自己責任論とは、今回の安田純平氏の事件に想う (2018/11/10 クオリティ埼玉)
約3年4カ月の長きにわたる人質生活から安田純平氏が無事解放された。ご家族や関係各位はほっとされていることと思う。
こうした事件の際、日本国内で必ずといっていいほど巻き起こるのが自己責任論である。日本政府が渡航を強く自粛している紛争地域にそれでもあえて向かうのであれば起きたことの全責任はその人自身が負うべきだとするものである。直截に言えば全ては自業自得だということになろうか。
安田氏は経歴から見ても筋の通ったフリージャーナリストといっていいだろう。一般の人がさしたる経験も伴わぬままにしたことと今回の氏の行為は明確に線引きされてしかるべきと思う。
先日11/2(金)日本記者クラブでの会見において、氏は冒頭感謝と共にお詫びを述べた。この点について海外のジャーナリストから以下の指摘がされた。自身が使命感をもって臨んだ行為であるならば、救出に尽力してくれた関係者に感謝を述べるのは当然としても謝罪は必要ないのではないか。謝罪は自身の行為そのものが間違っていたという懺悔の意味で世間に受け取られてしまう可能性があるとの危惧からであろう。
決然と世の中と向き合うために、深い思慮を重ねた上での行為と判断される場合、たとえ個人の行動といえども世間はもう少し寛容であってほしいと願う。こうした職業人から発信される現地の生の1次情報は立場の違いを越え、社会全体にとって必要であり、かつ意義あるものだと思うからである。
様々な場面で社会的マイノリティーに対してその意見、立場に寄り添おうとする人々は確実に増えている。そのような世の中に変わりつつある中、社会的、政治的発信に対しても同様な関心が払われることを社会全体が実は求めているのではないか。
ただし、その行為については事実関係に基づき検証され、その是非が厳しく判断されることもまた必要不可欠であろう。その意味で自己責任とはあらゆる場合において個人の発信、行為についてまわるのもまた事実である。
個人が確固たる意志を持ち世の中と向き合うことは、社会全体を霧のように覆う掴みどころのない同調圧力に対して、立ち向かう力になり得ると考える。またそれと同時に寛容の精神も併せ持ちたいものである。
小松 隆
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