テナント企業に賠償命令、従業員に自殺させない義務とは (2016/8/10 企業法務ナビ)
はじめに
オフィスビルを賃借していたテナント企業の従業員が飛び降り自殺したことにより価値が下がったとしてビル所有企業がテナント企業に対し約5000万円の損害賠償を求めていた訴訟で、東京地裁は8日、1000万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。従業員に自殺させない義務とはどういったものか見ていきたいと思います。
事件の概要
本件オフィスビルを借りていたテナント企業の従業員である男性社員が2014年に、ビルの外付け非常階段から飛び降り自殺しました。その後ビルの所有会社は本件ビルを精神的瑕疵の有る物件として1割に当たる約4500万円値引きして販売しました。ビル所有会社はテナント企業に対し、従業員の自殺により物件の価値が下がったとして賠償を求める訴訟と提起していました。テナント企業側はビルの共用部分での従業員の自殺は予測不可能であり借主の注意義務には含まれない、居住用ビルではないことから精神的瑕疵による価値の下落は限定的である等反論していました。
従業員自殺に伴う法的問題
賃貸物件で借主である企業の従業員が自殺した場合、貸主に対して負う可能性のある責任として不法行為責任と債務不履行責任が挙げられます。まず不法行為責任については、自殺することによってその物件に精神的瑕疵が発生し価値が下落することになるので自殺した従業員本人に不法行為責任(民法709条)が生じることになると言えます。しかし会社に直接不法行為責任が生じることはもとより自殺は「事業の執行について」損害を与えたとは言えないことから使用者責任が成立することも考えにくいと言えます(715条)。賃貸借契約において借主は契約が終了した際に目的物を原状に復して返還する義務を負います(616条、598条)。その返還義務に付随する義務として目的物の価値を下げないよう注意する義務も負っていると考える事ができます。
付随義務とは
契約から生じる義務には、その契約の目的に関連する中心的な義務とそれに付随する義務が存在します。例えば売買契約なら目的物を引き渡す義務が中心的な義務であり、目的物を包装したり、目的物に関する税金を支払ったりする義務は付随的な義務と言えます。このような付随義務の代表的な例が安全配慮義務です。例えば雇用契約の中心的が義務は労務提供と賃金の支払ですが、雇用主にはその付随義務として従業員が安全に業務を遂行できるよう配慮する義務があります。従業員に事故や怪我、セクハラ等の問題が生じないようにする義務も雇用契約の付随義務として負っていると言えます。
付随義務に違反した場合
(1)契約解除の可否
付随義務違反を理由に契約を解除することができるかという問題があります。契約を解除するためには解除権が発生していなくてはなりませんが、解除権は債務不履行があった場合に発生します。(541条等)。付随義務も契約から発生する債務の一種であることから解除が可能とも思えますが判例は、基本的に契約を解除するためには付随義務ではなく要素たる債務の不履行でなくてはならないとしています(大審判昭和13年9月30)。また付随義務違反の場合はそれにより契約の目的が達成できないような場合に限り解除を認めています(最判昭和43年2月23日)。
(2)損害賠償
付随義務も契約から発生する債務の一種であることから、違反した場合には債務不履行による賠償責任が生じます(415条)。安全配慮義務違反により従業員が死亡した場合等には別途不法行為責任が生じる場合もあります。一般に債務不履行と不法行為責任による賠償請求では消滅時効と証明責任に関して違いがあります。不法行為の場合は損害及び加害者を知ってから3年で時効消滅します(724条)。債務不履行の場合は10年となっております(167条1項)。証明責任については不法行為の場合、原告が相手方の故意・過失の存在を証明する義務を負っていますが、債務不履行の場合は被告側に自己に帰責性がないことを証明する義務があります。このように賠償請求する場合は一般的に債務不履行のほうが有利と言われております。
コメント
以上のように付随義務違反があった場合にはその損害の賠償を請求することができます。本件で問題となっているのは賃貸借契約上の付随義務として借主である企業に従業員が自殺しないよう注意する義務が含まれるかという点です。この点について同様の事案で賃借人の返還義務としては物理的に目的物を返還すれば十分であり、心理的、価値的に影響を及ぼす事由についてまで付随義務として認めることは加重な負担を負わせることになるとして否定した裁判例も存在します(東京地判平成16年11月10日)。しかし、本件で東京地裁は日常的に人が出入りする建物で心理的嫌悪感を抱かせるものであり、借主はそれを防ぐ義務があったとして付随義務を認めました。控訴審、上告審では覆る可能性は十分にあると言えますが、借主には従業員が自殺して心理的瑕疵による価値低下を招かないよう注意する義務が肯定された前例ができたことになります。企業がテナントや事務所として建物を賃借することは一般的に行われておりますが、借主にはこのような義務もあり得るという点に留意して従業員のケアを心がけることが重要と言えるでしょう。
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