BIGMAMA「就職か音楽か?」からの10年間―メンバーの脱退がスイッチだった (2017/5/4 70seeds)
2018年3月に卒業する大学生を対象とした採用活動が解禁されたのは2017年3月1日。6月に解禁になる面接まで、企業は会社説明会などを通して学生にその企業の魅力を伝える時期です。逆に学生は、さまざまな企業の特性と自分自身の志向とのマッチングを行う時期。いわゆる“終身雇用”が絶対的なものではなくなった現代ではありますが、最初に勤める企業を大切に思う気持ちには変わりはないでしょう。
今回インタビューを行ったロックバンド・BIGMAMAは、2002年に結成され、2007年から現在の5人体制で活動をしています。一般的なバンドにバイオリンを加えた編成で人気を博し、10月には初の日本武道館公演が決定するなど、日本の音楽シーンにおいても一目置かれる存在に成長しました。
そのBIGMAMAも、大学時代に「就職か?音楽か?」の選択を迫られました。当時の彼らはどのように音楽を選択したのか、そして3月にリリースされたニューアルバム『Fabula Fibula』について、高校時代からの同級生であるメインソングライターの金井政人さん(ヴォーカル&ギター)と柿沼広也さん(ギター)に伺いました。
◇ ◇
最悪の第一印象からバンド名勘違い事件を経て理解し合う
――初めて2人が会ったのは高校時代だそうですね。
柿沼:高校のときにクラスメートになりました。
金井:2年K組ですね。1学年500人以上いる学校だったんですが、1年生のときから(柿沼のことを)知ってはいましたけどね。ギターが上手な人がいるっていう認識で。
柿沼:僕が覚えているのは始業式ですね。『かきぬま→かない』という出席番号順の関係で、(金井が)後ろの席だったんですが空いていまして、いきなり来ないのかよと。それで遅れて入って来たんですが、いやあチャラそうなヤツだなというところからスタートしてます(笑)。この人とはきっと仲良くなれないなと…。
金井:僕は…始業式が嫌いだったんですよ(笑)。“あの感じ”が嫌で、なるべく腹痛を起こすように魔法をかけてました。その日も保健室やトイレで待っていたら、いつの間にか始業式が終わっていて、初日のホームルームに遅れてしまったというわけです。
――それが相当なインパクトだったんですね。
柿沼:第一印象は最悪ですよね(笑)。
金井:僕は僕で相当焦っていたんですよ(笑)。
――そこからバンドを組むようになったきっかけは?
金井:誰かしらバンドをやっていた学校だったので、必然的に音楽の話をすることが増えたんですよね、二人で。それで当時柿沼がやっていたバンドのサポートベースをすることになったんですが、『サム』のコピーバンドをするというので、てっきりSUM41(1996年から活動をスタートしたカナダ出身のメロコアバンド)だと思っていたんです。
柿沼:僕はTHUMB(1997年から活動をスタートした日本のロックバンド)のことを話していたんですけど、音源を渡した日から(金井の)様子がおかしくなっちゃって…。
金井:これは俺の知ってる『サム』じゃない!と(笑)。
柿沼:でも、文句も言わずちゃんとやってくれたんですよ。そのライブに金井とバンドを一緒にやる予定だったリアド(偉武/BIGMAMAのドラム担当)が来ていて。ウチの学校は音楽が盛んで、学校祭のライブも全部学生が仕切るんですが、高校1年生のときに見たバンドがカッコ良くて…それがTOTALFAT(2000年から活動している日本のメロコアバンド)なんですが、そのライブに別バンドで金井も出てたんですよね。で、その『サム』違い事件があって(笑)、『あの先輩たち(TOTALFAT)ともつながってるんだ』なんて話をしながら、仲良くなっていった感じですね。
金井:僕とリアドともう一人でバンドを始まろうとしているときに、ギタープレイヤーがなかなかはまらなかったんですよ。で、何人かと一緒にやってみて、その中には柿沼もいて、僕は『柿沼が一番いい』と思ったんです。結果的に、僕が柿沼に誘われたのに僕が引き抜いて終わるという(笑)。
曲を作り始めるために立ち上がった瞬間というのは、最初は誰かの真似でしかないんですけど、それはそれで楽しくて。皆がサッカーや野球をしている間に、僕らは曲を作って演奏している…それが自分にとっての青春でしたね。
2人の気持ちを変化させた、就職活動期のメンバー脱退
――そういうところからスタートしたバンド活動ですが、今の状況を想像していましたか?
金井&柿沼:まったくしてないです。
金井:僕は、30代にミュージシャンでいる自分を想像していませんでした。バンドで行くんだ!と決めてからは想像せざるを得ませんでしたが、高校時代はまったくですね。大学3年生から4年生にかけてのときですね、スイッチが入ったのは。
――周りがちょうど就職活動をするタイミングですね。
柿沼:僕は就職活動のタイミングでバンドを辞めようと思っていて、内定ももらっていたんです。皆は仕事をしながら続けるのかなと思っていたんですが、意外に真剣に音楽で行こうと考えているらしいというのを知ったときに、考え方の合わなかったメンバーが辞めるというか捨てていったときにすごく悔しくて。それと同時に、高校時代から仲の良かった安井(英人/BIGMAMAのベース担当)に『バンドやってみる?』と聞いたら、即答で『やる』と。そこから、就職ではなくて音楽に本気になるというか。『short films』(2006年リリースの1stアルバム)をリリースしたときは、全然スイッチが入っていなかったんですよね。
金井:そのタイミングは、猶予期間というかまだ引き返せる期間というか。時間に余裕のある大学時代にスカウトされてCDも出せて…今思うと“興味本位”だったんですよ。それでCDを1枚出して、CDショップに自分の作ったCDが置いてある喜びというのが凄く重くて。僕らは東京のバンドですが、北海道でもSNSで発信してくれているファンの子もいて、そういうことが就職して仕事をするより魅力的に思えたんです。僕はそこでリクルートスーツを着るスイッチは入らず、辞めていったメンバーが『このバンドは趣味にしたい』と言われたときに、彼の遊びに付き合うのは嫌で、本気で音楽に向き合おうと思ったんですよね。
BIGMAMAが10年目にしてわかったことを具現化した
――それから10年が経過し、3月に11枚目のアルバム『Fabula Fibula』がリリースになりました。どの曲も架空の街での出来事がテーマになっている壮大なコンセプトアルバムですね。
金井:BIGMAMAが(今の編成になって)10年目にして、いろいろなタイプの楽曲が出来てしまうのがわかってきたからですね。誰に何を言われようと、どんな曲でもBIGMAMAなんです。ただ、それが散らかってしまうのは凄く怖くて。せっかく良い曲が出来ても『このバンドよくわからないな』『何がしたいんだろう』と思われるのはちょっと…。
僕らは全部やりたいので、せめて自分の中で決着をつけるために、自分たちの音楽の自在性をわかりやすく街に例えたんです。街や旅に音楽を例えると、ラスベガスから砂漠までいろいろな景色が成立するじゃないですか。それをひとつの作品として提案すると、まとまっていくんじゃないかと制作しながら考えていました。
――柿沼さんはこういうコンセプトが出て来てどう思いましたか?
柿沼:アルバムのまとまりを考えて、金井が歌詞を書くというスタイルはだいぶ前から確立していたんですが、こういうまとめ方についてはここ最近では出来なかったことをやってきたなと思いました。少しでも金井の歌詞の参考になるように、同じフレーズでも音色を変えてみるような工夫をたくさんしたCDで、とにかく音色が多くなりましたね。リズム隊にもアドバイスしましたし、良いチームワークでできたかなという印象はあります。
――5月中旬から全国ツアーがスタートし、10月15日・日曜日はついに日本武道館公演です。
金井:現状のBIGMAMAがすごく好きですし、カッコいいと思っているんですが、具体的に(武道館の)日時が決まると、自分の中でもうひとつスイッチが入りましたね。ヴォーカリストとして、ロックバンドの真ん中にいる人間として、モノを発信する人間として、もう一皮も二皮もむけてそのステージに立ちたいなと思っています。
◇ ◇
《取材を終えて》
2017年はBIGMAMAの結成15周年、現メンバーになって10周年という記念イヤー。せっかくメンバーお二人へのインタビューなので、出会った当時のお話も伺いました。
その中でわかったのは、メンバーの脱退を機にお二人に音楽的スイッチが入ったこと。「遊びでは音楽はできない」…この思いが、ここ10年間のBIGMAMAを成長させ、10月の日本武道館公演まで導いたように思います。
今でこそいろいろな楽器をロックバンドに持ち込むことは普通に行われていますが、BIGMAMAがバイオリンを導入した当時は数えるほどしかそのようなことをしているバンドはいませんでした。そしてそのバイオリンの特性を生かし、クラシカルな要素を取り入れることで、オリジナリティあふれる楽曲制作が可能になりました。
その無限大の可能性は、ニューアルバム『Fabula Fibula』でしっかり証明されています。いうなれば、21世紀型一大抒情詩ともいえるこの作品で、見事なコンセプトアルバムを作り上げました。
全国ツアーを挟んで、ついに日本武道館へたどり着いたBIGMAMA。「もうひとつスイッチが入った」と金井さん。2017年は、BIGMAMAにとってアニバーサリーイヤーにして大きな飛躍の年になりそうです。
【ライター・橋場了吾】
北海道札幌市出身・在住。同志社大学法学部政治学科卒業後、札幌テレビ放送株式会社へ入社。STVラジオのディレクターを経て株式会社アールアンドアールを創立、SAPPORO MUSIC NAKED(現 REAL MUSIC NAKED)を開設。現在までに500組以上のミュージシャンにインタビューを実施。北海道観光マスター資格保持者、ニュース・観光サイトやコンテンツマーケティングのライティングも行う。
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