佐賀市長選2013:秀島敏行氏インタビュー (2013/10/11 政治山)
若者の政治参加、投票意識を高めようと活動している学生グループ「さがCOLOR」代表の岡島貴弘さん(佐賀大学経済学部2年)が、13日告示、20日投開票の佐賀市長選に立候補を表明している4人に、出馬の動機やビジョンを聞きました。政治山では、若者の直球質問に答える4人のインタビューを掲載します。今回は現職の秀島敏行氏です。
■プロフィール:秀島敏行(ひでしま としゆき)1942年佐賀市本庄町生まれ、71歳。熊本大学法学部卒業後、佐賀市役所に入庁。消防長、水道局長、佐賀広域シルバー人材センター事務局長などを歴任。2005年に佐賀市長選に当選、現在2期目。公式ホームページ
関連情報: 佐賀市長選挙(10月13日告示、20日投開票)
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――秀島さんは佐賀市長として2期8年を務めてこられました。8年前、どうして佐賀市長になろうと思われたのか、そのいきさつを教えてください。
私はもともと市の職員でした。市長の仕事も間近で見ていて、結婚前の若い頃は「あんな忙しい仕事はしたくないな」というのが率直な印象でしたね。その頃の私は自分の時間を大切に、仕事をしたいと思っていました。議員のように政治家として仕事をするつもりもなかった。しかし結婚し、家庭ができると地域の中で一定の役割を任されるようなことが多くなってきた。仕事とは別に、地域の中での「世話役」になることが増えてきました。その頃には、まぁ好んでやる心境には相変わらずならなかったものの、苦ではなくなっていた。組合の役員も引き受けるようになっていました。もちろん労働界を背負ってたつような気負いはなく、頼まれたらする、という程度でしたけどね。
そのうちに、ひとつ前の市長が当選されました。かなりの改革派。行政コストを安くあげる、ということを信条に、相手の気持ちを受け止めずに自分の思うことだけボンボン押しつけるタイプだった。相手が何と言おうと、「これをしてください」という感じ。当然のなりゆきとして、住民団体との摩擦が生じる、議会とも摩擦が生じる、職員との関係も悪くなる。ただ、職員と摩擦が生じた時には、自分が人事権を持っているから、自分と合わない職員を代えることができたが、議会はそういうわけにはいきませんよね。そこにひずみがどんどん生まれて、誰かが意見しないといけない、となったわけですね。その時、私は水道局の局長という特別職にありました。特別職はすぐに人事で異動させられることはありません。自分は危なくないわけだから、この特別職の立場で言わないといけない、ということになりました。その頃、特別職の仲間が4人ほどおりまして、私も何度かはっきりと意見させていただきました。反論もされなかったけど、聞いてももらえせませんでしたね。
そのころ私は、特別職4年の任期満了の時期になっていました。いつしか、次期市長を擁立しようというグループができていたんですね。私もそのグループに誘われました。それで、対抗馬の人選をしようという話になりまして、あっちこっちから人を引っ張ってこようと努力しました。しかし当時は現職がやはり次期選挙も強く、支持基盤も固いため勝てないだろうと多くの人が思い、なかなか候補者が出てこなかったんです。自民党の票だけでは勝てない、とも言われていました。革新的と言われる、労働組合のような層からも支持を受けるような票にならないとダメだ、と。私も県議クラスの人に「あなた、やってみないか」と声をかけたのですが、そのような状況下で「うん」という人がいなかった。このままでは泣き寝入り、犬の遠吠えになる、という雰囲気になった折、言われたんです。「そう言えば、あんたがおるじゃないか。まだ職員を辞めて日も無いし、退職金もあるだろう。選挙資金が」。
その日は大雨の降る日でした。佐賀市、郡(当時)の県議たちがやってきて「君がやってくれ。全面的に支援するから出てほしい」と打診を受けたんです。8年4カ月前のことです。私の家族は、娘も兄弟も「やめとけ、現職に勝てるわけない」と言いましたね。高校の時の同窓生も「血迷うなよ、もう大人しく暮らしておけばいいじゃないか」と言うんです。嫁だけが「負けてもいいじゃないか、2人だけでもやろう」と言ってくれました。その時の私は、政治の民主性を取り戻したい、佐賀市には優秀な職員がいる。その力を伸ばしたい。そういう思いでした。口先だけでなく、名実ともに公平公正さを求めていこう、と思って手をあげたんです。
――なるほど。そこから2期目、そして3期目を目指す今は、また違ったモチベーションでしょうか。
初めは、忙しいのはイヤだし、年齢的にも60歳を超えているから、ワンポイントリリーフでこの場面を変えればいい、という気持ちで登板しました。しかしいったん引き受けて当選したからには、そう簡単に放り出せない、ちゃんと種をまいた部分は育てていく。そう思って臨んだのが2期目でした。その時に気がかりだったのは、市町村合併で一体化を進めていきながら財政も確立させ、さらに効果を出さないといけないということですね。2期目の初めは、まだ合併の効果がはっきりしていなかった。このままでは、あの合併は一体何だったのか、ということになる。名前が変わっただけじゃないかと言われてしまう。だから合併の効果を確実なものにしたいという気持ちでした。
大きいのは排水対策ですね。佐賀市の弱いところ。排水環境をもっと整備しないといけないということ。それから、やはり金銭的な合併効果を出すことです。これは施設を統合することによって産み出される。合併する前はそれぞれの町村が持っていた施設、これをひとつに集約できれば、効率的な運営ができコストが削減できる。そこで2期目の1年目に手がけたのが、公共下水道です。これは2度目の合併をする前から手がけていたので、何とか成功しました。それからゴミ処理施設の統合ですね。諸富と三瀬以外は統合させる。これで3億円を超える効果が出てくると見越していました。これは2期目の最大の目標でした。昨年、つまり任期が切れる1年前にやっと地元から施設統合の了解が得られて、何とか2期目の大きな仕事を仕上げることができました。
ただ、懸念はもうひとつだけ残っています。国の合併を促す方針で、合併後、最初は単純に合併前の市町村に配分されていた地方交付税の合計が配分されるんですが、10年経つとその後の5年で段階的に減らされるんですね。2度目の合併ではもっと短く、有用は8年です。トータル45億円くらい減らされます。これは佐賀市の収入の5%近くにあたる。さらに合併にかかる事業については補助金が出ていましたが、これも合併からおおむね10年の支給なので、事業費を1割くらい落とさないといけないということになるんですね。これを何とか乗り越えなきゃいかんと。乗り越えるためには、もちろん前準備でお金を少しずつ蓄えたり、借金をなるべく減らして身軽になったりするんですが、それでもまだ足りない。
すると、ある機構をいくつかスリム化しないといけない。どこがスリム化できるか。全部がスリム化できたらいいけど、伸ばさないといけない分野もある。伸ばす部分とスリム化する部分を調節しないといかん。こういう話をしていくとね、総論はみんな納得するが各論になった時にダメになるんです。つまり、「うちはダメ」ってね。合併しているから、それぞれかつての独立していた自治体のところがそう言うんです。その時のかじ取り役を誰がするのか。そういう心配を議会でも始めるようになりました。
これは新人ではダメではないか、やはり今まで経験してきて、住民に強くお願いができる者、あるいは伸ばせる者。そういう人でないとダメだ、秀島さんじゃないとダメだ。そう求められるようになってきました。私もここで逃げてはダメじゃないかと思うようになりました。せっかくみんなでやってきたから、もう1ランク上の、確たるものにして次の展望を開けるよう、地ならしをしないといけないと思うようになったんです。それが3期目を望む動機です。友人の中には「もうゆっくりしてはどうか」「70だろ、退き際じゃないか」という人もいる。今なら恥をかいてないから辞めるチャンスだという人もいる。しかしあなたじゃないとうまくいかない部分があるよ、と言う人もいたので、私はそちらを重んじたということですね。ただ、今回手を挙げるに際して、それだけでは市民の皆さんに申し訳ないので、新たな展望、新たな「種」も用意しています。
――これまでの「安定」を評価している佐賀市民の友人も身近にいます。しかし新しいことも始められると。3期目にはどのような展開を考えられていますか。
岡島さんが3年生になったら感じると思うんですけど、やはり雇用ですね。佐賀で働きたいと思う若い人はいても、働く場所がない。それではだんだん地域に元気がなくなっていくんですよ。自分が生まれ育ったところで働き、故郷を盛り上げていくことができる。そういう環境をつくらないといけないと思います。今の佐賀は公務員の仕事はあるけれど。民間の新採が少ない。やはり企業を誘致しないといけないと思います。2期8年で2300人ほどの雇用は作れましたが、それだけでは十分でない。特に今は非正規が多いから、出来るだけ正規を増やしたい。やはり企業に来てほしい。しかし企業を呼ぶための場所がありませんから、大和の方に工業団地をつくりたいと思っているんです。しかし、これは「優良農地をつぶさせない」という国の方針で、全国一律でストップがかかっている。これは古川知事からも力を貸していただいて、突破を狙っているところです。
その次に考えているのは「幸せ」「幸福感」です。市民の皆さんたちが普通の生活ができること。市民が生活を送る上で不便さを感じないようにするということですね。私が考えているのは…。小学校で増えている「発達障害」の子どもたちです。1つの学校に5%と言われている。1つの学級に1人、もしくは2人ですね。この子どもたちがずっとほったらかされると「引きこもり」になってしまう。この子たちが多くなって引きこもってしまうとどうなるか。その家はきっと暗くなりますよ。ここは行政の手が届いていないところです。それに、大きくなればその子たちは生活保護などを受けることにもなるでしょう。どちらにしても社会で助けることになるわけだし、それなら早めに手がけたい。どういう方法がいいとか、制度化はされていません。しかし佐賀市内にもそのことで悩んでいる家族がたくさんいますから、マンツーマン的でもいいから実験的に引っ張り出す努力をしてみようじゃないかということで、今年からNPOと組んで始めました。国の事業として実験をしているところです。
――排水対策、についてもう少し具体策を教えてくれませんか。自分の通う佐賀大学などはひどい。
これは仕組みの問題もあるんですよ。佐賀は有明海の関係で、排水する時間が限られていますからね。排水できる時間外で大雨が来ると溢れてしまう。その時はポンプに頼るしかない。あとは調整的な機能を持つクリークですね。以前はたくさんあったからだいぶ楽だったんですけど、今はもう結構埋め立てられてその機能が少なくなっていますから。それに変わるようなものを、いま職員が考えてくれているんですよ。調整地やお堀を使った、排水のほかに、合併しましたから広い土地の各地形的を組み合わせてポンプと調整値を使った効率のよい排水を行おうとしています。この辺は新聞の連載などにも書いてもらいましたね
3期目の新しい「種」として、「ジェット燃料」への取り組みがあります。これはなかなかわかりにくいかもしれませんね。「ミドリムシ」が主役です。ミドリムシは地球温暖化の元と言われるCO2を好んで食べ、普通の植物の30倍くらい吸収すると言われています。このミドリムシを活発に運動させてバイオエネルギーにつなげていこうというわけです。産業廃棄物として出される木の皮などを混ぜて新しいエネルギーに替えていく構想ですよ。これは世界的にも注目を集める先駆的な取り組みだと思っています。今から言っていくことなんですけどね。「CO2の農業への利用」ですよ。
ゴミの焼却炉からCO2を取り出して集めてハウス園芸などに使います。それも市のお金じゃなくて民間企業の力を借りて、今出ているのは東芝さん、エバラさん、九州電力さんなども加わっていただいています。味の素さんにも参加していただく予定です。地場企業がそういうところに目を向けて活性化していくと、雇用のために打つ手が企業を誘致をするだけでなくなるでしょ。味の素さんなんかも数年前は工場部分を佐賀から撤退、という話もありましたが、ここで仕事をしてもらうと雇用が安定的に確保できる。まぁ全部を完全にはやり遂げきらないと思いますが、道筋だけは示したいですね。それが若い人たちへの力につながっていくと思っています。
――ありがとうございました。最後の質問です。佐賀市でデートをするならどこがオススメですか。
そうですね、食事のことも考えて…。都会の人がなかなか味わえないところがいいですよね。うーん…(少し考えて)「嘉瀬川ダム、三瀬高原、とまわって山菜料理」このコースですね!
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