿勢に賛同する声もあるようですが、個人的には、被害者が健常者であろうがなかろうが、「被害者の氏名」の公表は差し控えるべきものと考えています。
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