アフリカンパワーを信じて・・・“忘れられた紛争”の悲劇から生まれた洋裁店 (2017/2/1 70seeds)
今年1月、日本にとっては地球の裏側とも言えるコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)に新しく誕生した洋服屋さんがあります。その名も「 Yu -結- 」。なんと、クラウドファンディングで420万円以上もの寄付を達成してできたお店です。
下はこれからお店を開く女性たちの写真。みなさん、期待に胸を膨らませた素敵な笑顔です!
しかしその笑顔の裏には、ひとりひとり、想像を絶する辛い過去が秘められています。というのも、この女性たちのほとんどはコンゴで起きた紛争中、性的暴力などで傷ついた女性たちなのです。
今回オープンする「洋服屋さん「Yu -結-」は、そんな女性たちの自立支援に、と立ち上がったプロジェクトにより完成したもの。2009年からの8年間、洋裁店立ち上げに全力を注いできた京都のNPO法人テラ・ルネッサンス理事長・小川真吾さんにこれまでの取り組みを聞きました。
コンゴの女性に自尊心を取り戻してもらいたい
――まずは、今回のはじまりとなった、クラウドファンディングのプロジェクト“幸せな洋服屋さん”について教えてください。
コンゴの紛争中、性的暴力などの被害にあった女性たちの自立を支援するため、洋裁の技術訓練を行い、ミシンを提供し、彼女たちの洋裁店を開業するというものです。それにより、経済的に自立し、一人一人に自尊心を取り戻してもらうことが目的です。洋裁店はコンゴに全部で5カ所、合計40人の女性たちがグループに別れて運営していきます。
――数あるテラルネッサンスの支援先国から、なぜコンゴを選んだんですか?
理由としては、とにかく被害が甚大で、一番支援を必要としていたからです。1996年に起きた第一次コンゴ紛争以降、500万人以上が亡くなっているんです。犠牲者の数だけでいうと、第二次世界大戦以降、世界最大の紛争です。だから、本来であれば一番最初に取り組みたかったのがコンゴだったんですけどね。
――え・・・500万人ですか。正直、私も今日まで詳しくは知りませんでした。
世間では、“忘れられた紛争”と言われるくらいですからね。国際社会から注目を受けず、十分な援助を受けられなかったのもこれだけの被害拡大に繋がった1つの要因です。失われた命のほとんどは抵抗力の弱いまだ幼い子どもたちだった。直接的な戦闘によるものではなく、食料、水不足や適切な医療を受けられなかったからなんです。子ども兵もたくさんいたし、推定20万人の女性が性的暴力を受けたとも報告されています。
――規模が規模だけに、プロジェクト実施にあたって戸惑いはなかったのですか?
私も最初は無理だと思いました。フランス語も話せないし、初めてのアフリカ活動地域にするには無理だと・・・。なので、2005年にまずは隣国のウガンダでの元子ども兵への社会復帰支援活動で実績と経験を積み、じょじょに準備をしていきました。2007年には、コンゴで同じく子ども兵の現地調査を開始できています。
ないもの探しとあるもの探し
――数多くの支援事業を実施するうえで、意識していることはありますか?
私たちが特に意識していることは“ないもの探し”だけではなく、いかにあるものを活かせるかということです。私たちが発展途上国の現地へ入るとまず、ないもの探しをします。援助を受ける側の視点に立ち、何が足りていないのか、食料なのか、技術なのか、設備なのか・・・どんなニーズがあるかを探します。これらに対して、実際にないものを与えることは基本的な援助であって私たちもやることですが、それだけでは駄目なんです。そこにある力を探して引き出してあげないといけない。個人個人に備わっている知識、経験、希望や社会の役に立ちたいという想い、そして地域で持っているもの、例えば自然資源や文化など、多様なリソースを活かすことが重要です。
――内在している力を引き出す・・・支援を受ける側が自信を取り戻すことにもつながりそうですね。
今回のコンゴでの洋裁店事業に関していうと、紛争を生き延びた人がいる、体がある。彼女たちは身体的にはもちろん、心にも深い傷を負っています。また、性的暴力を受けた女性の多くは、周囲から差別や偏見を受け、コミュニティから疎外されたりするケースがよくあるんです。自尊心を養うには「社会に必要されている」と実感を持つことが大事で、そのため社会との接点は必要不可欠なんです。自分たちが習得した洋裁技術で自分たちの手で洋服をつくり、人に喜んでもらえる、人の役に立てるというのは彼女たちにとって非常に大きい意味があるんです。
困難に“しなやかに”対応する適応能力を持つアフリカの人たち
――とはいえ、心に傷を負った彼女たちに受け入れてもらうのは大変だったのでは?
もちろん、なかには職業訓練を受ける前には沈んでいる子や、やってみたい!と言ってくれていても家に帰ると落ち込んでしまう子もいます。でも、個人差はあっても時間の経過とともに必ず変化は起きます。こちらが本気で向き合えば、私たちのアドバイスも受け入れてくれるようになります。アフリカの人たちは私たち日本人が信じられないような傷を負っていますが、彼ら彼女らの適応能力の高さには、むしろ私の方がいつも驚かされています。
――そうなんですか?
アフリカの人々は、紛争、貧困、感染症、難民など、日本にいては経験することのない様々なリスクのなかで暮らしていますよね。にもかかわらず、何とかして日々を生き抜いている彼らの柔軟性、適応能力は素晴らしいものがあります。“レジリエンス”といって、困難な状況にあってもしなやかに適応する能力のことで私たちも重要視している概念です。彼、彼女たちの環境は脆弱そのものですが、そういった環境に置かれているからこそ、個人に内在する多様な力や周囲との関係性の中で困難を乗り越えていく適応能力の可能性を、私たちは信じています。
――なるほど。具体的にはどういった例があるのでしょう?
例えば、社会復帰を果たしたウガンダの元子ども兵たち。10年前、当時は武器を持って戦うことでしか生きられなかった元子ども兵たちに、私たちは木工大工や洋裁などの職業訓練を実施しました。そのなかには、現在では家族を支えるだけではなく、コミュニティのリーダーを務めたり、自分が働いて得たお金で貧困層を支援したり、母子家庭のために粉ミルクを買ってあげたりしてるんですよ。それにテラ・ルネッサンスでは東北の震災後、大槌町で復興支援事業を開始したのですが、もともとはウガンダでの現地職員が後押ししてくれたことなんですよ。
――え!そうなんですか?
震災前、私たちはちょうどブルンジ事業を始めようとしていたところで、人的にも予算的にも正直余裕なかったので、東北での支援活動を実施する予定はなかったんです。そして震災の被害をニュースで知ったウガンダのスタッフが、支援プロジェクトを卒業していった元子ども兵たちと話し合い、寄付金5万円分や学校の子どもたちにノートなどを送ってくれたんです。そして、彼女たちに聞かれたんですよ、「私たちはできることをしたけど、テラ・ルネッサンスの本部は何するの?」って。
――感動しますね・・・。
ちなみに5万円というとウガンダでは、公務員の月給の8倍にもなる金額なんです。彼女たちは、今度は私たちが日本にいるみんなに恩返しする番だと言ってくれました。人助けは余裕があればするものだと思いがちですが、決して裕福ではない彼女たちのナチュラルな行動を見て、私たちも東北でまずはできることをしようと決心することができたのです。
国際協力への道、マザー・テレサとの出会いと別れ
――小川さんはもともと、国際協力に興味があったんですか?
いいえ・・・学生時代は野球ばかりやってましたよ。一度アメリカ留学こそしましたが、僕の場合はいわゆる“遊学”でしたね(笑)。大学は工学部で自分もエンジニア関連の就職を視野にいれていたし両親も期待していました。でも、大学4年生の頃に国際協力に興味を持ち始め、進路に悩んでいた私はずっと憧れていたマザー・テレサに会うため、インドのカルカッタへボランティアとして行ったことがきっかけです。
――おぉ・・・会えたんですか?
いえ、残念ながらマザーは私がインドに到着したその日に亡くなったんです。
――なんと・・・。
でも、マザーのご遺体が棺に入る前の最後のミサに参加させていただくことができたんです。自分の目の前でみんなに感謝で見送られるマザーの姿や光景・・・その場に自分がいられたことが信じられなくて、これは何か意味があるんじゃないかと私は思い、国際協力の道を進むことを決心しました。
――なにか運命的な出来事でしたね。その後はどうされたんですか?
大学卒業後は青年海外協力隊として、ハンガリーと旧ユーゴスラビアとの国境の町へ派遣され、私が野球が得意だったこともあって、旧ユーゴ諸国とハンガリーの野球チームとの親善試合を企画したりしました。1999年、NATO軍によるユーゴスラビアでの空爆があって、国境の近くにいた自分の目と鼻の先で悲惨な紛争を目の当たりにし、また、相手チームメンバーも元難民だったりして、自分に何か出来ないか?と紛争問題に関心を持つようになりました。子ども兵の存在を知ったのもその時が初めてです。
幼馴染に銃を向けた子ども兵・・・紛争の原因は民族や宗教ではない
――旧ユーゴスラビアで?
はい。旧ユーゴスラビア(クロアチア)のある村で、17歳の時に銃を持った元少女兵の女性に会う機会があったんです。はじめは全然話そうとしてくれなくて、日本から来たあなたには理解できないと言われましたが、逆に子ども時代の思い出を聞いてきたので、色々話すと、彼女も同じように幼馴染との思い出話をしてくれました。
――はい。
彼女はクロアチア人です。その村ではクロアチア人もセルビア人も長い間一緒に平和に暮らしていて、彼女にもセルビア人の友達がたくさんいたそうなのですが、ある日、その村が政府軍と反政府武装勢力の双方で徴兵が行われ、彼女は小さい時から一緒に仲良く暮らしてきたセルビア人の幼馴染に対して銃を向け、殺し合いをしなければいけなかったと涙ながらに話してくれました。そんな状況があったことに大きな衝撃を受け、紛争や子ども兵の問題を何とかしなきゃいけないと感じました。
――・・・言葉を失いますね。
彼女は、「日本やアメリカでは、 “民族や宗教の違いで紛争が起こっている”などという報道をしているけど、本当は違うんだ」と言っていました。そんな単純なことで紛争が起こっているわけではないのだと。
――私もどうしても宗教や思想の違いで捉えてしまうことが多いです。テラ・ルネッサンスとの出会いはその後?
9.11後のパキスタン国境などでの緊急人道援助に携わり、創立者である鬼丸とはNPOの交流会で知り合いました。彼の援助の考え方や理念に共感しましたし、何となく馬が合ったんです。当時はまだ団体として組織化されていなかったし、雇用をされた状態ではなかったですけど、一緒にウガンダの子ども兵に関する調査を始めるようになりました。
トップだからこそ現場のリアリティを知る
――そして現在、小川さんのテラ・ルネッサンスでの役割は?
理事長そして海外支援事業の部長として、主にはアフリカ地域の支援事業の統括、各事務所とのコミュニケーションを図っています。実際には、マネージングプレイヤーみたいなかたちで現在はブルンジ事務所に駐在しながら、コンゴやウガンダの現場を行ったり来たりしています。
――危険も多いですよね。組織のトップという立場で何か気を付けていることはありますか?
まずは、自分が入れない現場には職員を送らないということですね。現地で活動する上で、まず大事なことは自分たちの安全を確保するということですが、ニュースや国の安全情報だけでは実際の治安状況はわかりませんから。戦争を始める政治家や国のトップは、実際に戦地に行くことはなく、戦争のリアルを知りません。私たちのミッションは、平和を作ることですが、組織のトップとして、まずは自分がその現場のリアリティを知ることが大事だと思っているので。
――テラ・ルネッサンスは15周年を迎えられ、コンゴの洋裁店もオープンしました。2017年、そして今後挑戦したいことを教えてください。
これ以上、子どもたちが紛争に巻き込まれない社会を目指して、根本的な問題に取り組んでいきたいと思っています。現場で紛争の被害を受けた人々へのきめ細かい支援を続けていくと同時に、なぜ、紛争が起こっているのかということの根本的な問題に目を向けていきたいと思っています。
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