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ノーベル文学賞・平和賞をめぐる狂騒 (2018/5/21 クオリティ埼玉

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 例年なら受賞者発表の10月から授与式の12月にかけてマスコミをにぎわせるノーベル賞だが、今年は5月初めから話題を集めている。まず、北朝鮮を交渉の場に引っ張り出したとして、ドナルド・トランプ米国大統領にノーベル平和賞をという声が同国共和党議員から出ている。また、ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーのメンバーの夫の性的暴行や賞選考がらみの情報漏洩疑惑で、今年の文学賞は見送りになったと伝えられた。

ノーベル賞

 ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルの遺言により、莫大な遺産を基金として後世の学術研究に役立てようとしたノーベル賞は、物理学、化学、医学生理学、文学、平和の5分野を対象に1901年から始まった。1968年にはスウェーデン国立銀行の設立300周年記念事業として、同行の資金負担で経済学賞が付け加えられた。自然科学系の3賞に比べて、文学・平和・経済学は評価基準を明確で客観的にするのが難しく、これまでの受賞者に対しても常に賛否両論がつきまとってきた。

 経済学賞は日本人受賞者はいない。一時期、安倍首相が「ノーベル賞に最も近い日本人経済学者」と言って内閣官房参与に起用した米国エール大学名誉教授も、その後メッキがはげてきた感じだ。当欄では2013年2月8日付で「どこか変だなノーベル経済学賞」と題した記事を掲載しているので、今回は文学賞と平和賞を取り上げたい。

 昨年11月刊行の『ノーベル賞の舞台裏』(共同通信ロンドン支局取材班・編 ちくま新書)は5人の記者が3年以上にわたって多くの関係者に会い、無数の資料を漁った労作で、この賞の舞台裏を興味深く描き出している。文学賞の日本人受賞者は1968年の川端康成と1994年の大江健三郎。そして英国籍だが、長崎に生まれ、日本人として子供時代を過ごしたカズオ・イシグロが昨年に受賞し、日本でも大ニュースになった。彼の受賞は意外性があった。ブックメーカー(賭け屋)の予想では1位はケニア出身の作家で、2位が日本ファン待望の村上春樹。イシグロは有力視されていなかったのだ。なぜ彼になったか知りたいが、ノーベル財団の規定により最低50年間は公開されないことになっている。

 50年を過ぎると選考資料は賞の選考主体のスウェーデン・アカデミーで見られる。1963年の資料によれば、三島由紀夫が初の候補入りし、最後の6人の中に残った。5年後に受賞した川端康成は、この時点では「賞には時期尚早」との評価だ。5年で三島と川端の評価が逆転した理由として三島の政治志向があげられている。スウェーデン人で構成するアカデミーに日本文学の専門家はおらず、日本に2週間滞在した文学者が助言者だった。この人がドナルド・キーンの英訳『宴のあと』を読み、都知事選に革新政党から立候補した人物が主人公ということから、三島はきっと左翼(!?)だろうということになり、穏健で日本的な美を書き、各国語に訳されていた川端が浮上したと、キーンが著書の中で明かしている。代表作とは思えない『宴のあと』で評価が決まるなど三島への無理解には絶句するしかない。

 平和賞だけはノーベルの遺言に基づき、ノルウェー国会が任命したノーベル賞委員会が選ぶ。ノーベル死去の時点では両国は連合王国を形成していて、ノーベルがノルウェーに配慮したとの見方が強い。この賞の受賞者には一般的知名度の高い人が多く、評価が割れる場合も多い。

 前米国大統領バラク・オバマは「核兵器のない世界を実現するため、自ら先頭に立つ」と宣言して世界中の人々を熱狂させ、2009年、就任後9カ月で受賞したが、本人には寝耳に水だったという。記者会見でも「自分は受賞に値しない」と強調し、表情は硬かった。ノーベル賞委員会としては応援授賞と考えていたようだが、米国が取り組む巨大で複雑な軍事情勢の前では効果はなかった。

 これ以降も平和賞は外部からの批判もいとわない「政治的」な選考が続いた。平和実現に貢献した実績重視よりも、今後の活動に期待を込めた未来志向が強まったのだ。ギリシャに端を発した債務危機で欧州統合の限界がささやかれていた2012年には渦中の欧州連合(EU)に、翌13年には特筆するほどの実績がなかった化学兵器禁止機関(OPCW)に賞を授与した。2015年に解任されたノーベル賞委員会委員長の考えが強く出されたからと言われている。

 平和賞についてはそれ以前の受賞者にも問題視されている人が多い。日本人で唯一の受賞者である佐藤栄作元首相もその代表例と言われる。授賞理由になった「非核3原則」と「米軍施政下にあった沖縄の本土復帰」については後に欺瞞が多いことが判明した。外交官や大手建設会社が受賞工作を展開し、ノーベル賞委員会もアジアや日本の情勢について理解が不足していた結果という見方が有力だ。確かに当時の日本国内の反応自体が冷ややかなものだった。

 過去の例を見ていると、トランプ大統領の受賞もありえないことではないのかもしれない。しかし、後世の評価は?

山田 洋

提供:クオリティ埼玉

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