米軍基地の本土移転とは?高橋哲也教授(東大)かく語りき (2018/12/7 クオリティ埼玉)
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、安倍首相と沖縄県の玉城知事との2回目の会談が11月28日に首相官邸で行われた。知事が工事の中止を求めたのに対し、首相は移設作業を進める姿勢を崩さず、話は物別れに終わった。10月の知事選挙で示された沖縄県の民意を無視して新基地建設を強行しようとする安倍政権の方針には、沖縄県民以外にも違和感を抱く人は多いはずだ。
9月には東京の小金井市議会の本会議で、辺野古の工事中止と普天間の運用中止を訴え、本土の全自治体を候補地として代替基地が国内に必要かを国民全体で議論し、必要との結論ならば公正で民主的な手続きを経て決定するように求める陳情が採択された。この採択は画期的なものだが、沖縄の米軍基地は本土で引き取るべきとの主張は1990年代から沖縄で広がった。2015年以降は本土でも大阪、福岡、東京、新潟、山形など9地域でグループが発足し、17年4月には全国連絡会ができた。
国土の0.6%の面積の沖縄に在日米軍施設の74%が集中している。戦後しばらくは沖縄が米国統治下にあったからだと思われがちだが、1955年には11%しかなかった。その後、本土からの移転が続き、沖縄返還時の1972年には58.7%、以後も増え続けたのだ。在沖米軍の主力は海兵隊で、本土にいた部隊が移駐したもの。沖縄駐留でなければならない軍事的、地政学的理由は少ないとされている。歴代の防衛大臣の中でも何人かは「本土では米軍反対というところが多くて政治的に難しい」と言っていた。
米軍基地の県外移設は民主党の鳩山首相がめざしたが、失敗に終わった。その前にも自民党の小泉首相が「本土移転」を呼び掛けたものの、受け入れる自治体がなくて立ち消えになった。
本土引き取りの論議において理論面で指導的立場にいるのが東京大学大学院の高橋哲哉教授だ。専攻は哲学で著書にポスト構造主義のジャック・デリダの研究書があるが、思想家として歴史を検証し、社会活動に関わり、その分野でも『沖縄の米軍基地』(集英社新書)など盛んな著作活動を続けている。
世論調査で日米安保条約を支持する人が9割近くもいる現状に、高橋教授も「在日米軍基地は護憲派を含めた本土の圧倒的多数の支持によって存在している」と見る。しかし、全国の米軍基地の4分の3が置かれている沖縄の人々は、基地も安保条約も不本意ながら押しつけられたものだとする。安保条約は返還前、沖縄県民が国政に参加できない時代に締結・改定されたものだ。
だから、本土の国民が日米安保体制の維持を望むなら、その選択の責任として米軍基地に伴う負担リスクを負うのは当然ではないかという。それらを沖縄に負わせて自らは利益だけを享受するのは許されないだろうから、一刻も早く米軍基地を本土が引き取るべきと主張する。注目したいのは、本土の基地が減り沖縄の負担率が上がるのと、日米安保支持率の上昇がほぼ並行していることだ。米軍基地が本土住民の大部分からは見えないものになったからこそではないか。
また、高橋教授は本土の反戦平和運動が県外移設に反対する立場になってしまった皮肉な事実も指摘する。このような運動に理解を示しつつも、「安保反対、全基地撤去を金科玉条のように唱えることで、本土のどこにも移設すべきではないとなった」のだ。前述した小金井市議会の陳情採択でも、当初賛成した共産党が数日後に「党の態度は在日米軍基地の全面撤去だ」として謝罪しながらも態度を一変させた。
高橋教授の意見は論理明確で説得力があり、時には人の盲点をつく視点は刺激的でさえある。9月にはさいたま市中央区下落合のコミュニティセンターで講演会が開かれ、出席者たちに大きな反響を呼んだ。強い要望もあって、11月にはアンコール講演が中央区本町西のカフェギャラリー南風で催され、今後も定期的にさいたま市民との交流の会を持つことを約束してくれた。研究室に閉じ籠もず、行動的で気さくな人柄も人気のようだ。
山田 洋
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